この純文学的ラブコメ感!

邑楽 じゅん

第1話 純文学の病

 俺は教室でいつものように、男友達とくだらない雑談をしていた。

 無論、会話のテーマはクラスのどの女子が良いかなんてもの。

 傍から聞いてたら他愛ない話だろうし生産性は皆無だが、それが楽しいんだ。


「俺はやっぱ河合かわいさんだな。クラス一、いや学年一かわいいよな」

「そうか? やっぱり阿久津あくつの小悪魔的な妖艶さには敵わんだろう」

「でも遊んでるってウワサじゃん。それより小山内おさないだろ。あの身体の小ささは守ってやりたくなるよな」

「んで、エノケンは?」


 そこで話題は俺に振られた。


 俺の名は榎戸健太えのきどけんた、だから皆からエノケンと呼ばれてる。

 このあだ名の話になった時に、ばあちゃんは腹を抱えて笑っていた。

 昭和初期から戦後にかけて活躍した喜劇役者だと言うが、そんなの俺は知らない。

 というか、逆に恥ずかしくなった。

 こういうあだ名になるのは予測できてたことだろう。


 だもんで、男友達とこんな会話をしたところで別に俺がモテてモテて困るということもないし、成績や身長や家庭環境で秀でてもいない。

 いま会話をしている連中の中でも取り立てて浮いていたり目立つタイプでもなく、顔の造作の悪さや素行の悪さで目立ちもしないが、スポーツ万能や成績優秀なクラスの男子連中とはヒエラルキーが違う。


 まぁ、所詮は俺もモブの一人なんだよ。

 むしろモブの中では最下層の見切れ役くらいのもの。

 主役級以外の作画が雑になるアレ。

 俺はクラスで一番、モブだと言われた男だ。

 だから俺が読んでるラブコメ漫画とかだと、ヒロインと主人公との関係を俺自身に置き換えて夢想してしまうもんだが、そこも所詮は創作であるわけで。

 相思相愛の女子も居ないから、うぬぼれ、のぼせて、得意顔なんて事もなく。

 そういう夢物語が俺の身近で起きるはずもない。


 とはいえ、夢を語るだけならタダだ。俺は自分のタイプを友達に披露した。

「俺はやっぱ臼木うすきさんだな。あの感じがいいんだよ」

「はぁっ? 臼木だって? なんか地味で暗いじゃん。エノケンはそういう趣味なのかよ?」


 一斉に俺を蔑む男子ども。

 俺が目を付けたクラスの女子。

 その子の名は臼木佐智うすきさち


 確かにクラスの中では地味だし、目立たない感じはある。

 病弱なのか体育は見学、それに学校も欠席したり出席したりムラはある。

 休み時間にはいつも革のカバーをかけた掌サイズの文庫本を愛読している。

 でも根暗や人見知りでは無さそうだし、根っからのパリピでもない。

 大人しいというよりは体調を慮って安静にしていると俺は感じる。


 そういうあの子の傍になんとなく居たくなってしまうんだ。

 それに俺は臼木さんの本当の良さを知っている。


 あの子と一緒に日直になった時は、細かい気配りはできるし、俺をフォローすることも忘れず、それでいて労いの言葉までくれた。

 それ以来、俺は臼木さんを一目置くようになったんだよ。

 あぁ、これはクラスの他の女子とは違うなって。

 

 だから他の男子どもが見向きもしなくても構わない。

 俺にとって臼木さんこそが目指すべき至高の女子だ。

 とはいえ、俺達ももう高校三年生の夏。

 卒業する前にキチンと臼木さんにコクるタイミングがあればいいんだが。



 そんな二学期の初日、席替えを行った。

 残念ながら俺と臼木さんは遠く離れた位置。

 でも俺達は「うすき」と「えのきど」。

 生徒の五十音順にやってくる日直は二学期でリセットされたから、数日後にはまたあの子と一緒になれる。それだけを心待ちにしながら、俺は最後方の席から臼木さんの背中を見守っていた。



