第3話 襲い来る純文学の『あいつ』

 気づけば朝になっていた。

 起きるなり俺は自分の手足をまじまじと見て、頭を掻いたり背中や腰に掌を回して撫でたりしてみる。

 とくに何も変化はなさそうだ。

 これで俺はラブコメに愛された肉体を手に入れたと言えるのか?


 うーん、やっぱりゆうべのアレは夢だったんだな。妄想の産物だ。

 だとしたら臼木さんの「純文学の儚いヒロイン症候群」とかいうのも嘘にして欲しいもんだが、なんとなくそれだけは幻想とは思えない確信があった。


 いつもより早めに学校に向かったが、既に臼木さんは登校していた。

 そして自分の席で相変わらず革のカバーに包んだ文庫本を読んでいる。

 席も離れ離れになり、周囲の目もあるので声も掛けにくい。

 やむなく俺は臼木さんを横目に通り過ぎると自分の席に座って教科書やノートを机の中に放り込んだ。



 その日の体育も臼木さんは見学。

 昼休みは、とても少ない量の弁当を食べながらも机で文庫本を読んでいる。


 あぁ、このままだとあの子がクラスで孤立してしまう。

 おまけに不可解な病気の話まで俺は知ってしまったんだから。

 今こそ俺が手に入れたラブコメの力でなんとか助けてあげないと。



 ということで放課後。

 臼木さんがすぐには帰宅せず図書室に向かったのを確認した俺は、少し離れた後ろからあの子を追いかけた。

 やってることは完全にストーカーだが、今は臼木さんとの接点を増やすこと。

 俺のラブコメの神のご加護で、あの子の病気もギャグで終わるように祈るしかないいんだよ。


 図書室のドアを少しだけ開けてそこから覗き込むと、ちゃんと臼木さんはテーブルに座っていた。

 教科書やノートも出していたがやっぱり体調が良くないのだろう。

 今は勉強ではなく、椅子に背中を預けて身体を休めるようにしながらも、とりあえず何かの本を読む時間にしているようだ。それでも読書を始めると背筋を伸ばして本に向き合うその姿は凛とした空気すら纏っている。なんて健気なことか。

 俺はゆっくりとドアを開けてそろりと近づくと、いかにも偶然を装って臼木さんの座るテーブルに向かった。


「あれ? 臼木さんじゃん。偶然だね。図書室で勉強してたの?」

 俺の芝居のマズさは相当なものだったろうが、構わない。

 とにかくラブコメの始まりのために臼木さんと多くの接点を作るんだ。


「あ、榎戸くん。こないだはホントごめんね」

 やっぱり謙虚な臼木さん、何度も謝罪されてしまう。

 もう俺は気にしてないよ。

 そう言いたいが、向こうからの返事だけで嬉しくなる単純な俺。


「別に気にしないでよ。なにかあったら俺がすぐにその、アレ。なんかするから」


 舞い上がり過ぎて肝心な事が言えない。

 でもその先のキザな事も俺には到底言えない。

 その辺がモブと言われる俺の所以でもある。


「そんで、図書室で勉強してたの?」

 さっきと同じ話を繰り返すだけの女子との会話スキルの無さに俺自身も愕然としたよ。それでも臼木さんはちゃんと相槌を打ってくれたんだ。

「うん、勉強しに来たつもりだったのに疲れちゃって休憩」

「わかるよ。今年の冬には受験だもんね。俺も勉強は全然だけど」


 愛想笑いと呼ぶに充分な淡白な笑みを浮かべると、臼木さんは本に目を落とした。

 どう見ても俺、お邪魔虫。

 でもここで負ける訳にいかないだろうが。


「臼木さん、本読むの好きなんだ? どういうの読むの?」

「えっ? 別に大したものじゃないけど、シェイクスピアやトルストイとか、日本人作家なら太宰治とかかな?」


 ヤバいなぁ。俺は読んだことないからわからないけど、字面でヤバそうだ。

 たぶん『純文学の儚いヒロイン症候群』の影響なんだろう。 

 だから病気の症状を遠ざけるには純文学と真逆の環境に置くしかない。

 俺は阿呆みたいに明るい顔を作っておどけてみせた。


「さすが臼木さん。俺なんかラブコメのラノベしか読まないから全然わかんないや」

「そうなんだ」


 はい、会話終了。

 俺ってなんか使えない奴だな。

 自信無くなるよな~。

 相手が返答に困るような発言しといてレスを求めようなんてのが間違いか?

