第4話 お嬢様はサブヒロイン

 臼木さんと図書室で会話したその晩、俺は自分の家で反省会を開いた。

 まず根本的に俺と臼木さんとはまだ距離があり過ぎること。

 そして俺自身の女子との会話スキルの無さ。

 さらには地の文のナレーションのオッサンによる横やり。


 芸人の手帳が言ってたコメディの能力ってのが本当に俺に与えられたのなら、どうして愛読してる漫画やラノベみたいに行かないんだよ。

 やっぱ臼木さんの病気のせいなんだろうな。

 純文学とラブコメなんて真正面から拮抗するようなもんだ。

 それならば儚い運命の抗純文学剤として相互作用が働いて欲しくもある。


 現にこうして俺ひとりになったら、あのオッサンは襲ってこなくなった。

 しかし困ったもんだ。

 臼木さんと接点を持つと、地の文のナレーションのせいで俺の記憶が薄らいで行動が制御できない。かと言ってこうして俺単体じゃ意味はない。


 なにか良い手立てはないだろうか――俺は考え事半分、惰性半分という感じで手元のスマホにある電子書籍のラブコメ漫画を読んでいた。

 そこで俺はある事に気づいて指を鳴らす。


「そうだ。こういう勝手に押し掛けてくるサブヒロインが必要じゃん」


 モブ主人公が一方的にサブヒロインに好きになられる展開に困惑しながらも、なんやかんやあって、あーだこーだしてるうちに、本命の子とお近づきになれるやつ。

 臼木さんがだんだん俺のことを気になって、でも邪魔が入りそうになりつつも、そうこうしてる間に、一気に距離が近くなる。

 メインヒロイン一本で甘々展開というのは今の俺には難しい。

 なんせあの地の文のオッサンという手強い門番が居るんだから。

 徐々に臼木さんを、俺の得たコメディ体質に染めていけばいいんだ。


「おい、芸人の手帳! 俺の望み通りにスケッチさせてくれよ!」


 当然ながら何の反応もなく、俺の声は狭い部屋に木霊するでもなしに、また無音の空間が広がった。かすかに照明のジィーという音だけが聞こえる。

 いや、ダメだ。俺自身の独り言もますます文学的になりつつある。

 臼木さんの流れに飲まれないように気をつけないと。



 翌日。

 朝のホームルームでクラスが騒然となる出来事があった。


「さっそくだが、今日このクラスに転校生が来ることになった」


 担任の発言に一気にどよめく教室内。

 チャラい男子が手を上げる。

「せんせぇ、それは女子っすか?」

「あぁ、そうだ。みんな仲良くするように」


 それにしても受験を控えた三年生の二学期に、こんな公立の学校に転校ってどういうことだよ?

 なんで他の連中はその違和感に気付かないんだ?

