18

 たまたまその企みに気が付くのが早かったのか。それとも空切の反射という単純な力技なのか。理由は何にせよ、その手がナイフを掴む頃には既に力の入った足は体を後方へと押し進めていた。

 そして刃先とすれ違いながら空切は大きく間合いを空けた。

 だが致命傷こそ避けれたもののナイフの爪痕を残す様に腹部の服を切られ、そこから顔を覗かせる程良く鍛えられたお腹には一本の切り傷が刻まれていた。まるでお臍に濁点でもつけるように出来たその一本線から肌を伝う鮮紅は痛みに流した泪。


「別にあたしの趣味で着てる訳じゃないけど、こうして破かれると……」


 空切は刀を左手に持ち替えると右の指先で服の切れ箇所をなぞりながら触れた。そして滑り込ませた指先で傷口を確認するように撫でてゆく。

 それから濡れた感触を感じながら指先を顔前へ。


「何だかヤになっちゃうわね」


 そう言って彼女は指先に付いた血をペロリ、舐め取った。


「さて、次はどんな風にあたしを楽しませてくれるのかしら?」


 言葉を言い切るのが早いか、空切は空けた間合いを一瞬にして詰めた。

 だが正面から一直線に迫っていたはずの彼女だったが、気が付いた時には視界から消え――再び気が付いた時には視界から一歩外れた死角へ。

 右から左へ薙ぎ払うような刀は、遅れながらも滑り込んだナイフにその役目を妨害された。

 先程までと違い中佐は左右へ一本ずつナイフを手にしている。その所為で一撃と一撃との間隔はより狭く絶え間ない。時に二方向同時に――時に時間差で。中佐はそれらをより高度な次元で行い、自由自在なナイフ捌きはまるで複数人を同時に相手取ってるかのような感覚さえ感じさせた。

 だが空切は未だ余力を残しているのか楽し気な表情を崩さぬまま一つギアを上げては、先程と変わらぬ互角な戦いを繰り広げていた。

 そして両手のナイフを連続で受け止めた空切は、三撃目をしゃがんで躱すが、次の瞬間には背後から襲い掛かるナイフを振り向きざまに構えた刀で防いだ。それからも四方八方から襲い掛かる二つの刃。その中心で空切は背後から振り下ろされようとも的確にそれを受け止め、弾いて見せた。


「そう簡単にお触りはさせない主義なの」


 そしてそれは正面からの攻防の最中。中佐のナイフが下から三日月を描き抉るように空切の腕を掠めた。だが刃の後を追うように噴出す鮮血が宙へ散らばるもののそれは少量。深手と言うには少な過ぎる量だった。

 それは最初に刃を交えてからの繰り広げられてきた戦闘の中でも取るに足らない一コマ。――のはずだったが……。

 斬られた箇所を一瞥したその瞬き程度の隙を見逃さず、中佐は死角からナイフを忍ばせた。そのナイフを視界端で捉えるとほぼ同時に体を逸らせ始める。迫るナイフと後方へ逃げてゆく顔。そして刃先が睫毛を掠めながら間一髪でナイフを躱した空切だったが、体を戻す事はせずそのまま天を仰ぎ体を逸らせていった。

 そしてまず片足が地面から離れる。流れは途切れることなく、体でアーチを描きながら両手が地面に着くと、先に上がった足が先行しそれを追いもう片足が地面を離れた。

 すると後追いの足は地面から離れると持ち上げられる勢いのまま、轢くように途中で中佐の顔を蹴り上げた。それでも止まる事なく、天井へ向け開脚をするそれぞれの足は反対側へと渡っていく。

 そして最初の位置から軽やかで滑らかなバク転をした空切は、最後に地面から手を離し逆さになっていた上半身を持ち上げた。

 一方で天を仰がされた中佐は顔を正面へ戻すと血液混じりの唾を横へと吐き捨てた。


「どうやら予想以上に手練れだったらしい」

「あら。もしかして美人だから大したことないとでも思った?」

「お前は目的を達する為に誰かを殺せるか? 部下上司同僚一般人。そいつの犠牲で目的が達せるのなら、お前はどうする?」

「その時の気分かしら」


 中佐の返事は会話を成していなかったが、空切は一瞬だけ悩む素振りを見せてからそう答えた。


「一部の敵を殺す為に街を一つ焼けるか?」

「そんな事しないわ」


 フッ、と失笑するような声を零し言葉を続けた空切は首を微かに振っていた。


「だってそんなのつまらないでしょ? この手でちゃーんと食べた方が楽しいじゃない」


 そう言いながら彼女は指先で刀身をそっと撫でて見せる。


「目的を達するのに一番必要なことは、どれだけ効率良く確実な選択をするか。それ以外のものは必要ない。適切な瞬間に、適切なカードを切る」


 すると空切は突然、少し体を押され半歩後ろへ。ほんの一瞬だけ遅れ感じたのは――脇腹の触覚。だが次の瞬間には轟音で打楽器を殴り鳴らすかのような痛みの信号が脇腹から全身へと絶え間なく響き渡った。

 理解を求めるように空切はゆっくりと視線を全ての感覚が集まる脇腹へ。

 そこには向こうから伸びた触手のような一本の何かが、自分の体を貫いている光景があった。それを確認するのとほぼ同時にそれは引き抜かれ、彼女は意志とは関係なく膝から崩れ落ちていく。体にぽっかり空いた穴から閉め忘れた蛇口のようにドバドバと流れ出す鮮血は、手をやったところで止まるはずもないが彼女の片手を一瞬の内に血塗れにするには十分過ぎる量だった。

 一方で彼女の体を貫いたものはひゅるりと一気に身を縮め、中佐の背後へと戻っていく。うねるそれは尻尾のようだが、先端では二つの剣身が十字を描いていた。


「自分を奢ってる者ほど良く効く。まさか相手が余力を残してるとは考えもしないからな」

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