燃え滾るふたつのファイヤーボールと磨き抜かれたダガーを俺は持て余している
南沼
お前のダガーを磨き上げろ
18歳のギデオンはその日、自室で暇を持て余していた。
ギデオンはスカーフェスの街の裏通り、そのどん詰まりにある盗賊ギルド
スカーフェスは交易都市、それも5000人を超える人口を擁する大都市であり、よって他にも盗賊ギルドや冒険者ギルドはあるのだが、風見鶏亭はそのうちで最も冴えないひとつである。界隈において交わされる会話に『風見の』という枕詞が付けば、それは大抵侮蔑のニュアンスを伴った。
いつ訪れても板塀に猫の糞がなすりつけられ、澱んだ水辺の匂いが漂う場末の盗賊ギルド、それが風見鶏亭だ。
そこに所属するギデオンであるから、腕の方も推して知るべしだ。さして目端が利くわけでもない。
そして、ギデオンは童貞である。生きていくために悪いことはひと通りしてきたつもりだったが、今になって振り返れば、その中に女にまつわるものは殆どなかった。1階は酒場、2階は宿屋というつくりの風見鶏亭であるから、商売女の類は珍しくもなんともない。しかし彼女たちが誰にでも几帳面に振りまく媚びや誘い文句を、ギデオンは思春期からこちら育み肥大化させてきた妙なプライドとともに一蹴してきた。内心は興味津々だというのに。
性欲がないわけではない。隣であられもない嬌声を上げる娼婦たちの裸体を妄想しては手淫にふける夜が、幾度あったことだろうか。年齢相応どころか、人一倍の性欲と精力を持て余している自覚はある。
仕事にあぶれ、自室でぼんやりと過ごす以外にないこんな日は、特にそうだ。
何をするでもなく硬いベッドの上でぼんやりと思い出していたのは、先日の仕事のこと、街はずれにある古びた孤児院に立ち退きを迫って追い出すという、とある筋からの依頼だった。
孤児院は聖東教会が非公式ながら運営しているもので、どうも修道女たちの慈愛に満ちた公正な振る舞いがパトロンにとって大変目障りであったらしいという事情は察することが出来た。それ以上のことに踏み込む気は更々ない、少なくともそういう態度を取ることが長生きのコツだということぐらい、ギデオンも承知している。
ここまでは珍しくもない話だが、その後が良くなかった。
「どうしてもと仰るならば、是非もありません」
そう言って、アマリリスと名乗る修道女は腰を落とした。彼女の手には縄というには少しばかり細いより紐がひと巻き。そしてその先端には草刈り鎌に似た刃物が付いていたはずなのだが、今は見えない。
何故なら、鎌が目視できなくなるほどの凄まじい速度でそれを回しているからだ。
高速で回る鎌が空気を裂き、ピイィと甲高い音を絶えず発していた。
聖東教会が信奉する神は慈愛と寛恕を旨とするが、苦痛のない死は救済であるという思想もまた持つ。よって、こんな死神の一番弟子のような手合いがしばしば存在する。
「貴方に、神の愛と救いが訪れますよう」
孤児院を訪れた時は柔和そのものに伏せられていた糸のような目が今は裂けんばかりに見開かれ、四白眼がギデオンを見据えていた。
旗を煽るようなアマリリスの手さばきで、風を切る音とともに弧を描くような砂埃が地表を舞った。鎌が地面すれすれを薙いだのだろうが、やはり全く見えない。
「かくあれかし」とつぶやくような祈りの言葉を最後に、アマリリスの繰る鎌がギデオンに飛び掛かった。
(あれはヤバかったな……)
手練手管を駆使してアマリリスの猛攻を何とか凌ぎ依頼を達成したギデオンだが。本当にヤバかったのはそこではない。
すごかったのは、アマリリスのおっぱいである。
全身に漂う剣呑な空気、そして殺伐とした戦闘場面に全く似つかわしくない巨大な胸部を持っていた。顎のラインは手折れそうなほど細いというのに、その直下にある大きな膨らみはもっさりとした厚手の修道着の上からでも一目でわかった。何なら、命のやりとりの場ですら自身をそれと主張してやまないのだ(少なくともギデオンにとっては)。それに恐らく下着もつけていないのであろう、彼女が体幹を動かすたびにぶるんと揺れ、腕を身体の内側に回せばその都度むぎゅっと柔らかく形を変える双丘。
ギデオンは、超速で飛び交う刃物よりもむしろ、そちらにすっかり目を奪われていた。
(クッソ、エロすぎるだろ!)
