姫巫女
「何を考えてらっしゃるのですか、アルマ様!」
エスタはアルマの決断を聞いて、声を荒げた。
「こんなところにはいたくなかっただけだ。お前だって退屈だっただろ?」
「退屈とか退屈でないとかいう問題ではございません! 貴方は御自分の立場を判ってらっしゃるのですか? 武勲を立てる、というのは無理でも、戦半ばで逃げ帰るだなんて……!」
少年は、エスタの遠慮のない言葉に、やや眉を寄せた。
「逃げ帰る訳じゃない。捕虜の護送って任務がちゃんと……」
「そんなことが理由になるとでも思ってるんですか? 大公様がどれほど嘆かれると……」
アルマは、観念したように視線を空へ向けた。この世話役が説教を始めたら、最低一時間はおとなしくそれを聞いているしかないのだ。
が、今回はそうでもなかった。
「アルマナセル殿?」
静かな声がかけられる。振り向くと、少し離れたところにハスバイ将軍が立っていた。後ろに、数人の護衛が従っている。
「お取りこみのところ申し訳ない。姫巫女に、先ほどの会議の決定を報せてくるのだが、貴公もご一緒にいかがかな」
「勿論です」
かなりほっとして、アルマは将軍と共に歩き始めた。流石に無言で、エスタもついて来る。
「姫巫女の名前はペルル。家名が無いのは、聖職にあるからです。その点では、我らの巫子と同様ですな」
「水竜王信仰と火竜王信仰は根が同じですからね」
授業で聞いたことを繰り返す。頷いて、ハスバイ将軍は続けた。
「彼女を連れ帰るのは、高位の巫子グラナティス様のご命令です。王都の火竜王宮まで送り届けて頂ければ、貴公の任務は終了します。その後は、ご自分の邸宅にて待機していて頂きたい」
「待機?」
やんわりと訊き返す。
「おそらく、この戦に関しては、貴殿に対してそれ以上の指示はないと思うが、念の為です。すぐに連絡がとれる状態にいて頂ければ結構ですので」
「なるほど」
元々、彼は放蕩息子という訳でもない。別に不都合はなかった。
行く手に、簡素な天幕が現れた。一見、一般の兵士が使用しているものと変わりはないが、入口に二人の兵士が立っているのが目を引く。
こちらの姿を認め、見張りの兵士が右の拳を胸の前まで上げ、敬礼した。それに頷いてみせ、将軍が口を開く。
「変わりはないか」
「ございません、閣下」
もう一度頷くと、将軍は少し声を大きくした。
「入っても宜しいかな、姫巫女」
「勿論です、将軍」
凛とした涼しい声で、即座に返事が返ってくる。兵士たちとの会話が聞こえていたのだろうから、当然だが。
天幕の垂れ幕を、兵士が持ち上げた。やや身を屈め、将軍がそこを通り抜ける。その後にアルマが続いた。
薄暗い天幕の中に、簡素なテーブルと椅子が置かれていた。そこに座っていたのだろう、一人の少女が立ち上がり、二人を迎えている。
歳の頃は十代半ば。アルマよりもやや年下のようだが、そんなに幼い印象はない。亜麻色の髪は胸元まで緩やかに波うっていた。小柄な身体を、白を基調にした聖服に包んでいる。額には銀で作られた繊細なサークレットが嵌められていた。その中央に、大粒のアクアマリンが僅かな光を反射して光っている。その宝石とよく似た、薄い水色の瞳が、毅然としてこちらを見つめてきていた。
「不自由はございませんかな、姫巫女」
将軍の言葉に、ようやく我に返った。口を半開きにしたままであることに気づき、慌てて顔を引き締める。
「ええ。充分にして頂いていますわ」
その声までもが、涼やかに、耳に甘い。
「それは何より。必要なものがあれば、何でも申しつけください」
「ありがとうございます、将軍」
にこやかに会話を交わしたあと、三人は椅子へ腰を下ろした。さて、と将軍が言葉を継ぐ。
「先だってお知らせしておりました通り、姫巫女様にはこの後、我が国の王都へと向かって頂きます」
「承知しています。いつ頃出発になりそうですか」
落ち着いて問い返す姫巫女に、将軍はやや中空を見上げ、片手で顎髭を梳いた。
「二、三日といったところでしょう。我が軍は行軍の途中ですし、人員や物資を分けるのにそう時間はかかりません。むしろ、姫巫女の侍女を手配するのに手間取りそうですな」
今、水竜王宮に使いを出している、と続けられた言葉に、ペルルは顔を青褪めさせた。
「他の者は関係ないではありませんか! 人質は、私一人で充分の筈です」
その言葉に、アルマはやや驚く。彼女が人質であるということを、今の今まで忘れていたからだ。
