晩餐
テナークス副官は、苦虫を纏めて噛み潰したような顔をしていた。
行軍の間、大抵の場合士官はそれぞれの天幕で夕食を摂る。軍議を兼ねるか、親睦のために度々一同に会することはあったが。
しかし、今回アルマとペルルが無断で軍を抜け出したことで、副官は夕食を三人で摂ることを要請してきた。つまりは見張られている、という圧力をかけたかったのだ。
ペルルは、改めて純白の姫巫女の衣装をつけ、額にはアクアマリンのサークレットを頂いている。今日のことで彼女を叱責する者はいないが、やや気落ちした様子だった。
野営地に戻ってから食事が始まるまで、かなりの時間があった。その間が、即ちアルマが責められていた時間だと考え、責任を感じているのだろう。
しかし、アルマの方は全くそれらを気にした様子はない。姫巫女に明るく話しかけているのを視界の端に捕らえて、生真面目な副官は魚料理に必要以上に強くナイフを突き立てた。
実のところ、ペナルティになっているのはテナークスに対してだけじゃないのかな、と少年は内心思っている。
同時刻、野営地では、下級兵士も連隊毎に夕食を摂っていた。
彼らの食事は、勿論仕官のものとは違う。パンを何切れかと、薄切りの肉が浮かんだスープぐらいだ。だが、戦闘の危険もさほどなく、温かい食事が摂れるだけでも、彼らは幸運だった。
その中で、一人、軍服姿でもないノウマードは酷く目立つ。兵士たちから物珍しげに話しかけられるのに時間はかからなかった。
雑多な話題は、やがて愚痴へと移り変わっていく。
「故郷を出てからもう一年になるしなぁ」
「酒も飲めねぇし女もいねぇ」
「まあ運よく怪我一つしねぇで早く帰れるから、それだけでもありがたいが」
にこにこと愛想よく聞いていたノウマードに、やがて矛先は向けられる。
「お前、ロマなら何か歌え!」
「そうだ踊れ!」
「いや男の踊りを見ても楽しくないでしょう……」
呆れて呟きながらも、青年は背に負っていたリュートを手にした。
「まあ、これからしばらくお世話になることだしね。では、名誉あるイグニシア王国軍の皆様に敬意を表して、先の大戦でも語りましょうか」
軽く楽器を鳴らすと、その音を聞きつけた兵士たちがぞろぞろと寄ってくる。
期待に満ちた視線の中央で、すぅ、とノウマードは息を吸いこんだ。
◇ ◆ ◇ ◆
世界に、三柱の竜王あり。
炎を司りし竜王、カリドゥス。
水を従えし竜王、フリーギドゥム。
風を纏いし竜王、ニネミア。
竜王は世界を循環させ、おのおのを崇める民を持ち、長き年月を穏やかに過ごしけり。
竜王の加護のもとに、民は増え、栄え、やがて三つの王国が興れり。
其は[奇襲王]イーレクスが未だ王子であった
風竜王を祀りし国、草原のフルトゥナは騎馬の民なり。広大なる大地を野蛮なる盗賊が
幾たびも使者を送れども、風竜王の邪悪なる巫子は嘲笑い、使者の首のみを送り返したり。
悩みし若きイーレクス、愛らしき妹姫レヴァンダの輿入れまでもフルトゥナより望まれ、遂に戦を決意せん。
然れども、草原を移動する民を殲滅するは、地を這う蟻を残らず踏み潰すよりも
火竜王の幼き高位の巫子グラナティス、火竜王と水竜王、自らの民の暴虐に心痛めし風竜王の魂に呼びかけり。
三柱の竜王、その力合わせ、はるか煉獄より一柱の〈魔王〉を召喚せん。
〈魔王〉アルマナセル、その巨躯は見上げんばかり、巨大なる山羊の角を持ち、煮えたぎる眼窩より巫子と王子、美しき王女を見下ろせり。
「煉獄を支配せし〈魔王〉よ、我らが戦に手を貸したまえ。悪逆非道たるフルトゥナの民を殺戮し、王都を破壊せよ。竜王宮を
〈魔王〉アルマナセル、地の底より轟くような声を放ちたる。
「ならば巫子よ、勝利への報いとして我が願いを聞き入れよ」
言葉一つ一つにつき、長き牙より炎が滴り落ち、それを浴びた巫子グラナティス、その身体が不死へと変わりたり。
「我が竜王カリドゥスの名に於いて、汝が願い聞き届けん。疾く述べよ、〈魔王〉よ」
──息を飲んで聴きいっていた兵士たちは、続く歌に大きく喝采を上げた。
◇ ◆ ◇ ◆
肉料理が供された頃に、野営地の一角がざわめいた。
今、食事用のテーブルを並べている天幕は、周囲を覆っておらず、屋根だけが頭上に被っている。離れているとはいえ、一般の兵士も交代で食事を摂っている時間であり、静寂を望むことは無理だったが。
「何の騒ぎでしょうね」
つけ合わせの根菜を、アルマが口に放りこむ。
テナークスが、傍らに控えていた兵士を呼びつけた。兵士は命令を受けて、素早く走り出す。
数分後、戻ってきた兵士は当惑した口調で報告した。
「歌を歌っております。その、指揮官がお連れになったロマが」
「何か煽動するようなものか?」
だったら放り出す口実にはなるな、とそれこそ恩知らずなことを考えながら、アルマは尋ねた。
「いえ、先の大戦の歌で、どちらかと言えば志気を鼓舞するものでした。世話になる代わりに、ということらしく」
副官の眉間に、深く皺が寄る。
「なら、今は放っておけ。気晴らしになるなら歓迎だ。だが、イグニシア軍やこの闘いを非難するような曲調になりそうなら、強引にでも止めろ」
アルマの言葉に、兵士はちらりと副官へと視線を向ける。渋い顔のまま、それでも小さく頷くテナークスを確認し、一礼した後、兵士は騒ぎの中心へと戻っていく。途中で数人が合流していった。
ペルルが、そわそわとそちらの方向を気にしている。
「いかがされました、姫巫女」
アルマの問いかけに、僅かに頬を染める。
「いえ、その、私は、今までロマの方の歌を聴いたことがなくて。竜王宮で奉じられる楽とは違うのですよね。ちょっとどのようなものか、聴いてみたいと思いまして」
「私も聴いたことはないですね。こっそり聴きに行ってみましょうか」
少年が軽く言いかけるが、そこで副官が低く咳払いをした。
「……いや、食事が終わったらノウマードをここへ呼びましょう。兵士たちのお楽しみを邪魔してはいけません」
やんわりと面倒事を回避したアルマに、嬉しげにペルルは、はい、と微笑んだ。
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