フルトゥナの戦い

 ノウマードの歌は続く。



 〈魔王〉アルマナセルの、王女レヴァンダに対する求婚は、まずは戦が終わってからとなった。

 王子イーレクスは、まず自軍をフルトゥナとの国境へと向けた。派手派手しく進軍し、騎馬兵と小競り合いを幾つか起こす。

 地形を知り尽くし、風のように襲撃しては離脱するというフルトゥナの戦法に苦戦しつつ、それでもじりじりと前線を先へと進めていた。

 一方、〈魔王〉アルマナセルはカタラクタ王国へと向かっていた。

 冬の山を越えることはない、まして、他国を通過してくることなど考えもしなかったフルトゥナは完全に裏をかかれた。

 カタラクタの黙認の元、僅かな手勢で身を隠しながらフルトゥナへ侵入した〈魔王〉アルマナセルは、一夜にして王国の辺境地帯を壊滅させる。

 ただでさえこちら側は護りが手薄だったこともあり、抵抗はほぼ無意味だった。

 その知らせが届き、王子イーレクスと闘っているフルトゥナ軍も徐々に浮き足立つ。

 このまま、いとも容易くこの地を掌握できるかと思われた。


 しかし、風竜王の高位の巫子は、最期に草原へと呪いをかけた。

 ただ一人として、この地に留まることはできないという呪いを。

 崩壊する竜王宮の中、巫子は息絶えるまで呪詛を叫び続けていたという。


 イグニシア王国軍も、フルトゥナの民も、皆が共に国境を目指し、走った。

 その後ろで、草原は見る間に枯れ果て、川は干上がり、逃げ遅れた人々は全て死に絶えた。

 邪悪なる巫子の呪いは、誰も踏みこめない大地に、三百年を経た今もなお変わらずに蠢いている。


 凱旋がいせんした王子イーレクスは、やがて王となってイグニシアを平和に統治した。

 その傍らには、常に〈魔王〉アルマナセルとその妻レヴァンダの姿があったという。



◇ ◆ ◇ ◆



 リュートを背負ったノウマードが天幕を訪れたのは、食事がほぼ終わった辺りだった。

 優雅さすら感じられる仕草で右手を胸に当て、一礼する。

「お呼びだそうで」

 あからさまに不快感を顔に出したテナークスが席を立つ。

 なんとなくその後姿を見送ってから、アルマはノウマードに視線を向けた。

「向こうで歌っててくれたんだって? 悪いな」

「いや、これからしばらくお世話になるんだしね。ロマにとって、歌うのは別に苦でもない。気遣いは必要ないよ、アルマナセル様」

 呼びかけだけ敬称をつけて、にこやかに笑ってくる。

 その辺りは無視して、先に用意させていた椅子を勧め、ワインをその前に置かせる。

「気前がいいねぇ」

 グラスに手をつけず、ノウマードはもの問いたげにじっと見つめてきた。

「いや、頼みがあるだけだ。彼女に、何か歌を聞かせてやってくれないか」

 青年は、ちょっと驚いたようにペルルに視線を向ける。期待に目を輝かせている少女に、楽しそうに小さく笑った。

「いいとも。では、『薔薇の姫君と騎士』でもお聞かせ致しましょうか、姫巫女」

 一口だけワインで喉を潤すと、ノウマードは慣れた手つきでリュートを胸に抱いた。



◇ ◆ ◇ ◆



 翌朝、アルマは酷く不機嫌なエスタと顔を合わせた。

「……どうした?」

「おはようございます。昨日のことですが」

「昨日?」

 昨日は色々ありすぎたな、と思いつつ、用意された洗面器で顔を洗う。

「例のロマが、兵士たちの前で歌っていた、フルトゥナの戦いの歌のことです。ラスタディウス版の亜流だったと」

 タオルを受けとり、起きぬけの頭でしばらく考える。

「ラスタ……ディウス?」

 タオルから覗いた顔は、おそらく引き攣っていたに違いない。眉間に皺を寄せ、エスタが無言で頷く。

 先の大戦には、酷くドラマチックな要素が多かったこともあり、この三百年で多数の作家や作曲家が物語を作っている。

