ロマ

 村の出口が見えてきて、ほっと息を漏らす。

 柵に繋いできた馬は、一頭増えていた。訝しく思う間もなく、綱を解き、ペルルを抱え上げる。続いて自分の馬に跨り、脇腹を踵で蹴りつけた。

 ぴくり、と耳を動かして、荷馬は駆足で走り始める。

 十数分、そのまま走ったところで、足を緩めた。ペルルもぎこちなく手綱を引く。馬に乗り慣れていない彼女は、そう長い間駆足に耐えられないだろうと思ったからだ。

「大丈夫ですか?」

 アルマの問いかけに、首を振る。

「私は何も……。それよりも、アルマナセル様、お怪我は」

 泣き出しかけているような瞳で、こちらを見つめてくる。

「ちょっと当たっただけですよ。酷くても、こぶができた程度でしょう」

 片手でぶつけた場所を探ってみる。……頭を覆う布は、緩んではいない。安堵に、身体に入っていた力が抜けた。

「申し訳ありません。私の我が儘で……」

「お気になさらないで下さい。貴女にお怪我がなくて、よかった」

 本心から告げるが、姫巫女は暗い表情で俯く。

「それより、あの人は何者だったんでしょうね。あんなところで、私たちを救けてくれるとは」

 話題を変えながら、背後の村を振り返る。

 彼らの視界の中に、襲歩で真っ直ぐこちらへ向かってくる一頭の馬が見えた。


 馬の足を止め、相手を待ち受ける。

 おそらくは先ほど自分たちを救けてくれた相手だとは思うが。まあ万が一村人だったとしても、それが一人だけならば何とかなるだろう。

 相手の姿は、じきに判別できるようになった。

 二十代半ばほどの男性。飾り気のない、深緑色のマントを纏っている。片手に弓を持ち、もう一方の手だけで器用に馬を操っていた。時折、背後を気にして振り返っている。背中から、矢筒とリュートの先端が覗いていた。

「……ロマ……?」

 アルマが小さく呟く。急激に、口の中が乾いてきた。

 青年は、数メートル手前まで近づいて手綱を引く。

「貴方が、救けて下さったのですか」

 警戒心からなのか、声が掠れる。

 それに気づいた風もなく、青年は微笑んだ。

「ああ。手遅れになる前でよかった。怪我は?」

 明るい栗色の髪は、襟足だけがやけに長い。同色の瞳が、好奇心に満ちて二人を見つめている。額をぐるりと一周する形で、緑の地色に黒で奇妙な模様が描かれた布が巻かれていた。アルマのように、頭部の殆どをカバーしている訳ではない。

「ぶつかっただけなので。出血もしていませんし、大したことはありません。ありがとう」

「ありがとうございました」

 礼儀正しく、アルマとペルルが軽く会釈する。苦笑して、青年は片手を振った。

「子供とはいえ、貴族に頭を下げられるいわれはない。気にすることはないさ」

「……何故、私が貴族だと?」

 不審そうな言葉に、青年が軽く肩を竦める。

「育ちがよさそうなのは、一目見たら判る」

「なら、どうしてそんな言葉遣いをするんだ?」

 僅かに苛立って、問い詰める。面白そうに、相手はアルマを見返してきた。ペルルが、きょとんとしてその様子を眺めている。

「どうやら、ロマに会ったことはないらしいね。我々は、国の庇護も竜王の加護も失った民だ。我々には貴族の階級など、敬愛の対象じゃあない」

「……まともな貴族なら、ロマと関わり合いにはならない」

 固い口調で、返す。違いない、と青年が笑う。

 小さく溜め息を落として、会話を切り上げた。

「ともあれ、助かった。それではよい旅を」

「おや、それだけ?」

 半ば予想はしていたが、あからさまな言葉をかけられて、かちんとくる。

「他に何が?」

「無法者に囲まれて私刑にかけられるところを救けられたにしては、ちょっと素っ気ないんじゃないかな?」

「……何が目当てだ。はっきり言え」

 アルマの態度には、露骨な敵意が滲み出していく。ペルルの視線が、気遣わしげなものに変わってきた。

「なに、大したことじゃない。見ての通り、私は一人だ」

「確かに。驚くべきことだな」

 ロマは、大抵の場合、集団で移動する。それは血の繋がった一族であり、数人から、大きくて数十人規模だ。単独で行動するロマは、極めて珍しい。

 アルマが直接顔を合わせるのはこれが初めてだが、ロマについての知識だけはあった。彼がこの青年に対して不審を覚えるのも、それに由来する。

 しかし、青年の方はそのような感情を持っていないようだ。少年の皮肉に動じることもなく、続けてくる。

「そのマントの紋章からみて、君はイグニシア軍の一員なんだろう? 昨日、軍隊が母国へ帰るところだという話を聞いた。私はイグニシアの王都、アエトスまで行きたいんだが、同行させては貰えないか」

「はぁ!?」

 青年がさらりと告げた要求に、素っ頓狂な声を返す。

「何を言ってるんだ。無理に決まってるだろ!」

「何故?」

 反射的に拒絶するが、青年は退かない。

「部外者を軍に招き入れるなんてこと、考えることもできない」

「そう? 彼女はどう見ても軍の一員じゃないようだけど」

 ちらりと視線を向けられて、ペルルが数度瞬いた。

「私は……」

 何かを言いかけるのを、咄嗟に遮った。

「彼女は特別だ。理由がある」

「私も特別だし、理由はあると思うね。君たち二人の生命いのちを救けたっていう」

「厚かましいな!」

「ありがとう」

 爽やかに微笑まれて、腹の底が熱くなる。

「無理と言ったら無理だ! 諦めろ!」

 言い捨てて、馬首を巡らせた。ペルルに身振りで促して、共に歩き出す。

 背後から、苦悩に満ちた声が発せられた。

「ああ、なんてことだ。イグニシアの誇り高い軍人、気高い若き貴族が、こんなにも恩知らずだったなんて。ほんのささやかな、無事に旅を続けたいと望んでいるだけだった傷心の吟遊詩人が、この事実を微に入り細を穿って歌い上げ、各地を巡ることを、一体誰が止められようか!」

「うるせぇ、黙れ!」

 心のままに力いっぱい怒鳴りつける。

 芝居がかった仕草で片手を胸に当て、青年は厳粛に続けた。

「心配しなくてもちゃんとあることないこと盛っておくよ」

「盛るのかよ! ていうかないことはやめろ!」

「いやあることだけでも、多分君はかなり情けないことになると思うけどいいのかい?」

「何でそんなところを気遣ってくるんだよ!」

 流石に息切れしたところで、奇妙な声に気づいて口を閉ざす。

 ペルルが、楽しげにくすくすと笑っていた。

 青年に対して、思い切り素を出していたことに気づいて、血の気が引く。

「あ、ええと、ペルル様、これはその」

「ごめんなさい、笑ってしまって。でも、何だか、ちょっと安心しました」

 無邪気な笑みを向けられて、何故か急激に気力が失せた。がっくりと肩を落とすアルマに、青年が気安く手を置いた。

「まああれだね、少年。年長者の忠告が聞きたいなら、安くしておいてあげるよ」

「うるせぇ……。勝手にしろ」

 野営地に帰ったら、とりあえず全部エスタに押しつけよう。そう決意して、ようやくアルマは姿勢を正した。

 嫌になるほど澄ました顔で後ろをついてくる青年を振り返る。

「そう言えばお前、名前は?」

「ノウマード」


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