 そういうツッコミがご都合主義のラブコメでは野暮だとは知っているが、ともかく担任が転校生を呼び寄せた。


 教室に入って来たのは、瞳は大きいが明らかに釣り目がちで強気そうな女子。

 背は低いが肉体美。髪も目も明るい栗色だったが、なんだか偉そうに腰に手を当てている。


「わたくしがただいまご紹介に預かりました小院瀬見小春子こいんぜみこはるこですわ。父の仕事の関係でこちらにお邪魔することになりましたの。よろしくお願いしますわ」


 伊集院でも鬼龍院でも我修院でもない、小院瀬見って院の字が真ん中に入ってるのがモヤモヤするが、それはさておき院の字はどことなく名家っぽい。

 しかし名前が長いわ。それに院を……じゃなくて韻を踏んでるのか『こ』の音が多くて、口調も典型的かつレトロなお嬢様キャラじゃねぇか。

 わたくしってどの時代だよ。


「それじゃ席は……そうだな、榎戸の隣に座ってくれ」


 担任は俺の周囲を指差した。

 如何にもモブな俺の定位置は窓際でも廊下側でも前列でもない。

 だいたいがクラス後方。オマケに今の位置は生徒の人数が奇数なので、両隣に誰も居ない列の最後方というモブ専用席だ。


 隣に用意された机と椅子に腰かける小院瀬見は、優雅な会釈をした。

 高飛車で金持ちというベタなキャラだが、躾はキチンとされた家系なのだろう。


 そのうち、担任はホームルームからそのまま一限目の地理に突入した。


 俺も教科書とノートを並べて教卓に向いたが、隣りから明らかに俺に向けての咳払いが聞こえる。

 俺が横目に小院瀬見をちらっと見ると、あいつは小声で俺を叱責した。


「わたくし、この学校にすぐ転校したばかりですので、教科書も参考書も無いのですわ。そんな憐れなわたくしを黙って見過ごすと言うの?」


 いや、知らねぇし。

 つーか、そんなの転校してくる前に用意しとけよ。


「先生! わたくし教科書も無いのに、とんだ辱しめを受けましたわ! 隣の彼が見せてくれないんですのよ!」

「こら、榎戸。ケチくさい事を言わずに小院瀬見に教科書を見せてやれ」


 担任からそう言われると、小院瀬見は机を俺の横にピタッとくっつけた。

 途端に他の男子どもからのやっかみが聞こえたり囃し立てられたりする。 


 しかし小院瀬見、なんつー良い匂いなんだ。

 庶民には手の届かないような高価なシャンプーと柔軟剤を使ってるのかよ。

 髪の毛は艶やかな光沢があり枝毛も縮毛もない。

 睫毛も長いし、くっきりとした二重まぶた。鼻立ちも日本人にしてはしっかりしている。ポテンシャル高過ぎだろう。

 ダメだ、俺が女の子の香りにやられてクラクラしてしまう。

 そこではっと我に返り、黒板もとい前方に座る臼木さんの様子を窺った。

 こちらに視線を向けて嫉妬を……なんてことはなかった。



「先程はありがとうございましたわ」

 休み時間になると、改めて小院瀬見は礼をしてきた。

 やはり躾はしっかりしてるのだろう。


「別に構わないけどさ、よく教科書も準備できずに転校できたな」

「お父様のお仕事の関係で急にこの街にやってきたのですわ。だからこの街に暮らす庶民の皆様の生活が知りたいんですの」

「失礼な奴だな。庶民だって頑張ってるんだよ。物の言い方に気をつけろよ」

「あら、気の小さな男ですわね。そんなだから背も一七〇センチも無いのですわ」

「一七〇くらいあるっつーの」

「いえ、無いですわね」

「あるんだよ……だいたい」

「という事は無いですわね」

「あるって言ってるだろ? まぁ四捨五入したら」

「それは一の位? それとも小数点第一位?」

「はあっ?」

「一六五.一センチと一六九.五センチでは、四捨五入で一七〇センチと言ってもだいぶ印象が変わりますわよ?」

「だから、その、アレだよ。いちおう後半の方だ」

「半分とって後半の方ということは一六七.五センチより高いと仰るの?」

「それは調子の良い日で、朝飯食う余裕があれば身体測定だって相当……」

「朝食を召し上がらなかった日は、前半の方まで下がるのですわね?」

「それでもギリまで寝坊したからプラマイで言うと大幅にプラスなんだよ」

「では目覚まし通りに起床されたのに朝食を召し上がらなかった日は?」

「そんなの週に一回……いや月に数回もねぇよ。寝坊するかちゃんと起きれて朝飯を摂るかのどっちかだから」

「ではおしなべて一六七.五センチ以上ということですわね?」

「いや、違う。俺は一六七センチぴったりなの。小数点も端数もねぇってば」

「やはり一七〇センチより低いではないですの」



 やべぇ、もう休み時間の十分が終わりつつある。無駄な時間だった。

 この無意味な会話を切り上げて俺が次の科目の教科書を取り出そうとカバンに手を入れたところで、小院瀬見が驚いた様子で覗き込んできた。

「まぁ、あなたドストエフスキーをお読みになるのね? 理屈ばかり並べる庶民かと思ったら、なかなか良いご趣味をお持ちではないですの」

 あ、昨日の図書室から適当に借りたやつか。

 でもドストエフスキーが高尚な趣味だなんて発言は危ない。炎上しそうだ。


 そうだ。逆にこいつを使って臼木さんと接触する機会を増やせるんじゃないか?


 俺はさも意を得たりといった風情で、小院瀬見の話に乗っかった。

「だろ? ドストエフスキーくらい読まなきゃな。そういえば、クラスの臼木さんも読書が趣味なんだよ。お前と合うかもなぁ」

「臼木さんとはどなた?」

「ほら、あの前の方に居る長い髪の女の子。今も本を読んでるだろ?」

「あらまぁ、それは素敵。次の休み時間にさっそくお話を伺わないと」

「あー、でも彼女ちょっと身体が弱いからな。あんまり圧を掛けるなよ」

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