若い身空で暇を持て余せば、もれなく性欲も持て余す。当たり前のことだ。
ギデオンはベッドの上でズボンを下げ、激しく陰茎をしごくとあっという間に吐精し果てた。
「ふう……」
訪れるのは、つかの間の虚無感と冷静さだ。
しばし冷静になり、窓の外を眺める。
(おいしい仕事のひとつでも、ないもんかね)
しかし息をつくのもつかの間、連想は連想を呼び、桃色の思い出がまた脳裏に翻る。
次に思い出すのは、風見鶏亭階下、酒場での一幕だった。
「あんた、ギデオンってんだろ」
しなをつくるような囁き声で語りかけてきたのは、デボラという名の女盗賊だった。
「なんだよ」と胡乱げな態度を取りはしたものの、内心既にどぎまぎしてしまっているギデオンだった。
なんでこの女、こんなに距離が近いんだ?
顔を寄せんばかりにして囁くデボラは、この辺りでは名の知れた人物だった。小さな規模の盗賊団の頭目を張っているのだが、その盗賊団というのがまた珍しい。
「一杯奢らせとくれよ」
「珍しいな、あんたが男と酒を飲むなんて」
なんとなれば、女だけで成り立っている盗賊団なのだ。それも少女から妙齢にかけての、若い女たちだけだ。デボラは夜ごと彼女たちを褥に呼び、夜伽を命じるのだという。
その場面を想像するだけで、ギデオンの下半身に熱が集まってくる。それでも、顔だけはなんとか平素を装った。
「あたしだって、そういう日もあるのさ」
厳めしい面構えの親爺が差し出す火酒を舐め、「悪いね」と形ばかりの感謝を口にしながら、無遠慮にデボラの風体をジロジロと眺める。
軽装で、良く陽に焼けた褐色の腰回りを見せびらかすような恰好だった。自分でも身体つきに自信がるのだろう、ぎゅっと引き締まった腰つきときめの細かい肌に、呪言めいた刺青が黒々と映えている。
デボラは、不躾な視線をむしろ楽し気に受け流した。
「刺青がそんなに気になるなら、部屋で、じっくり見てみるかい?」
熱のこもった、殆ど掠れんばかりの声にギデオンは戦慄した。
デボラには、陰口のように囁かれる二つ名がある。『
彼女にはこう見えて、何人もの子供がいる。そしてどれも種が違う。男と寝て腹に種を仕込んでは口を封じるように殺すというのが、もっぱらの噂だった。本当かどうかは分からないが、デボラの男なるものにはとんとお目にかかったことはなく、それは真実なのではないかとギデオンをはじめ誰もが考えていた。
こうしている今も、周りの酔客の好奇心や畏怖の混じった視線を感じる。誰もが蟷螂の鎌にかかるギデオンを想像しているのだろう。
その時は理性を総動員して何とか断ったのだが、今になって後悔にも似た思いが押し寄せつつあった。
(なんだったんだアイツ……思わせぶりなことばっかり言いやがって)
エロすぎだろ。
ギデオンにとっては、余りに刺激の強い会話だった。ぎゅっと締まった腰回りに、流し目の色香。つんと鼻につくのは汗の香りか、それとも……
(エロすぎだろ!!)
ズボンはまだ下げたままだったので、そのままギデオンは再び激しく陰茎をしごき、あっという間に吐精し果てた。
「ふう……」
またしばしの間だけ、冷静さを取り戻す。
窓の外はどんよりと曇っている。窓を開けようかとも一瞬思ったが、どうせ腐った水や誰も掃除しない動物の糞の臭いしかしないのだから止めておいた。
そうしている内に、また頭の中で回想が始まる。回り出した歯車は止まらない。
「そこの親切なお方……どうかお助け下さいませ」
悲痛さを滲ませるそんな声を掛けられたのは、とあるダンジョンのごく低層だった。そこは低層に限れば致死性の罠も厄介なモンスターも見られないことから、様々な人間がしょっちゅう出入りする。たいていの人間は無事に出てくるのだが、そうでない奴もたまにはいる。そんな手合いなのだろうだけ、その時は思った。
石畳と壁に反響したくぐもった声でも、方向のアタリはつけることができた。ギデオンの記憶では、確か何もない袋小路だった筈だ。
勿論、うかつに返答はしない。足音を殺し、分かれ道の間際に身体を潜めて、そっと奥の方を伺った。
袋小路の壁から、下着丸出しの尻と、足が生えていた。
「あれ? 誰もいないの?」
おーい、という声とともに尻がもぞもぞ動いている。
声が妙にくぐもっていたのは、上半身が壁の向こうにあるからだろう。俗に壁尻罠と呼ばれる非致死性の罠の一種だった。身体が通るほどの穴の向こうにめぼしいエサを仕掛けておけば、胴体の半ばあたりでこのようなイキの良い間抜けが引っかかるという寸法だ。罠に掛かった姿は滑稽の一言だが、罠主の小鬼などが近くにいた場合、あるいは逆に通りがかる者がまったくない場合は凄惨な最期を迎えることになる。
ただ、ギデオンにはその声と尻の主に心当たりがあった。
「リリィか?」
「えっ……あ、ギデオン?」
風見鶏亭の酒場で日夜働く給仕娘が、こんなところで何をしているのだろう。
「ちょっと小遣い稼ぎのつもりでさ……お客さんたちの話聞いてたら私でもいけそうかなーって」
それで罠に嵌まっていれば世話はない。
「馬鹿じゃねえの」
「うるさい!!」
む、と眉根を寄せるギデオンだが、怒っているわけではない。一層じたじたと動く尻を目に焼き付けているのだ。
「ねえ、見てないで助けてよ……」
「ああ、うん……どうしようかな」
この「どうしようかな」は嵌まり込んだ胴体をどうやって引き抜こうかという意図でつい口を突いて出たものだ。しかし、罠で気力と体力を削がれ不安感に苛まれつつあるリリィは当然のように誤解し、爆発した。
「えちょっと待って待って! 助けてくださいお願いします!」
「うおっ、何だよ急に」
「何でもする! 何でもしますからお願い!!」
必死の涙声だった。
ギデオンとて、別に慈善で助けようなどというつもりはさらさらない。命を救ってやったのだと恩を着せ、あわよくば小型金貨1枚ぐらいせしめてやろうという腹積もりだった。
だが、リリィの「何でもする」という放言に、大きく動揺してしまった。
何でも? 何でもって、本当に何でもなのか……?
