失われた技法

鵜川 龍史

失われた技法

 遺体安置室には、自主返納された肉体が、規則正しく並んでいる。どれもこれもメンテナンスが行き届いていて、このうち九割が老人だと言われても、にわかには信じられないだろう。

 一方、待合室インスタンスには、受肉待ちの意識体が、半覚醒状態で整列させられている。各インスタンスの同時接続数は二五五体。それが常時数百から稼働しているのだから大繁盛だ。情報界ビットヴァースでの不老不死を捨ててまで受肉したい気持ちは、分からないでもない。

 肉体は、常に品薄状態。意識体の過去最長待ち時間は七年と聞いたことがある。途中で諦めようにも、半覚醒だと思考もできない。タイマーでも掛けておかない限り、王子さまのキスを待ち続けることになる。

 どうしても受肉したければ、擬体を使えばいい。作り物には作り物の良さがある。

 僕が使っているのは、やわらか素材の肌ざわりさらさらモデル。仕事上も私生活の上でも、何も困らない。

「次、来たぞ」

 同僚がチューブで送り込んできた意識体を、肉に振られた番号を確認して、中に注入していく。と、これは珍しい肉だ。二十歳ぐらいだろうか。どれだけ金をかけてメンテしても、肌の質感だけはごまかせない。滑らかな皮膚にゆっくり赤みが差していき、モニター上のありとあらゆるデータが、生命の恢復を記録していく。

 ここから先が僕の仕事。肉と意識を同調シンクロさせるだけではだめ。調整キャリブレまでして、初めて自分の体として自由に使えるようになる。

「やった! 若い体!」

 目の前で起き上がった肉が叫んでガッツポーズし、鼻から血を吹いて倒れた。同僚たちが手を叩いて爆笑する。やりやがった。

 自主返納される肉体には、色々な事情がある。老体の返納は、肉での生活に十分満足した末の選択がほとんどだ。だが、若体はそうはいかない。自主返納先が、事務局ではなく、硬いアスファルトだということも少なくない。その場合の調整キャリブレは、肉体の側に、自分がまだ生きていると認識させる所から始める必要がある。

「肉の死に引き込まれたか」

 鼻と耳から血を流して運び出されていく肉を見ながら、同僚が賭けを始めた。意識を摘出する前に肉が完全に絶命すれば、当然、意識も一緒に逝く。

「摘出できない方に五百」指先を弾いて、クレジットをトスした。

「これじゃ賭けにならない」

 肉に敬意を払わない奴に、同情する人間はいない。ここは、そういう場所だ。


 昼休み。擬体に食事はいらないが、休憩はもちろん必要。高級味覚パッチを小さく切って、共感覚モードで舌に乗せれば、メンタルケアにも効く。

 流行りのデザートに耳を傾けながら、ゲートをくぐって外へ出た。外は全方位、だだっ広い原っぱプレーンで囲まれている。

 工院ホスピトリーは、どの国からも独立した場所だ。情報界ビットヴァースに国境がないため、意識体が直接出入りする工院ホスピトリーは、法的にどこの国でもない方が都合がいい。

 受肉した人間は、調整キャリブレを終えると、肉か意識のどちらかが所属していた国に引き取られる。もちろん、肉と意識が不適合で、再返納というケースも少なくない。

 そのプロセスがバカらしく感じる人間は、情報界ビットヴァースに閉じこもるか、僕たちのように擬体を利用するか、どちらかを選ぶ。

 ゲートの外は、草のにおいがまぶされた風と、七色に着色された陽射し。周囲を見回すと、調整キャリブレ中の肉や、自主返納検討中のツアー客らが、原っぱプレーンを使って遊んでいる。プレーンはその名に違わず可塑性抜群。トランポリン代わりにハイジャンプをかましたり、ちぎってキャッチボールに興じることもできる。

 一人でのんびりしたい僕は、人の少ない裏手の方に足を向けた。しばらく行くと、耳の奥にかすかな音が聞こえてきた。こんなところで音楽? 口の中に、パッチが残っていたかと思って舌で舐めまわすが、味覚からスライドした音ではない。

 音源の方向を探りながら歩いていくと、人が一人入るのによさそうな卵型のドームが現れた。原っぱプレーンを引き延ばして作ったのだろう。中が透けて見える。

 バイオリンだ。演奏している。

 楽器演奏は失われた技術ロストテクニックの一つだが、工院ホスピトリーでは調整キャリブレに活用している。緻密な動作と反復訓練がうってつけなのだ。だが、バイオリンは調整キャリブレには使えない。演奏の難度が高すぎるからだ。

 それなのに、これは……。

 ドーム越しに聞こえる音は籠ってこそいたが、一本の楽器が奏でているとは思えないほど色彩豊かだった。早いパッセージは軽やかに、ロングトーンは艶やかに。肉を捨てた僕の体に、かつての快感を錯覚させるほどに。