 ラスタディウスという作曲家が作った歌劇は、その中でも殊更に〈魔王〉と王女のロマンスを全面に押し出したものだった。

 一度つき合いで観劇したことはあったが、二人の恋の駆け引きがずっと続いていたことしか覚えていない。正直、行軍中に恋文を出す演出など、隠密行動をしていた筈の〈魔王〉は頭がおかしいとしか思えなかった。

「……うわぁ……」

「どうしようもないとは思いますが、まあ、心構えだけでもと」

 呻きながら、椅子に座りこむ。アルマの寝癖のついた髪を整えながら、エスタは続けた。

「一体どうしてあんな男を拾ってきたんですか?」

 混乱したままの頭で、色々と理由を考える。

「……成り行き?」

「自業自得ですね」



 天幕を出て野営地を抜けている間に、忙しく立ち働いている兵士たちと何人も顔を合わせる。

 ……普段よりも彼らの顔つきが笑みに満ちていることは、おそらく気のせいだ。絶対に。

 拳を握り締めると、ぎし、と手袋が軋む。

 この十六年の人生で何度目になるか、自分の生まれを呪いながら、馬車の傍、自分の馬が繋がれている場所まで辿りついた。

「やあ、いい朝だね、アルマナセル」

「……何でお前がここにいるんだよ!」

 馬上から、しれっと挨拶してきたノウマードに、腹の底から怒鳴りつける。

「えー。君や姫巫女が退屈かと思って、道中お慰めするために来たんじゃないか」

「心底余計な世話だ!」

 一度大きく呼吸して、青年の飾り気のないマントを引いた。身を屈めてくるノウマードに、低く囁く。

「お前。昨夜のこと、わざとなんだろう」

「え? わざとってそんな。彼らの話を聞いて、多分潤いに欠けてるんだろうなぁと思ったから、恋愛要素の濃いものにしたんだけど」

「何についてかは言ってねぇのによく判ってるじゃねぇか」

 だが、アルマが引っ掛けるつもりだったことさえ、青年には予測のうちだったらしい。にこりと笑んで、言葉を続ける。

「これで、兵隊さんたちからの君に対する好感度がぐんと上がるってものだろう?」

「やかましい!」

 間髪を容れずに怒声を上げる。初めて、ノウマードが僅かに傷ついたような表情を浮かべた。その落差に、一瞬怯む。

「あ、いや……」

「ああ、救国の英雄、〈魔王〉アルマナセルの子孫、誇り高きレヴァンダル大公子が、生命いのちの恩人に対してまさかこんな恩知らずな言葉を口にするだなんて!」

「あああ斬り捨ててぇ……」

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら呻く。

 芝居がかった仕草で非難の声を上げていたノウマードが、姿勢を正した。穏やかな笑みを湛えて、アルマナセルの背後を見つめている。

「おはようございます、姫巫女」

 慌てて、少年が背後を振り向いた。

 汚れ一つない巫女のローブを着て、ペルルが立っていた。

 前日、自らの民を思い、行動したことで幾らか気持ちも沈んでいるように見えていたが、それも今は落ち着いたようでにこやかに微笑んでいる。

「おはようございます。アルマナセル様、ノウマード」

「おはようございます」

 アルマが進み出て、手を取った。御者を務める兵士が扉を開けている馬車に近づく。

「ご気分はいかがですか」

 小声で尋ねる。少女は僅かに眉を寄せたが、すぐに笑みを浮かべた。

「もう大丈夫です。我が儘を申し上げてしまって、申し訳ありません」

「とんでもない」

 二人の侍女が乗りこむのを確認して、一礼する。そのまま自分の馬に身軽に跨った。

 進軍の号令をかけるのを、面白そうな目でノウマードが見つめていた。


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