オスフールの街

 だが、それから数日は予想したほどの混乱は起こらなかった。

 勿論、ノウマードがアルマをからかう機会を見逃していた訳ではない。

 それでも順調に行軍は進み、副官の態度も次第に和らぎ、吟遊詩人は求められては多種多様の歌を披露した。

「お前よく両手を離して馬に乗っていられるよなぁ」

 ある日アルマの発した、呆れ半分、感心半分の言葉に、リュートを鳴らす傍らで青年が笑う。

「並足ならさほど難しいことじゃない。ロマは騎馬のすえだしね」

 流石に駆足は無理だけど、と続けて、ノウマードは器用に膝だけで馬を操って見せた。


 そして、街道は中規模の都市、オスフールへと辿り着いた。



◇ ◆ ◇ ◆



 オスフールは、平地の街だ。

 街をぐるりと囲むように街壁が廻っている。その中央を東西に街道が抜け、両端には巨大な扉が作られていた。

 攻城戦の間ならともかく、現在、人々の出入りを全て拒んでいては街が立ちいかない。当然のことながら、今そこを護っているのは、イグニシア王国軍だった。

 アルマの隊がオスフールに近づいているのはとっくに知れている。

 城門を抜け、大通りを整然と進む。騒ぎを起こさないようにだろう、駐屯している兵士が前もって市民たちを道から遠ざけていた。制止する兵士の向こう側から見つめてくる住人たちは、疲れ、不安を抱えているように見える。

 馬車の内側に下ろされたカーテンが、小さく揺れた。あえてそちらに視線を向けず、アルマは真っ直ぐに前を見据えている。

 ノウマードが訳知り顔で大袈裟に眉を上げた。



 領主の屋敷は、駐屯軍の指揮官が居住していた。

 車寄せとしても広大な前庭に、兵士たちを整列させる。アルマは、テナークスと共に先頭へと進んだ。

 でっぷりとした身体を軍服に包んだ男が待っていた。駐屯軍の指揮官、アゴラ大佐だ。

 身軽に馬を下り、手を差しのべる。

「ご無沙汰しております、アルマナセル殿」

「こちらこそ。しばらくお世話になります、アゴラ殿」

 儀礼的に握手を交わす。アゴラは、ちらりと視線を馬車へと向けた。

「そちらが……?」

 含みのある言葉に、頷く。馬車の扉が開き、ペルルが優雅に降りてきた。

「お初にお目にかかります、アゴラ大佐」

 少女は指先で純白のローブを摘み、軽く会釈をする。

「いやいや、長旅でお疲れだったことでしょう。今すぐお部屋へ案内させます」

 途端に媚びるような声になって、大佐は先に立って屋敷へと入っていった。ペルルの手を取り、アルマもそれに続く。この後、簡単に会議があるためにテナークスもついてきた。

 前庭では、分隊長と駐屯軍の少佐とが会話を交わしている。この街には数日滞在することになるので、その間、兵士の宿泊所として屋敷の裏庭を使用することになっていた。その打ち合わせだ。行軍の後で、できるなら兵士たちを粗末であっても寝台で寝かせてやりたいところだったが、オスフール占領後にめぼしい宿は既に徴用されている。二百五十人もの人数分を数日だけ空ける、というのは手間ばかりかかってしまう。

「ノウマード」

 興味深げにそれらを眺めていた青年に声をかけたのは、エスタだ。

「お前の部屋はこちらだ。くれぐれも、はぐれないようについてこい」

 必要な言葉だけを告げ、踵を返す。

「おや。お坊ちゃんのお世話以外に仕事があったのかい?」

 ノウマードの軽口にも、一切反応しない。軽く肩を竦め、青年は汚れたブーツのままで無遠慮に屋敷へと踏みこんだ。


 アルマとペルル、テナークスにその他数人は、この屋敷に滞在する。ペルルは到着後すぐに部屋へと案内されていた。

 続いて行われた会議は、本当に簡単なものだった。

 滞在する間の兵士たちに関する諸々、今後必要になる食料その他の手配と荷車に積みこむ日程、滞在中の予定など。

 それらは、大体のところは軍によってマニュアル化されており、充分に熟知しているアゴラによって既に計画されていた。それが妥当かどうかはテナークスが判断できる。よって、アルマは二人が確認した事項を認可するだけだった。

 夕食までの間に、入浴と着替えをやんわりと勧められ、アルマは部屋へと案内された。

「お疲れ様でした」

 エスタが部屋の前で待っていた。既に中を改めてあるのだろう。

 ざっくりと見て回る。応接間に居間、寝室。こじんまりとした客間ではあるが、贅沢は言えまい。共同ではなく、客間一つに浴室がついているのは純粋にありがたい。

 湯船にはもう温かな湯が満たされている。

「のんびりしていないで、早く脱いでください。ここにいる間に、できるだけの服を洗っておきたいですから」

「お前、段々所帯じみてきてないか?」

 文句を言いながら、椅子に腰掛ける。ブーツを脱がせるための木枠を手に、エスタが床に跪いた。

「ハウスメイドを従軍させる訳にはいかないんですから、仕方ないでしょう。まあ、ここの屋敷の使用人は引き続き仕事をしているらしいですから、そちらに任せることになりますけどね」

 木枠に空いている穴にブーツの踵を引っかけ、足を引き抜く。もう一方の足も脱がせると、室内履きを揃えて足元に置いた。

「こちらには何日?」

「五日ってところだ。アゴラも長居をされたら迷惑だろうし、こちらものんびりする理由はないからな」

 襟をくつろげて、一息つく。

「急いでくださいってば。身支度を終えたら、皆様で会食でしょう。お待たせする訳にはいきません」

「女性の身支度よりは段違いで早く済むさ。少しぐらいゆっくりさせてくれ」

 エスタの、どうしようもないと言いたげな視線を、アルマは慣れた様子であしらった。


 結果として、幸いアルマはさほど会食に遅れずに済んだ。



 食事はまずまずのものだった。

 彼らはまだ定期的に食料を供給することができる状況ではあるが、それでも数日も行軍すれば、特に肉や魚は新鮮さを失う。出発前にフリーギドゥムで仕入れてきたそれらは、オスフールに着くまでぎりぎり保った。街に着くまでもっと日数がかかる場合、やがて食卓に上るのは干し肉や薫製肉などになるだろう。

 しかし街の、しかも指揮官の屋敷であれば、料理には最上の食材が使われる。

 食後に季節の果物まで振る舞われ、ペルルは嬉しそうに見えた。

 どことなく、その表情に陰が窺えたとしても。

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