幸福論

 重苦しい雰囲気の中で食事を済ませ、ペルルは早々に部屋に引き取った。

 アルマとクセロは、なんとなく二人で酒杯を交わしている。

「旦那、最近凄い活躍だったそうじゃねぇか。こっちまで噂が流れてきたぜ」

 クセロが軽く言うのに、苦笑する。

「どんな噂なんだよ」

 アルマは、三年前に休戦協定を締結し、その後のごたごたが終わった後に、正式に水竜王宮に所属することになった。

 カタラクタ王国において、水竜王宮には表立っての敵はいない。王家とも貴族とも商人とも庶民とも、そこそこ友好的にやってきていた。

 だが、それだけに、交渉ごとの専門家がいなかったのだ。

 〈魔王〉のすえは竜王には帰依しない。世俗と関わってはならない、という戒律の外にある。

 アルマは、水竜王宮で渉外を担当することになった。彼の父祖が、火竜王宮でそうしていたように。

 竜王宮の利益のために貴族と渡り合える人材というのは、実に貴重なのだ。

 尤も、社交界に引っ張り出される頻度も高いため、その点だけはペルルはややむくれ気味である。

「お前の噂だって、よく聞くぞ。羽振りがいいそうじゃないか、鉱山王」

 茶化すように言うと、クセロはにやりと笑う。

 三年前、イグニシア王国は地竜王へ直轄地の提供を申し出た。

 一つの国に二柱の竜王がいる、というのは、なかなかのステータスではある。

 勢力が小さい分、大した準備も要らないので、その時は王室が上手だと思われた。

 だが、相手は地竜王だ。大地を知り尽くした竜王が望んだのは、クレプスクルム山脈に近い、一つの山。

 王室がその地を支配する領主にかけあい、地竜王宮の直轄地となった地に乗りこんだクセロは、その山の中できんの鉱脈を掘り当てる。

 いや、最初からそのことは判っていたに違いない。

 今やその土地には鉱山街ができ、賑わい、人々は鉱山の権利を持つクセロに従っている。

 鉱夫の守護者としての地竜王を参拝しに、各地から人々がやってくるほどだと言う。

 竜王宮の直轄地からは、税は取れない。ステラはさぞかし悔やんでいるだろうな、とアルマは小さく笑んだ。 

「他の山にも幾つか目星をつけてはいるんだが、どいつもこいつも慎重になっててよ。なかなか譲ってくれねぇんだ」

 それなりに金は払うってのに、と、クセロが零す。

「お前も真っ当になったよなぁ」

「鉱山主なんて、本来山師もいいとこだ。考えが甘ぇよ、旦那」

 人の悪い笑みを崩さずに、男は杯に酒を注いだ。

「フルトゥナにはこれからか?」

 アエトスを発って一週間、となると、おそらくここへ直行したのだろう。そう思って話を変えると、クセロは頷いた。

「大丈夫なのかな、あいつら」

 気遣わしげに眉を寄せ、アルマは呟いた。

 三年前、カタラクタに戻り、反乱軍に合流した彼らは、オーリの部下イェティスの負傷に直面した。

 彼は、左足を膝のすぐ下で切断していたのだ。

 そして、その状況で、しかも切断して一ヶ月しか経っていないというのに、平然と馬に乗っていた。

 その時、アルマは中途半端な慰めしか出てこない自分に、不甲斐なさを感じたものだ。……無論、オーリに対して。

「ドゥクスが時々フルトゥナに行ってるから、話は聞こえてきてるぜ」

「ドゥクスが?」

 少しばかり驚く。あの火竜王宮竜王兵隊長は、風竜王宮親衛隊隊長とは犬猿の仲だったのだが。

「ほら、イェティスがやられた時、近くにいたのがドゥクスだっただろ。ちょっと気にやんでいるところがあるんだ。責任感の強い奴だからな」

 それに、フルトゥナは国家と竜王宮を共に再建している途中だ。人手は幾らあっても足りないだろう。

「当然、ごたごたはしてるらしい。できる限りフルトゥナの民だけを受け入れたいらしいが、商人だの何だのが入りこんでる。盗賊の類は、勿論こっそり国境を越えてるしな」

 荒れ果てた都市に入りこみ、財宝を探しているのだ。

 基本遊牧民だったフルトゥナの民は、判りやすい財産はあまり残していないのだが。

「国王だとか貴族だとか、あと、氏族か? あの辺りの血統はもう全然辿れない。子孫だ、って連中が林立してるらしいが、それを認めたら際限がないからな。オーリが統治にも駆りだされかねない状況だとさ」

 まあ、世俗に関わらない、という戒律を盾に逃げ延びはするだろうが。

 それでも、落ち着くまで、あの青年が関わらないわけにはいかないだろう。

「大変だな……」

「ああ。おれもとっとと帰ることにするよ。長くいたら、手を貸せとか言われかねない」

 他人事のように笑いながら、クセロは不人情な予定を立てている。

「お前がオーリから逃げられるかどうかは、かなり分の悪い賭けだぜ」

 アルマも苦笑した。



 酒杯を重ね、近い、遠い関係の者たちの近況を語り合い、時間は真夜中を回る。

 やがて閉ざしがちになった口を、クセロは開いた。

「……なあ。大将はさ。大将自身は、幸福だったのかね」

 らしくない言葉だ。酔っているのだろう。

 そういうことにして、アルマも熱い息を吐く。

「さあな。俺は、グランの人生を全部知ってる訳じゃないが……」

 言葉を捜して、指がグラスの縁をなぞった。

「そうだな。きっと、満足してたんじゃないか」

「そう、か」

 金髪の巫子は小さく呟く。

「……なぁ、旦那。おれは、幸福ってのが、何だかよく判んねぇ。少なくとも、生きていくのに充分な金が稼げてる今は、ある意味幸福なんだろうって思う。けど、多分、大将が言いたかったのはそうじゃないだろ。その程度のことなら、大将の下で働いてた時だって、おれは幸福だった筈で、大将は今、おれにそれを言い残さなかった筈だ」

「ああ」

 ぎし、と木が軋む。クセロが、椅子の背にもたれ、天井を見上げているのだ。

「旦那の幸福は、すぐ傍にあって、手が届くんだからよ。ぐだぐだやってないで、とっとと幸せになっておけよ。心配かけんな」

 ぼそりと告げられる言葉に、僅かに怯む。

 心配する相手は、クセロではないのだろう。

「……にしても、慣れてんな、お前」

 クセロが頭上の地竜王を気にも留めず、また、地竜王も平然とそのままの姿勢を保っていることに、半ば感心し、半ば強引に話を変えたくて、アルマは呟いた。

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