第2話 ラブコメの神様

『純文学の儚いヒロイン症候群』


 主に患者は女性で十代から三十代くらいまで発症する。

 最初は血圧下降、倦怠感、意欲減退といった不定愁訴ふていしゅうそから始まる。

 医学的知見とは異なるが、なんとなく影を纏い物憂げな雰囲気になる。


 次第に身の回りに起こる不可解な不幸、突然の体調不良等で数年のうちに死に至るという治療法が確立していない奇病。

 やっぱ『ステる』とは医学用語でステルベン――つまり死ってことだった。


 近年ではジャンヌ・ダルク、アンネ・フランク、樋口一葉などが実は罹患していたのではないかという研究もあるが、いずれにせよまだ全体像は解明されていない。



 一旦、先生と一緒にタクシーで学校まで戻った俺は、つい先程まで一緒に会話していた臼木さんの姿を思い浮かべながら家に帰っていた。

 背を丸めて溜息を幾度もついてしまう。俺まで儚い気持ちになる。

 せっかく推しの女子と会話できるようになったというのに、これじゃあまりに酷すぎる。臼木さんが気の毒だ。この世に神様は居ないってのか。


 なんとなく足元ばかり見ながら歩く俺の視界にデパートの紙袋が目に入った。

 中にはウレタンとかプラスチックで出来た妙な作り物。

 あと、ぶ厚い大きな手帳。

 誰かが落としたんだろうか。

 小さな子供にでもおもちゃを買って帰るつもりだったのに忘れたんだろうな。


 普段の俺なら落とし物なんて無視して通り過ぎてただろう。

 どうせ帰り道のついでだ。

 その日はそのまま交番に届けることにした。


 書類にサインをしていると警察官が俺に問い掛ける。

「三か月経っても持ち主が現れなかった場合は所有権を主張できたり、持ち主が現れた場合は報労金を貰う権利があるけど、どうするかな?」

「いえ、別に要らないっす。どうせ中身はおもちゃなんで」

「じゃあここの『いいえ』に丸をつけて」

 言われるがまま俺は権利放棄をした。


 まぁこれで善行を積んだから少し気が晴れるかとも思ったんだけど。

 どうやら時間と期待の無駄だったようだ。



 それから少し経ったある日。

 教室のいつもの机には臼木さんが座っていた。

 体調を戻してまた学校に来れるようになったみたいだ。

 その姿を見れただけで俺は嬉しくなった。

 休み時間は相変わらず革のカバーのかかった文庫本を読んでいたし、授業も淡々と受けていた姿を俺も横目にチラチラと見ていた。


 その日の放課後。

 俺が家に帰ろうとカバンを肩に掛けてると、臼木さんが声を掛けてきた。


「榎戸くん、こないだはゴメンね。わたしのためにありがとう」


 それを聞けた俺は天にも昇る気持ちだった。でもそれ以外の違和感も覚える。

 なんか言葉に元気も無いし、どこかダルそうにしている。

 まさか『純文学の儚いヒロイン症候群』のせいではないだろうか。

 何にせよ雰囲気は重いし、表情も硬い。


 あまり悲観しないで欲しいと、俺は努めて明るい声と顔で返事をした。


「むしろ困ったことがあったら、俺にいつでも言ってよ。俺、臼木さんの力になりたいからさ」

「……うん、ありがとう」


 なんとも淡白な反応。

 俺の対応が間違ってたんだろうか。

 それともこういう虚弱っぽい女の子はグイグイ行った方がいいんだろうか?


「またこないだみたいな事があったら大変だから、俺が途中まで付き添うよ」

「うぅん、それはだいじょうぶ。じゃあね」


 完全に間違えたっぽいな。

 どうにもリアルの女の子って難しい。

 俺が愛読してるラブコメって万能な恋愛虎の巻だったんじゃないのか?

 これ以上押したら危険だというのはさすがの俺でも分かった。

 俺だってそのくらいの空気は読めるさ。

 スイーッと足音も立てずになんとなしに幽霊っぽく――と言ったら失礼だけど、力無く歩くあの子の背中を見守るしかなかった。



 帰宅した俺は悶々としながら参考書を開いていたが、全く頭に入ってこない。

 そりゃそうだろうよ。

 受験も近いっつーのに臼木さんの病気の話を聞いたら、俺自身の事に集中できる訳ないじゃないか。


「あーくそっ。全然ダメだ」


 そんな独り言を声に出して言わずにはいられなかった。

 もう今日はダメだ。放課後の失敗も含めてテンションがた落ちだ。

 勉強もスマホをいじるのもやめて、もう寝よう。


 すると俺の部屋のドアをノックする音がする。

 母さんかな? それともまさか親父だろうか?

「いま勉強してるから後にしてくれよ」

 ホントはもう勉強はやめてたんだが俺がぶっきらぼうにドアの向こうに言っても、ノックは止まらない。

「なんだっつーんだよ、もう……」


 ドアを開けると廊下に手帳が立ってた。

 見覚えのある手帳だ。

 あのおもちゃの入ったデパートの紙袋に入ってたやつと同じ。

 しかも手帳は置かれてるんじゃない。

 短い手足が生えて、目や口みたいなものがはっきりと見てとれる。


「えぇっ?」


 俺が驚いてる間も短い足を動かして手帳は俺の部屋に入って来る。


「あなたが私の恩人ですね」


 今度は手帳が喋り出した。

 俺はびっくりして両膝を折ると手帳の目の前まで顔を近づけた。


「はぁっ!? いったいなにが……」

「先日助けていただいた手帳です。あなたのおかげで出番を飛ばすこともなく、無事にネタもウケて、事なきを得ることができました、ありがとうございます」

「先日助けた手帳?」

「憶えてらっしゃらない? デパートの紙袋に入った私を?」


 それを手帳に言われて俺も思い出した。

 臼木さんを病院に送ったあの日に交番に届けた紙袋の中身か。


「私の主人はあるお笑い芸人ですが、あの日の舞台で使う予定だった小道具と一緒にネタ帳でもある私を置き忘れていったのですよ」

「ネタの小道具? あのウレタンやプラのやつが?」

「なので、あなたにお礼がしたいと思ってやってきた次第です」

「いや、いきなりそう言われても。俺まだお前のこと信用しきってないもん。というか幻覚なら早く消えてくれよ。夢だったら早く醒めてくれ」

「おや、お気に召さない? せっかく御礼として『溢れ出るご都合コメディ』の能力をお預けしようと思ったのに」

「『溢れ出るご都合コメディ』だと?」


 それを聞いて俺は部屋の床に寝転がると、手帳の眼前まで迫った。

 違う。相手は手帳だから、俺の眼前に手帳がある、というのが正解か。

 でも相手は生きてる手帳だから……とにかく、お互い目の前で向き合った。


「だとしたら、俺の好きな子が難病で困ってるんだよ。俺はあの子を助けてやりたいんだが、どうしたらいい?」

「全てはあなたのお望みのままに。どんなスケッチに如何様なパンチラインを描くかもあなたが決めることです」


 おいおい。いきなりパンチラとはラッキースケベ系のラブコメかよ。

 それは困った……いや、嬉しい……えーと、うん。困ったことにしておこう。

 まぁそれは彼女が健康体になってからのこと。

 それまでは俺の希望通り、無事に病いが完治してくれないと困る。


「おまえ、言ったな。よし、俺にそのスケッチを描かせろ」

「お任せください。ではさっそく張り切って参りましょう~!」


 途端に目の前が暗転。


 ネタ前のブリッジというか、出囃子が俺の耳に、脳内に木霊する。

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