俺はいいけどこいつはいいのか?
でも本人がいいって言ってるんだから……
いや、ていうかここでか?
逡巡する間にも目の前で尻は踊り続けるものがから視線はそちらに奪われ、結局何も思考が纏まらないままに半べその「お願い」攻撃にすっかり参ってしまい、ギデオンは「宿のツケを待ってもらうよう親爺にとりなしてくれ」という極めて穏当な要求だけを押し付けてリリィを助け出してやったのだった。
無論の事、ギデオンはそのことを猛烈に後悔していた。
(なんで俺はあんなことを……)
あの時、身の振る舞いをどうすればいいのかギデオンには分からなくなってしまった。
悪いのはリリィの、あの尻だ。
歳はギデオンと同じか少し年下なだけあって背は低く、垂れ目がちな丸顔はどこかあどけなさを残しているというのに、身体つきは大人そのものの肉感を纏っていた。
懇願と共に身体をよじる度に揺れる尻たぶの豊かさと弾力といったら……
(エロすぎるだろ!!!)
ギデオンは激しく陰茎をしごき吐精したが、今度は少しだけ時間がかかった。
「ふう……」
少し頭がぼーっとしてきたかもしれない。だからギデオンはつい、名前を呼んでしまった。
「リリィ……」
「はーい」
快活な返事と共に何の遠慮もなくドアを開け入ってきたのは、当のリリィだった。別に盗み聞きをしていたとかではなく、たまたま部屋の前に通りがかったところに中から声を掛けられたと勘違いしただけだ。
なので、思いがけず部屋の中に充満する精の匂いに、リリィは目を剥いた。
「くっさ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
この時、ギデオンは電光石火の反応をみせた。
ベッドの上、仰臥位の体勢から体幹の発条だけを使って飛び上がり、身体をひねって窓枠を掴んだ。驚くべきことにこの時、腿の半ばまで下ろしていたはずのズボンは既に履き終えている。そのまま雷鳴のごとき鋭い音とともに窓を開け、身体を躍らせて外に飛び出た。
リリィが何を言うまもなく、ギデオンは部屋から姿を消した。
2階の自室から飛び降りながら、ギデオンは蒼ざめていた。
とんでもないところを見られてしまった。
もう合わせる顔がない。
いっそこのまま消えてしまいたい。いやもう消えよう。本当に。
その衝動に身を任せるまま、ギデオンは二度とリリィの前に姿を現すことはなかった。一度だけ、なけなしの荷物を取りに風見鶏亭には顔を見せた。終始不審な態度で暇を告げるギデオンに、強面の亭主も馴染みの客も、敢えて何も問うことはなかった。
実を言えば、リリィにしたところで自慰の現場に居合わせた事に特段の悪感情などなく、「まあ男の子だもんね」ぐらいの感想ではあったのだが、そんなことギデオンには思いもよらない。童貞たる所以である。
その後、ギデオンは根城を変えあちこちを渡り歩いたが盗賊や冒険者としての大成にはまるで縁がなく、一度染みついた逃げ根性は払拭しようもないままに歳を重ねるとともにやがて腹は出て頭髪は薄くなり顔の肉は弛む一方で他者への猜疑心に満ちた目つきは上目遣いに鋭くなって異性どころかまともな人付き合いさえままならなくなっていった。
そしてある日、盗掘に出かけた先で野良サキュバスが仕掛けたエロトラップダンジョンに引っかかり、あえなく命を落とした。媚薬に始まり幻覚魔法、搾精触手に肉体改造とおよそ考えうる限りのフルコンボものだったが、その最前段で最近とみに弱っていた心臓は細動を起こし、そのまま拍動を停止した。強すぎる刺激に耐えられなかったのだ。
享年70歳。生涯、童貞であった。
燃え滾るふたつのファイヤーボールと磨き抜かれたダガーを俺は持て余している 南沼 @Numa_ebi
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