 やがてその日はやって来た。

 授業の終わりのたびに黒板を綺麗に拭き上げる。

 体育館への移動の前に教室を施錠する。

 日誌を書いて教員に提出する。

 そんな些細な共同作業をするだけでも俺は有頂天になっていた。


 放課後。

 提出するレポート課題が全員集まったことを確認して担任に持っていくために俺達は廊下を歩いていた。


「今日はスムーズにいったよ。ありがとう臼木さん」

 俺は緊張で混乱していたが精一杯に平静を装いながら臼木さんに声を掛けた。

 するといつも穏やかな彼女がいつも通りの笑みを浮かべて俺の方を見てきた。

「こっちこそ榎戸くんのおかげで助かっちゃった。ありがとうね」

 その笑顔を見られただけで俺の苦労は報われるってもんだ。


「ゴホッゴホッ……」


 途端に臼木さんが咳込む。

 やはり気を遣わせて無理したのだろうか、俺は不安とともにあの子の顔を見る。


 彼女ごしに廊下から見る校庭の樹々の葉はまだ二学期の初めだっていうのに、どこか秋の終わりを思わせる色付きに見える。これも臼木さんの文学的な格調高さが俺にそう錯覚させるのだろうか、それとも彼女から感じる儚い影が季節を染め上げているのだろうか――。

 おっと、思わず俺まで文学的になっちまった。

 いやぁ、漫画しか読んだことない俺には柄でもないね。さすが臼木さんだ。


 バサッ!


 その物音で我に返った俺は、臼木さんの足元に散らばるレポートに驚いた。

「……臼木さん?」


「ゴホッ! ゲホゲホ……」

 突然に咽返った臼木さんは華奢な両手の指で自分の口元を覆った。

 そして何度も何度も、肺の奥から空気を絞り出すような深い咳をする。

 そのうち、指の隙間から鮮血が見える。

 それで二度驚いた俺は慌てて廊下を右往左往しながら大声を上げた。


「ちょっ! 臼木さんっ? おーいっ、誰かっ! 先生!! 救急車をっ!!」




 俺はたまたまその場に居合わせたためか、臼木さんのカバンと革靴を持って担任と一緒に病院に向かうことになった。

 そして何故か俺と担任は彼女の主治医からこっぴどく絞られることになった。

「佐智さんは身体が本調子ではない。彼女の希望なので通学を許可しましたが、あまり学校で無理をさせないように念を押しましたよね?」

 別にあの子に無理をさせたつもりはないけど……でもこの怒りは俺に向けてではないみたいだ。

 はて? 俺の担任や学校は臼木さんが病気だったと知ってるんだろうか?


「ねぇ、先生。臼木さんのことで……」

 俺が急に先生って言ったから白衣のじいさんと担任、二人がこっちを見た。

 えーと、そっちの怒ってる先生じゃなくて今怒られてる方の先生。

「キミは彼女のクラスの子かな? 悪いけど一旦はずしてもらえるかな?」

 そしたら白衣の先生からはずいぶんな言われようだ。

 俺はあの子のカバンと革靴を持ってるっていうのに。どう見ても関係者だろ。

「榎戸、外のソファで待ってなさい。先生との話が終わったら私と一緒にタクシーで帰ろう」

 学校の先生からもそう言われたんで、俺も素直に退散するしかなかった。


 診察室を出て受診外来の入口まで向かってた時だ。

 ナースステーションに居た看護師の会話が聞こえてきた。


「担ぎ込まれてきた急患さん、あの高校生の女の子だったわ」

「やっぱりアレのせいかな……予後も悪くて、だいたい発症から数年でステっちゃうみたいだし」

「若いのに気の毒ね」


 俺には『ステる』の意味がわからなかったが、なにやら不穏そうな様子だっていうのは看護師の口調でわかった。

 だから俺は臼木さんに悪いと思いつつも、そこで立ち止まって精一杯息を殺して、その会話を盗み聞きしてた。


「例の奇病……『純文学の儚いヒロイン症候群』のせいね」


『……っ!』

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