純潔
ある昼下がり、火竜王宮の居間の一つに、アルマとオーリは座っていた。
「結局、カタラクタに行くことにしたんだって?」
面白そうな顔で問いかける青年に、曖昧に頷く。
「ああ。グランが大公家を解放する、っていうのは本気みたいだし。親父も、俺の好きにすればいいって言うしな。向こうで俺に何ができるかは判らないけどさ……」
オーリは、以前、この件が終わった後に風竜王宮に来ないか、とアルマを誘ったことがある。その提案を蹴る形になって、少々気まずいのだが、当の青年は全く気にしていないようだった。
「そうか。おめでとう。結婚式の日取りが決まったら教えてくれよ」
にこやかに告げられて、眉を寄せる。嫌味だ。
「莫迦なこと言うなよ」
だが、オーリは小首を傾げた。
「それはまあ、君もペルルも、二人ともまだ若い気はするけど。でも、あと数年ってところだろう」
「結婚なんて、できる訳ないだろ。……ペルルは、巫女なんだから」
しかも、高位の巫女だ。
苦い思いを胸に、言い放つ。
だが、風竜王の高位の巫子は、きょとん、としてこちらを見つめている。
「え?」
「……え?」
異口同音に、小さく呟いた。
何やら、嫌な予感が湧き上がる。
ふと、何かに気づいたように、オーリが表情を変えた。
「あー……、ああ、確かに、私が知っている竜王宮の規律は三百年前だからね。今だと、変わっている可能性があるのか。うん」
奇妙な顔で、取り繕うように言いながら、さり気なく立ち上がる。
「おい、待てよオーリ。お前何を……」
「何って、そりゃ、今の規律を知っている相手に尋ねに行くんだよ」
奇妙な表情を、つまり笑いを堪えていたのを崩し、楽しげに彼は手近な窓から身を躍らせた。
「待ちやがれてめぇええええええ!」
少年の怒声が、神聖な竜王宮に響き渡った。
こん、という小さな音に顔を上げる。窓の外のテラスから、見知った青年が手を振っていた。
「……何をやっているんだ……」
僅かに呆れ、腰を上げる。閂を外し、ガラスの嵌められた扉を開くと、何が楽しいのか笑みを浮かべたままオーリは入ってきた。
「具合はどう?」
「まあまあだ」
一応は気遣ってくる言葉に肩を竦め、椅子に戻る。
「それでお前は一体そんなところから何を」
「グラン!」
怒声と共に、ばん、と、扉を開いて、つんのめるようにアルマが姿を見せた。
「……お前たちは何をやっているんだ」
ほとほと呆れて、幼い巫子は呟いた。
「竜王の巫子は、婚姻できないと思っていた?」
眉を寄せ、訝しげな表情で、グランが繰り返す。
「風竜王宮ではそんなことはなかったし、昔はよそも同じだったと記憶しているんだ。今、規律が変わってしまっているのかと思って、尋ねに来たんだよ」
オーリが説明する。
余計なことをつけ加えないように、アルマが睨みつける。
正直、ペルルのところに行かれたらどうしようかと思ったが、流石に彼もその程度の分別はあったのかもしれない。
尤も、代わりの相手がグランなら状況はどっこいどっこいだが。
「一体、どうしてそんなことを思いついたんだ?」
グランは視線をアルマに向けた。
「いや……。ほら、オーリは『純潔』をやたら重視してただろ」
以前、ステラに対して
「こいつは異常だ。基準にするな」
「酷いな、君は!」
きっぱりと言い切ったグランに、風竜王の高位の巫子が抗議する。
「それに、火竜王宮の巫子で、誰か結婚しているか?」
憮然として、アルマは続けた。
子供の頃から王都の火竜王宮に通っているが、男女とも、巫子の中に既婚者はいない。
だから、漠然と、巫子というものは竜王に対して純潔でなければならないのだ、という思いこみがあったのだ。
その言葉に、グランは少しばかりばつの悪い顔になる。
「それは……まあ、うん、僕のせいだ。僕がずっとこの年齢から成長しないから、なんとなく、皆が気を使っていたんだ。本宮に仕えている者が婚姻を結ぶ時は、他の竜王宮へ異動することが慣例になってしまっていた。僕がそれに気づいたのはかなり経ってからで、もう止めるように、と言うことも難しかったんだ」
正直、当時はそれに
「そうなのか?」
流石に少し勢いを落として、アルマは訊き返した。
「ああ。ほら、オーラレィの竜王宮に、カペルがいただろう」
四ヶ月前、王都を逃げるように脱出して、すぐに立ち寄った街の竜王宮だ。そこには、アルマの見知った顔がちらほらあった。
「あれは三年前、結婚するからと異動していった」
「聞いてなかったぞ、そんなの!」
さほど深く関わっていた訳ではないが、水臭い。
「だから、皆が僕に対して過剰に気を使うんだ。お前が僕の前で話題に出したらどうしようかと思ったんだろう」
僅かにうんざりした顔で、グランが説明する。
「苦労するねぇ。君の部下は」
「要らん苦労だ」
楽しげに感想を述べるオーリに、憮然として返す。
「ともかく、竜王宮の巫子は、特に婚姻を禁じられてはいない。勿論、相手が俗世の人間でも構わない」
気を取り直し、アルマに向き直ると、グランはさらりと纏める。
混乱して、アルマは椅子に
勿論、ペルルはそのことを承知しているだろう。
彼女が今まで自分に向けてきた笑顔の、言葉の、態度の意味が、一変する。
そもそも、水竜王宮に誘われたこと自体が、つまり。
ふらり、と立ち上がる。
「アルマ?」
「……一人で考える」
力なく肩を落として、扉へ向かった。
「今更断るなんてことをするんじゃないよ。ペルルが傷つく」
「判ってるよ」
失礼にも念を押すオーリを一瞥し、アルマは部屋を出て行った。
「……手を貸すべきかな」
「放っておけ。他人の人生を操ろうなんて、いい結果になったためしがない。例え、それが好意からであっても」
オーリの呟きに、冷たいとも取れそうな口調でグランは返した。
「君とは思えない言葉だね」
「僕があいつを操る理由なんて、もうないだろう」
扉へと向けられたその視線は僅かに寂しげではあったが、オーリはそれに言及することはやめた。
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