第3話 ダサい我らに花束を



(まったく。今日もついてないな)


 俺はカタカタとキーボードを叩き、急ぎの資料作成に励んでいく。


 第一撃は課長に「昨日頼んだ資料もうできてる?」などと言われたところから始まった。


 俺ができていないことを告げると、課長は「え?やっといてって言ったじゃん」や「まずいな。今日必要なのに」など一通り言った後、「じゃあいいよ」などと不機嫌そうに少しだけ大きい声で言った。


 期限なんか告げられてないし、どう見ても急ぎの資料ではない。まあ明確な期限を確認しなかったのは俺にも落ち度はあるが、「空いたときでいいよ」と言われていたのは覚えている。ただの八つ当たりだが、周りを巻き込むそのパフォーマンスには心底苛立った。


 とはいえ管理職に資料作成をやらせるわけにもいかない。「急いで作ります」と俺は頭を下げ、席に戻る。


 ただ、まあ、これ自体はいい。いや、良くはないが、一つや二つは我慢ができる。問題は課長の機嫌がこの上なく悪いことだ。


 上司の機嫌が悪ければ、必然的に職場の雰囲気も悪くなる。お互いの業務が絡み合う公務員の仕事では、雰囲気が悪い職場は様々な悪影響を及ぼしうる。


(何が発端かは知らんが、悪化させている理由は明確だな)


 俺は内心でため息をつき、少し離れた課長の席に目をやる。そこには俺の後輩が、課長席のところに呼ばれている。火を付けた犯人かはしらないが、彼がガソリンを撒いていることだけははっきりしている。


「でもそれは僕の業務ではないですよね。業務分担表にないと思います」

「そうはいってもねえ。誰の仕事でもないわけだし」

「それでしたら尚更僕がやらなくていいかと思いますが」


 公務員の課長はそれなりに偉い。率いる部下も多ければ、それこそ大部屋の奥に席を陣取っている。


 しかしそんなことも最近の若手には関係が無い。理屈が通っていないのであれば、従うべきではない。それが今の若者のスタンダードなのだ。ある意味では正しいし、ある意味では間違っている。


 課長に面と向かって反論する彼は、確か田辺……だったか?今年で4年目になる職員だ。俺と同じ担当で、一部の仕事では協力して仕事にあたっている。


 もっとも、彼はやらなければいけないこと以外は基本はやらない。だからこそ、8年目の俺の方がやっている仕事量は多い。良い意味ではなく、悪い意味で。半分雑務的な仕事も、なんだかんだ俺がこなしている。


 だれかがやらなきゃいけない仕事だ。誰もがやりたくない仕事でもあるが。


 今も課長が不機嫌そうに、彼の話を聞いていた。


(衝突するのは構わんけど、全体に悪影響出るまでやらないでくれないかね。まったく)


 この争いははっきり言って無意味だ。仕事は進まないし、決着もつかない。だからそういう衝突を回避する意味でも、年功序列というシステムが存在する。


「じゃあ誰がやるんだよ。いいから一番下がさっさとやれ」。俺は奴にそう言ってやりたくなった。


 仕事をしていれば誰の業務でもない仕事が発生することはある。その時に誰が対応するかと言えば、基本的には下っ端だ。どうせその役目も、若手が来ればすぐに変わる。別にアンフェアでもなんでもない。


(かといって、なんでもかんでも俺が仕事を肩代わりする気にはならないけどね)


 俺は黙々とキーボードを叩き続ける。仕事してる感を出すのは、この数年で随分と上達した。


(ん?なんだこのメールは?)


 その時、俺は見たことのないメールアドレスからの受信を確認する。一瞬スパムメールの可能性を疑ったが、すぐにそうではないと気づいた。


(ハルカ…ノムラ、ああ。昨日の子か)


 俺は中身をさっと確認する。先日のお礼とタクシー代を支払いたいとの申し出だった。


(なるほど。お金を払おうとした段になって決済が終わっていることを知り、連絡してきたってとこか。律儀だね)


 俺は後で返信をしようと、フラグだけつけて、別のメールをクリックする。早く資料を作らなければいけないし、優先順位の高いメールが来ていないかだけ急いで確認しなければならない。俺はそう考えて、手早くメールを確認していく。


 課長と田辺のやりとりが聞こえてくる。まだ争っているみたいだ。本当にしょうもないことを30分近く話している。

 

 暇な連中だ。まったくもって本質的でない仕事ばかりしている。仕事をしないための仕事は公務員のお家芸である。


(……馬鹿共が)


 俺は小さく舌打ちをして、再びパソコンに目を落とす。一刻も早く職場から離れたい。あの日からずっと、俺の中にはその気持ちだけが渦巻いていた。









「石田さんお電話入ってます」

「はい。今代わります」


 その電話があったのは次の日の夕方頃だった。同僚に「どちらから?」と聞くと「さあ」といった返事をされる。


 どいつもこいつも仕事のできないやつばかりだ。俺はしょうがなく受話器を受け取った。


 結局昨日はけっこう残業してしまった。文句ばかり垂れる後輩の尻拭いである。だがまあ、お金ももらえて評価にも繋がるなら悪いことだけではない。そう思い込むことにした。


 (今日は早く帰れそうだな)


 俺は保留中の電話を受け取り、挨拶をする。すると聞こえてきたのは少し意外な声であった。


「あの、すいません。石田陽平様でしょうか?」

「えっと、どちら様ですか?」

「すいません。私、野村遙香と申します。○○大学の四年生で、先日駅で助けてもらって……」

(ああ。あの子か)


 俺はここで相手の正体をつかむ。メールに返事し忘れていたが、電話まで掛けてくるとは思わなかった。


「お金のことなら大丈夫だよ」


 俺がそう伝える。しかし彼女はそこで引き下がりはしなかった。


「あの、今日就活で面接受けて、今新宿にいるんです。職場まで近かったので、お金をもってそこまで来たのですが……」

「へっ?」


 つい変な声をもらす。まったくそこまでする必要はないのだが。


 しかしここまで来てもらっている以上無下にもできない。金額はどうでもいいが、対応しないことは問題だ。 


「わかった。今どこにいる?」


 俺は彼女の位置を聞き出し、そこにあった付箋に適当にメモした。


「すいません。ちょっと一時的に抜けます」


 もう既に時間外だ。残業申請を調整すれば、一時的に抜けても問題あるまい。


 俺はとりあえず同じ担当の人に声かけして、その場を離れる。


 (夕焼けがきれいだな)


 俺はそんなことを考えながら、来るのが遅いエレベーターをぼんやりと待っていた。





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