 何者だろう。肩幅は広く筋肉質。背中まで伸びた髪は緩くウェーブしている。ドームを回り込んで顔を覗き込む。

「わ」

 演奏が止まった。複雑な皺が蜘蛛の巣のように顔中に張り巡らされている。

「邪魔してごめん」僕は温和な表情を作って、男の緊張をほぐそうとした。受肉者に気を遣うなど、初めてかもしれない。「そのまま続けていいよ」

「いや、大丈夫です。そろそろ戻らないと」

 男はドームを指で器用に裂くと、足で踏んで原っぱプレーンに戻した。

「バイオリン、うますぎない」

「暇さえあれば弾いてるから」そう言って見せてくれた左手の指先は血まみれ、指の関節は内出血で青くなっていた。左の首にも痣ができている。「ここを出たら弾けないし。リミッター外して頑張ってます」

 そう言いながら満足そうに笑う男に、いたずら心が首をもたげた。

「せっかくもらった肉体なのに、悪いことしてるって気分にはならないの」

 自主返納される肉体は、そのほとんどすべてが金持ちのものだ。

 かつては、食料が市場に出回っていた時代もあったと聞くが、今は、食い物を手に入れるにはカネとコネがいる。未成年のうちは、教育とセットで食料も与えられるが、成人して食えなくなれば、自分の肉を売るしかない。そうなる頃には、たいてい工院ホスピトリーに納められるような健康体ではなくなっている。培養食材の元としてなら売れなくもないが、情報界ビットヴァースへの移住権を買って、手元には一銭も残らない。

 二十二歳だった僕の肉も、そうやって誰かの餌になった。

「だまされませんよ。この体を育てたのは」男は笑いながら、自分と僕のことを順に指差した。「僕たちの肉なんだから」

 男の表情にもう緊張はない。目の前の僕を、同種の人間だと認識したのだ。

夜会ナイトクラブ、知ってます?」

 隠微な響きの言葉だ。首を横に振る。

「深夜二時、この辺りで耳を澄ましてみて。原っぱをめくれば、中に入れます」

 男はバイオリンをケースにしまうと、工院ホスピトリーに戻っていった。僕の口の中には、夜会ナイトクラブという音の持つイメージが、濃厚な味わいとなって広がっていた。


 聞き覚えのある音だった。

 鞭をふるう音。いや、もっと低音が強い。子どもの頃に一度だけ口にしたことのあるカイコの幼虫に似た、粘っこくて甘ったるい味の音だ。原っぱに耳を近付け、金庫を開ける怪盗のように注意深く、震源を求めて歩き回る。

 見つけたその場所を、言われた通りにめくると、熱気と汗の臭いが吹きあがってきた。思わず目を閉じる。懐かしい臭いが混じっている。

 血の臭い。

 原っぱプレーンを練って作られた冷たい梯子を降りていく。不意に、大きな歓声が巻き起こった。途中で振り向くと、小さなホール程のスペースの真ん中にスポットライトが当たっており、そこで二人の男が殴り合っている。一方は昼間のバイオリニスト、もう一人も老人。二人とも年齢を感じさせない力強い拳で、お互いの顔面を容赦なく殴り合っている。拳を振るうたびに血がしぶき、それに合わせて歓声に波が生まれる。

 よく見ると、その血は、顔面から流れたものだけではなかった。

 拳だ。殴りつけた拳が破壊され、そこからも血がしぶいていた。昼間見た男の指が脳裏をよぎる

 失われた技術ロストテクニック――音楽や絵画といった芸術表現とは異なる、もう一つのテクニックが、かつてあった。肉体の極限を追求し、限界を超えた力を競技者同士でぶつけ合うための身体技法。

 それは、公共財である身体への破壊行為であるとして、百年以上前に禁止された。

 価値の蕩尽という意味では、どちらも変わらない。演奏行為もまた、何十年という長期間にわたって肉体を酷使し、それでいて何の生産性にも結び付かない。

 情報界ビットヴァースは違う。イメージとしての肉体に限界はない。競い合うのに痛みを伴う必要はなく、高度な演奏に十年単位の時間を費やす必要もない。常に最高のパフォーマンスが可能な世界。

 それならどうして、この不自由な世界を求めるのだ。

 バイオリニストが押されている。当然だ。さっきから、相手を殴るのは右拳だけ。左はガードにしか使っていない。弓を持つのは拳が壊れていてもできるが、弦を押さえるのは無理だ。

 あんた自身が無事なままなら。

 擬体には官能がない。共感覚でごまかされているが、人間に生来備わっている、体の底から湧き上がってくるような肉体的な快の衝動が欠けている。

 ここには血にまみれたボロボロの老人と、それを取り巻く受肉者の群れがいるだけ。殴り合う音と血の臭い、そして野蛮な飢えた歓声しか存在しない。どちらも、擬体となった僕には理解不能なはずだ。

 それなのに、白くてやわらかいプレーンでできた体の中に、流れていないはずの熱い血潮を感じる。

 失われた技術ロストテクニックは、身体操作の技術というだけでなく、心を揺さぶる技法なのかもしれない。

 僕は梯子から飛び降りると、観客を押しのけて、スポットライトの下に躍り出た。

 バイオリニストが顔中に蜘蛛の巣のような皺を浮かべ、次に大声で笑った。

 二人の間に僕は足を進める。二つの拳が僕の顔にめり込む。

 血の通わない僕の顔は、白い肉プレーンを飛び散らせて、命を燃やしている老人たちの拳を祝福した。


(了)

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