 だから気持ちをすぐに切り替えて、別の話題に移ることにした。


「受験勉強ばっかしてたら疲れるもんね。俺もだけどさ」

「でも、お医者さんからは身体に負担かけないように言われてるから。もしかしたら受験はできないかも」

「そんなことないって。きっと身体も良くなるよ。そんで志望の学部とかあるの?」

「いちおう国文学を専攻したいなって」


 うーん。病気のせいで純文学に侵されてしまったのだろうか。

 それとも単にこの子の趣味嗜好なんだろうか。

 看護師たちがヒソヒソと話していた内容を考えるに、あんまり悲劇の純文学に傾倒させるのも良くないような気がするけど。

 まぁ、それを今は言うまい。とにかく臼木さんの太鼓持ちをするだけだ。


「読書好きならそれを専攻できたら最高だよね。目指すものがあるのってすごいし俺も良いと思う」

「それでも受験できるかは体調次第なの。だから勉強しても意味あるのかなって時々思っちゃってさ」


 そうやって自嘲する臼木さんだったが、表情は硬いもんだ。

 どこか諦めにも似た空気がある。

 そんな顔を見ていると、俺も胸が締め付けられる。


 だから俺は――健太はただ力無く頭を振るしかなかった。


 そうそう、俺は顔を左右にプルプルってね。


 それでもこうして佐智と会話をしている状況に安堵しつつも、彼女を鼓舞するために、もしくは彼女のために自分が出来ることはないかと健太は思考を巡らせた。

 

 おう、俺のことわかってるじゃん。そうなんだよな~、やっぱ臼木さんは……。



――いやいやいや! お前誰だよ!


 急に脳内にイケボなオッサンの声がする!

 耳で聞こえる感覚じゃない。

 頭の中に直接、オッサンの声がする。

 なんだか渋い俳優の朗読を聴いているようだ。

 そして、その声が聞こえてる間は、俺はぜんぜん考えに集中できないって言うべきか、まるで意識が遠のくようで記憶が無い間の時間が一気に飛んでるみたいだ。


 よもやこれがあの子の『純文学の儚いヒロイン症候群』による合併症じゃないんだろうか。だとすると、近くに居る俺にまで影響を及ぼすとは如何なることか――。

 到底想像の及ばぬ事態に健太は佐智を前に焦燥感を隠せなかった。

 これは彼女の病状が進んだ証左とも思えるし、自身が得たラブコメの能力が拮抗しているどころか、むしろ何の役にも立っていないことに彼は不安を禁じ得ずに居る。


 しかし健太は――知ってるよ!


 今は俺が喋ってるターンだろ!

 親父以外のオッサンに気安く下の名前で呼ばれたくねぇっての!


「フー! フーーッ!」


 俺は羽虫を追い払うように辺り構わず息を吹きかけた。


 突然そんなことを始めたもんだから、明らかに少し引いている臼木さん。

「いや、虫が飛んでてさぁ……無視できないよねって……」


 全然オチない。

 ただでさえ物静かでクーラーの効いた図書館に、さらに寒い風が吹き抜ける。

 これのどこがラブコメの能力だよ、おい。

 せめてひと笑いくれよ。


「お、俺もなんか臼木さんの好きな本、読んでみるよ」


 俺はカバンを肩に引っ掛けると書架から適当な文庫本を手に取って借りる。

 そして足早に図書室を出た。

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