終章

フリーギドゥム

 その男は、一人、街道を馬に揺られていた。

 すれ違い、または追い越す者たちが、ぎょっとした顔で彼を見つめていく。

 午後を回った辺りには、目的地が見えてきた。

 街の巨大な門を通るためには、門衛の誰何すいかを受けなくてはならない。自然、荷馬、荷馬車など取り混ぜた行列が長く街から延びている。

 だが、その最後に並ぼうと馬を進めていた男に、衛兵が二名、近づいてきた。

「こちらへどうぞ」

 礼儀正しく、畏怖さえ滲ませる言葉をかけられて、軽く頷く。先行していった旅人が知らせていったのか。

 こんなことは、既に慣れていた。

 衛兵の先導で行列の横を進むが、じろじろと向けられる視線は、しかし誰も異議を唱えようとしていない。

「どちらへ向かわれますか? 宜しければ、護衛をおつけ致します」

 門を抜けたところで、衛兵が申し出た。

「いや。場所さえ確認できりゃ、一人で行くさ。水竜王宮は、あのでっかいやつか?」

 男は、無造作に、街の中央にそびえる丸屋根の建物を指差した。



 来客の報せを受けて、廊下を走り抜ける。

 礼拝堂を見下ろす階段に出て、彼は大声を上げた。

「クセロ!」

 広大な空間で、周囲を遠巻きにされながら面白そうに立っていた男は、その言葉に顔を上げた。

「よぅ。旦那。久しぶり」

 金髪の男と、その頭部にちょこんと乗っている竜王とが、揃って片手を挙げてくる。


 彼らがイグニシア王国の王都、アエトスで別れてから、三年が経っていた。



「背ぇ伸びたな……。じきに追い越されんじゃね?」

 水竜王宮の廊下を奥へと案内されるクセロに、訝しげにそう言われて、アルマは苦笑した。

「お前たちに追いつけるとは思ってないよ」

 クセロと、もう一人の仲間ほどの長身は、そうそういるものではない。

「姫さんは?」

「今、会議中だった。報せは行っているだろうから、もうすぐ切り上げてくるだろう」

 こじんまりとした館の、居心地のいい居間に通す。クセロに椅子を勧めると、アルマは壁際の飾り棚へ向かう。

「何か飲むか?」

「まだ昼間だろ。いいよ」

 断られて、少しばかり驚く。

 以前は、泥酔することはなかったものの、酒を飲む機会があればそれを逃さない男であったのに。

「今日着いたのか?」

「ああ。そのまま、真っ直ぐここへ来た。汚れてるのは勘弁してくれ」

 土埃にまみれたブーツを示す。

「気にするなよ。泊まっていくんだろう?」

「その申し出を期待してたんだ」

 にやりと笑う男に、苦笑する。

「向こうの様子は? 皆はどうしてるんだ?」

 クセロは今、王都に住んでいない。だがイグニシア国内に居住しているし、国内の仲間たちの現状についてはアルマより詳しいだろう。

 だがその質問に、クセロは僅かに顔を曇らせた。

「姫さんが来るまで待とう。何度も同じことを話すのも無駄だ」


 ペルルは、予想通り十数分後には現れた。

「まあクセロ、お久しぶり! 地竜王様も、お変わりなく」

 満面の笑顔で、姫巫女が歓迎の言葉を述べる。

 クセロは、呆気にとられたようにそれを見つめていた。

「こりゃ驚いた。綺麗になったな、姫さん」

 男の言葉に、はにかむように目を伏せる。

「もう、子供の頃から知ってるのに、そんなことを言わないで」

「いや子供って」

 彼らが共に旅をしていた時は、ペルルは十四歳。三年経って、確かに彼女は輝かんばかりに成長していた。

 だが、クセロにとっては今も昔もまだまだ子供だ。苦笑して、アルマを見る。

『うむ。フリーギドゥムも自慢じゃろうて』

 重々しく地竜王も同調した。

 この竜王を見つけ出す時には、ペルルは酷く怯えていたものだが、既にそんな感情は消えている。

「皆様お元気? グラン様は?」