しかし、ハスバイ将軍は苦い表情を見せた。
「いくら姫巫女といえど、言葉を慎んで頂きたい。我々は軍隊です。貴女が巫女であることを考慮しても、妙齢の女性をお連れするのに不手際がある訳には参りません。貴女に快適かつ安心して過ごして頂くための、必要最低限の人員です。貴女も含め、人質として扱う訳ではない」
滑らかな説明だったが、ペルルは納得していないようだった。気丈に反論を続ける。
「三百年前、フルトゥナ王国を滅亡させたイグニシア王国軍将軍のお言葉にしては説得力がありませんね。それとも、巫女を殺さずに虜囚とするだけ、進歩されたと言うべきかしら?」
表向きは取り繕われていた礼儀作法が剥がれ、少女の瞳には怒りがちらついてきている。
それは、将軍としても聞き捨てならないことだったらしく、僅かに声を荒げた。
「当時、フルトゥナ王国を急襲するには、貴女の国の協力が欠かせなかったことは周知の事実ですが。カタラクタ王国が人に知られていない山越えの道を教え、国内を行軍するのを黙認したことが、我々の決定的な勝因となった。三百年前のことをあげつらうのであれば、それは貴女をも同様に非難されるのだということをお忘れにならないように」
降伏を申し出てきた相手に、最初は礼儀正しく会見をして、十分も経たずにここまで決裂するのはある意味凄いな、とアルマは他人事のように考えた。
が、姫巫女がこれ以上憎しみと悔しさに唇を噛みしめる様を見ているのは、少々いたたまれない。
「あー……。将軍。歴史学の討論をするには、時と場所をお選びになった方がいいのではないですか」
遠慮がちに聞こえるように、アルマは少し潜めた声をかけた。
そこで我に返ったのか、将軍は彼に視線を向ける。
ペルルは、初めて少年に気づいたかのように、きょとんとしてこちらを見つめてきていた。
「……そうですな。失礼を致しました、姫巫女。お詫び致します」
「いえ……。私も、少々言葉が過ぎました」
互いに僅かながら詫びて、二人の視線が再び同席者に集まる。
その、姫巫女からの視線を痛いほど感じて、アルマは内心で自分の格好を点検した。
頭には赤地に黒の模様を染め抜いている布を巻いていて、短い黒髪がその隙間からところどころはみ出してしまっている。ちょっとばかり無造作に巻きすぎていたかもしれない。紫色の瞳は、時折奇異な目を向けられる一因だった。
ピアスは瞳と同色のアメジスト。色は濃いが、戦場であることを考えて、本当に小さなものだ。
服は上衣とズボンとを揃いの濃いグレイの布で誂えている。王都にいる頃に比べると、かなり質素と言っていい。マントは金茶で、胸に王家と大公家の紋章が左右に縫い取られていた。
腰に
将軍が、小さく咳払いする。
「ご紹介致します、姫巫女。こちらはレヴァンダル大公子アルマナセル。貴女をイグニシア王国の王都アエトスへとお連れする隊の指揮官です」
「お初にお目にかかります、姫巫女。噂に違わず、お美しい」
これでもアルマは幼い頃から宮廷に出入りし、社交術の全てを身につけてきている。つまり彼の取った態度は、戦場というこの場においては少々場違いではあったが、それでも非礼ではなかった筈だ。
「アルマ……ナセル」
が、乾いた声でそう繰り返しただけで、ペルルは凍りついたかのように、少年が優雅に差しだした手を取ろうとはしなかった。
数秒おいて、苦笑を浮かべるとアルマナセルはそれを引っこめた。
まあ、貴婦人からのやんわりとした拒絶には慣れている。
「ともあれ、今後の予定は先ほど申し上げた通りとなります。何か不自由があれば、何なりとお申し付けください」
可能な限りそつなくそう纏めると、将軍は姫巫女の前を辞した。
天幕を出、数十メートル進んで、大きく鼻を鳴らす。
「水竜王の姫巫女にしては、気が強い娘だ」
「おや、将軍には、水竜王の巫子を代々ご存じで?」
軽口を叩くと、じろりと
「しかし、アルマナセル殿は警戒されてしまったようですな」
「無理もないでしょう。直前の会話が会話です」
全く動じてないように見えた、筈だ。
「やりにくそうであれば、今からでも任務を交代は可能だが……」
「いえ、それには及びませんよ、将軍。一度決まったことですから」
にこやかにそう応じる。
内心、水竜王の姫巫女に対する第一印象が最悪となってしまったことに苛立ちながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます