いつか、竜の舞う丘で。

 翌朝、クセロはぐったりして馬に跨っていた。

 見事な二日酔いである。

「……なんで旦那はそんなぴんぴんしてるんだよ……」

「いや、一応俺は〈魔王〉の血を引いてるんだしそんな恨みがましい目で見られても」

 対処のしようがなくて、苦笑する。

 クセロとはここまで飲み明かしたことはなかったが、おそらく彼も普段よりも悪酔いしていたのだろう。

 一方、アルマは酒に強い。限界まで試したことはないものの、そうそう酔い潰れることも、翌日に引きずることもなかった。

「もう何日か滞在していかれてもいいのでは?」

 尋ねるのは、ペルルだ。すぐにクセロが発つと聞いて、昨日早々に休んでしまった彼女は酷く残念そうである。

「気持ちは嬉しいが、できるだけ早くオーリとプリムラに知らせてやらねぇとな。ま、また近々来る機会もあるだろ。その時は歓迎してくれよ」

 意味ありげに、クセロはアルマに視線を向ける。

 ペルルも仲間たちを理由に出されると、弱い。

 せめて、と、二人はクセロを見送りに街の外まで行くことにした。



「どういうルートだ? まさか、陸路で行くわけじゃないだろ」

 街道を進みながら、アルマが尋ねる。ここからフルトゥナへ、しかもアーラ砦へ向かうとなると、陸路では二ヶ月以上かかるだろう。

「当たり前だろ。湖に出て、船だ。前にオーリが時間だか距離だかを縮めたことをおやっさんがやってくれる、とも言うんだが、カタラクタもフルトゥナも無人じゃないしな」

 万が一何かあったら困る、とクセロが苦笑する。

「ま、陸路で三日、船で三日、また陸路で三日だな。アエトスは湖の傍だから、その点は楽なんだが」

 内陸に重要都市があると交易に不利だ、と、今や商売人でもある地竜王の巫子は零す。


 名残惜しさに、小一時間ばかり同行したところで、呆れた顔でクセロは二人を見た。

「そろそろ戻らねぇと、色々差し障るんじゃねぇか? フルトゥナまで一緒に行くわけじゃねぇんだから、引き際を考えろよ。戻ったら夜になるぜ」

「まだ昼にもなってないぞ」

 反射的に返すが、しかしこのままではそうなりかねない。

 アルマとペルルが手綱を引くのを見て、クセロは片手を上げた。

「じゃあな。また、今度」

 遠ざかる男の後頭部でふらふらと尻尾が揺れている。

 人間、あらゆることに慣れてしまうものなんだなぁ、と思いつつ、数分間その後姿を見送って、アルマはペルルに向き直った。

「ちょっと、遠回りして帰ろうか」



 街道を外れ、ゆっくりと、草の間を進む。

 カタラクタ王国のこの辺りは、緩やかな丘が連なる地形となっている。風にざわざわと揺れる草の先が、大きく波打つように動いて見えた。

 ぽつりぽつりと、グランの話をする。

 ペルルは、昨夜一人で悲しみに沈んでいた。それはそれで必要なことだが、他者と想い出を分かち合う、というのも、気持ちを収めるのには大切な経緯だ。

 アルマは、幾度かの経験でそれを知っている。

「幸せになれ、というのは、三年前、父がステラに刺された時に俺達に言い残そうとした言葉でもあるんだ」

 薄く笑みを浮かべながら、アルマが告げる。

 思い出すのは、悲しみだけではない。

 まあ、と、ペルルが驚いたように呟いた。

「結局、死ぬ時に思い残すこと、っていうのは、そういうことになるんだろうか。後に残していく人の、幸福を願うとか」

 もう、何もしてあげられないから。

「そうかもしれないですね」

 感慨深げにペルルは頷いた。


 丘の上にさしかかったところで、馬の脚を止めた。

 地面に降り立つと、ペルルも片手を出してきた。近づいて、手が肩にかかるのを確認してから、少女の細い腰を掴み、馬から下ろす。

 草の、土の、生命の匂いが足元から立ち昇ってきた。

「……ペルル」

 空は、晴れて澄んでいる。

 遠くに、水竜王フリーギドゥムの名を冠した都市が見える。

 明るい光の下で、少女は柔らかな笑みを湛え、こちらを見つめてきていた。

 この地で出会ってから、三年半。

 思えばその間、離れていた日々は殆どないことに驚く。

 少女の存在は、既にとても強くアルマの運命に食いこんでいた。そうでないことなど、考えもつかないほどに。

 この鼓動は、彼女に聞こえてしまいはしないだろうか。

 乾きかけた唇を、開く。


「俺が……、俺は、一生かけて、貴女を幸福にすると、誓う。だから、ペルル。俺の幸福のために、傍にいてはくれないだろうか」


 ペルルの笑みが、ゆっくりと深まる。

 願わくば、そう、幸福そうに。

「一生?」

 囁くように、ペルルは問いかけた。

「ああ。一生」

 アルマが、断言する。

 片手を胸に当て、亜麻色の髪の少女は誓うように口を開く。


「ええ、アルマナセル。二人で、幸福になりましょう」



 衝動的に、ペルルの身体を抱き竦める。

 ゆっくりと、小さな手が背中に回った。


 他人から愛情を寄せられるなんて、思いもつかないことだった。

 伝わる温かさが、こんなにも安心するなんてことも。



「約束を果たすことができました」

 小さな声に、戸惑う。

 その気配を感じたか、ペルルは僅かに顔を上げて微笑んだ。

「ほら、以前に、私が水竜王様とお会いした丘に、一緒に戻りましょうとお願いしたことがありました」

「ああ。でも、フリーギドゥムに来てすぐに、ここを訪れたと思うけど」

 アルマの言葉に、ペルルは更に笑む。

 楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに。

「約束は、何度果たしたっていいのよ、アルマ」

「覚えておくよ」

 つられてアルマも笑う。

「特別なことは、いつもこの丘で起きるのね……」

 小さく、ペルルは呟いて、空を見上げた。

 遠い日を思い起こすように。

 遠い日を思い浮かべるように。





 次に特別なことがあった時も、きっとここにいるのだろう。



 いつか、また、竜の舞う丘で。



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