暁の誓約(一)

 夜が明けた。


 この七日、〈魔王〉のかけた呪いに全身全霊で立ち向かっていた。考えつく限りの手段を試し、躊躇いなく血を流し、助言を、力を受け入れ、放ち続けた。

 だがそれも、呪いの進行を僅かに遅らせるだけしか効果はなかったのだ。

 祭壇が暁光に煌く中、ぴったりと、国境の際まで呪いの範囲が行き渡ったことを感じ取る。

「……ニネミア。そろそろ、決断しなくては」

 声を出すだけで、痛みが胸を焼く。

 この七日間、掛け値なしに不眠不休で飲まず食わずだ。それ以前も、大して彼を取り巻く状況はよかった訳ではない。

 竜王の恩寵を一身に受けていることだけが、彼をまだ立ち続けさせていた。

「決まっているでしょう。続けるか、諦めるかですよ。尤も、続けたところでもう事態は好転しないと思いますけどね」

 掠れた声が、苦い響きを帯びる。

 呪いが、フルトゥナの国内全てに行き渡った。

 もう、この地に生存する民は一人もいない。

 そして、七日をかけても、この呪いを破れなかった。今からどれほど奮起しても、今以上の力は絶対に出せない。

 不承不承、といった風竜王の承諾を得て、オリヴィニスはその場に倒れこんだ。十数分間、荒く呼吸を繰り返している。

 このまま死んでしまっても構わないほどに、身体は眠りを欲していた。だが、青年はやがてよろり、と立ち上がる。

 力なく歩いて、祭壇の間に横たわる遺体に近づいた。

 この地は、呪いの発生源だ。彼は、この地に残った者たちは、今から七日以上前に亡くなってしまっている。時期としては、あまりよくない。

 覗きこんで、予期した通りの状態に眉を寄せるが、しかし躊躇いもなくその身体を抱き起こす。

 階段へと向かいかけた彼は、視線をふと横へと流した。薄く緑色がかった球体が、祭壇の間の外の虚空に浮いている。

「……ありがとうございます、ニネミア」

 小さく礼を告げて、オーリはその中にそっと友の身体を横たえた。

「下を見てきます」

 このアーラ砦は、激戦地となった。敵も味方も、この周辺でかなりの人数が息絶えている。

 気持ちを奮い立たせ、高位の巫子はただ一人、暗い階段を下りた。



 十人程度集めたところで、一度地上に降り立つ。

 街の敷地は、街路が石畳で舗装されているから、上部の建物が消滅した今でも現在地を大体は把握できる。

 オーリは、竜王の御力を引き連れて、見晴らしのいい道を街外れへと向けて歩いた。


 岩の少なそうな辺りの草地を掘り返す。

 本当は手作業でやりたかったが、倉庫から道具を持ち出そうとした時点で、体力が残っていないことを痛感し、諦めた。

 それに、おそらくは長い期間に渡る作業になりそうだ。できる限り、時間を短縮した方がいい。

 よって、オーリは今も竜王の御力に頼っている。

 幸いと言うべきか、彼には今、七日前までとは比べ物にならないほどの力があった。

 最低でも二、三メートルの深さは確保する。あまり浅くては、狼や野犬や狐に荒らされそうだ。

 事実、人がいなくなった街の跡地に獣が入りこんでいる姿を見つけている。何か、対応策を講じなくてはならないだろう。

 そして、穴の底へ降り立った。棺は用意できない。花もだ。ただ、竜王が運んでくれた遺体を、一人ずつ穴の底へ横たえる。

「……すまない」

 幾度詫びても、足りない。

 民への後悔と執着とを苦く抱き、オーリは静かに穴を埋めにかかった。

 大方終わった辺りで、ふらりと身体が傾ぐ。

「あ、れ……」

 足をもつれさせて大地に倒れこんだ青年は、そのままぴくりとも動かなかった。



 目が覚めた頃には、もう陽が沈みかけていた。

 疲労のあまり貪ってしまった眠りは深く、少しばかり頭もはっきりし始めている。

 ゆらり、と起き上がり、アーラ宮へと向かう。

 やるべきことは山積みだ。だが、まずは身体を維持しなくてはならない、と痛感する。

 それが例え最低限の線だとしても。



 アーラ宮での戦いは、想定したよりも早く終わっている。

 戦いに際して準備していた食料は保存食が多く、また、さほど減ってもいない。略奪されるほどの時間もなかったため、殆ど全てが残っていた。

 尤も、侵入されることも考えて保管場所は分散され、巧妙に隠されていたため、数年経ってから思いもしなかった場所で発見したこともある。

 ともあれ、干し肉をかじり、水を飲んでいるオリヴィニスは、酷く無表情だった。

 まるで、砂を噛んでいるような味しかしない。

 早々に食べ終わると、休む間もなく立ち上がる。

 この先は、持久戦だ。動けるうちに、休息を取るための場所を確保しておくべきだ。

 オーリは、例えどんな状況であっても現実を直視し、最善の道を取るために全力であがく青年だった。

 幸い、裏口に近い場所に、風竜王宮親衛隊の休憩所があった。夜間の警備をする者たちが使っていた部屋だ。

 通用口からの道は、さほど複雑ではない。それを確認すると、オーリは即座に中央のうろに向かった。

 虚の最下部に、敵も味方も入り乱れ、死体が転がっている。

 イグニシア王国軍の死体まで埋葬するのは正直業腹だが、しかしこのまま放置していると自分が困る。

 せめて、埋める場所は離そう、と思い、オーリは彼らの身体を次々に竜王の作り上げた球体へ乗せた。

 外へ出るために礼拝堂に足を踏み入れる。そこもまた死体が散乱し、青年はやや通り抜けるのに苦労した。

 彼は徹底した現実主義者だが、しかし系統だった行動は苦手だ。思いついたところから手をつけるそのやり方は、後々彼を困らせることになる。

 だが、この時、彼が鬱陶しそうに頭を振ったのは、他の理由だった。



 先代の高位の巫子の遺品から、野犬避けの笛を見つけ出す。それを幾つかアーラ宮を囲む壁に下げ、四六時中風が通るように小細工をした。

 その笛から発生する音は野犬や狼、狐などにとって不快な音を発し続ける。獣たちは、この地には近寄らなくなるだろう。

 幸い、オーリの聴力をもってしても、それは聞こえる音ではなかったので、それに関しては彼は不便を感じなかった。


 彼は、元々遊牧民の出身だ。家畜を殺し、肉にする過程はよく判っている。

 この何ヶ月もの間戦場に居続け、人の死体を目にする程度ではもう動揺もしない。

 血と、肉と、内臓の匂いを全身に沁みこませながら、それでも彼は黙々と埋葬し続けた。

 食事も休息も、ぎりぎりになるまで耐える。ようやく手にする時にも、かび臭い食料と寝台に何の感慨も抱かない。

 彼が敵も味方も関係なく同じ墓穴に埋めるようになるまで、時間はかからなかった。

 アーラ宮の外は業火に焼かれているため、その時に生命いのちを落とした死体は影すら残っていない。彼らを埋葬できないことに僅かに胸が痛むが、しかし、多分、彼らにとってはどちらでも構わないのだろう。

 これは、自分の感傷だ。


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