 椅子に掛け、嬉しげに尋ねるペルルとアルマを見て、クセロは上着の内側に手を入れた。

「まずは、仕事を済ませちまおう。火竜王宮から、親書を預かってきてる」

「親書?」

 クセロが卓の上に置いた封筒には、見慣れた火竜王宮の蝋印が押されている。

「一週間前、火竜王の高位の巫女の戴冠式があった。これは、巫女からの挨拶だ」


 その言葉が理解できるまで、しばらくかかる。

 火竜王に、新たな高位の巫女が立ったということは、つまり、今までの高位の巫子は。

「……なんで……」

 掠れた声を出すのが、やっとだ。

 ペルルは顔を青褪めさせて、クセロを見つめている。

「何でだよ! 俺に、何の連絡もなかったのに!」

 怒声を真っ直ぐに受けて、クセロは冷静に口を開く。

「大将が誰にも知らせるな、と命令してた。あんたもそれがどれぐらいの効力があるか知ってるだろう。最後まで、王都から外にその情報は漏れていない」

「……じゃあ、何でお前は知ってるんだ」

 きつく、拳を握り締めて、尋ねる。下手なことを聞いたら、目の前の男を殴りつけてしまいそうだ。

「うちには、ありとあらゆる戒律を無視する厄介な奴がいてね」

 頭頂部に竜王を乗せたまま、クセロは器用に肩を竦める。

「おやっさんが、大将が危ないって言うんで、王都に駆けつけたんだ。俺は散々罵倒されたが、まあ、おやっさんには何も言わなかったよ」

 理不尽には既に慣れているのだろうが、愚痴を零す。

 アルマは努力して手から力を抜き、大きく息をついた。

「俺だって、知ってたらすぐに王都まで戻ったのに」

 アルマには[門]を開くという奥の手がある。王都には父親や従兄いとこ、そして元とはいえ契約を結んでいた主人がいたのだ。しるべには事欠かない。

「あんたが来たら、また生き延びちまうかもしれないからな」

 だが、更なる言葉に鋭く顔を上げた。

「クセロ、お前……!」

「忘れるなよ、旦那。三年前、当人の意向を無視して、大将を生き延びさせたのはおれたちだ。全部、おれたちのエゴだ。あん時、大将が起きた後の罵倒っぷりったら、おれが知る限り、最大限に凄まじかった。それでも、結局、大将はそれを受け入れた。受け入れて、くれたんだ。ただ、今回の身体が限界を迎えたときに、絶対に次はない、とあの人は決めたんだよ」

「だけど……」

 突きつけられる事実に、混乱が深まる。

「おれだって、大将に死んで欲しかった訳じゃない」

 ぽつり、とクセロは呟いた。ペルルが俯いて、肩を震わせている。

「また、お会いできると思っていましたのに……。三年なんて」

「正直、三年保ったのも奇跡に近いんだ、姫さん。聞いた話だが、元々あの身体は長く保つもんじゃなかったらしい。最近は精々五、六年がいいところだった。しかも、三年前に施術しようとした時には、既に龍神がこの世界から消えて数時間経っている。その間、保管されていた身体は、どんどんと死に向かっていた。魔力が足りなくて、旦那とエスタが二人がかりで何とかしたが、それでも多分、充分じゃなかった。……おれが会った時、大将はぼろぼろだったよ。それに比べれば、三年前の状況なんて、軽いものだった」

 多分、今回も延命を望んでいたとしても、次の身体はもうなかったのだろう。

 覚悟はしていた。ただ、早すぎただけで。

 ペルルの手が、膝の上で服を掴む。アルマは、ぎこちなくその背に手を添えた。

 クセロは謝らない。他の誰に話さなくてもいいが、彼らには告げねばならないことだったのだ。

 それでも、彼が立ち会った惨状に比べれば、言葉で伝え聞くことなんて楽なものだ。

「……大将から、伝言も預かってる」

 そして、金髪の男は、静かに告げた。


「幸せになれ、と」


 堪らずに、ペルルは泣き伏した。



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