第24話

 私の異能が、何なのか分かった。

 その前に、少し整理をしたい。あの日、キスをして呪いが解けた。朝川晃に呪いを掛けたのは六畳みやだった。


 考えてみればそれは当たり前なことで、自分の好きな人は女癖が悪くて、けれど独占していたい。愛している人よりも、愛している人が自分以外に選んだ相手を罰する、そういう呪いを選んだ。「朝川光平がキスした相手は、呪いを受けますように」と結論に至ってもおかしくない。事実、朝川光平の唇には呪いが掛かり、鶴首つるぎと神子結衣がその餌食になった。それが幼馴染であれ、同級生であれ。しかし自分の掛けた呪いは、自分に帰ってきてしまう。鶴首つるぎに断られ、神子結衣を諦めた男の愛は、結果として本願を成就するが、それは呪いを掛けた六畳みやにとって本望だったのか、どうか。

 『好きな人に唇を奪われる』なんて聞こえはいいが、冗談じゃない。私は御免被る。

 もう一つ、なぜあの日、『クチビルさん』は一体しか現れなかったのか?

 実はあの学習会の日、私の唇は戻っていた。階段で、六畳みやとぶつかったときに、すでに「接触」という条件は満たされ、呪いは解けていた。だから廊下で母親が私の顔を見ても、びっくり仰天、失神で精神喪失しなくて済んだのだ。精神的にも落ち込んでいて、長い間、それも2か月半にわたって強制的に口が開けられている状態が続いたのだ。地震で停電したとき、カチカチ電気のスイッチを切り替えて今がオンなのかオフなのか分からなくなり、電気が復旧して明かりがついてもしばらくは何の違和感もなく受け入れている時があるでしょう?それと同じ。…ちょっと苦しいかな、でも、ちょっと慌ただしい日常だったので許してほしい。


 屋上で『クチビルさん』が消えたのは、どうしてか?だって呪いを掛けられた人が呪いを掛けた人にキスしなければ呪いは解けないのでは無かったか?これについては、博士がこんなことを言っていた。


「呪いというのは、言葉と同じだと言ったろう?言葉とは伝達で、呪いとは感情の一種なんだ。好きなら人は好きの言葉を吐くし、嫌いなら嫌いと言う。不特定多数の人に向けられた「嫉妬=呪い」という曖昧な感情は、君の世界一醜いキスによって「嫌悪」という感情に埋め尽くされた。その瞬間に、呪いでは無くなったんではないかな」


 知らんけど。と、最後に付け加えて彼は笑った。彼らしい適当ぶりだ。

 けれど、玖想図の痛めつけた『クチビルさん』が彼女の口に戻ったとて、彼女の唇は痛ましい姿のまま。深い傷や裂け目は、博士曰く二度と元に戻らないのだという。唇を切り離して新しいのをくっつけるかしない限り。彼女は一生、マスクなしでは生きていけなくなってしまった。

 案の定私は嫌われてしまった。あの日以来私の家に向けられた窓は閉じられ、学校で会っても知らんぷりだ。当然だ、彼女にとっては、彼女の顔をめちゃくちゃにした張本人が私なのだから。あれ以来朝川晃とも関係を断っているという。学校には私の悪評が溢れているが、これでいいと思う。彼女は誰かを嫌うことを覚えた。今回の件に懲りて、きっと、社会に出てイケメン優男に遭遇しても、簡単には股を開かないだろう。それでも彼女が困ったら、私はいつでもピンチに駆けつける。もはや恋は敗れても、私はあの子の親友なのだから。

 では、本題。私の異能は何だったのか?

 実はあの日、キスをした日。雲が唇みたいにぱっかり割れて、そこから青空が覗いた。私の異能は、感情の上下に合わせて、雪を振らせる程度の能力だった。ミニの域を超えていやしないか。


「感情のコントロールに努めてくれ。もしかしたら、干ばつ地域への派遣もあるかもだから、パスポートを用意しておくように」


 と、博士に念を押される。近々能力範囲の実験もするそうだ。これで就職先は探さなくてもいいのかな、と思ったりしたがちゃんと勉強はしておこう。将来、自分がどんなことをするにしても、全力を尽くして後悔できるように。

 今、私は学校の廊下を走っている。勘違いしないでほしいが、今は学校の振替休日だ、勿論(漢字で書けるようになった!)あの日の復旧のための、だ。あの事故は近くのごみ処理工場の排気ガスによる集団幻覚ということで話がついた。いや、無理やり付けられた。事実、今もなおあの場にいた生徒の半数がカウンセリングに通っており、組織が根回しして、全国からその手の人材をこの町にかき集めているのだという。


 生徒6人。

 それが、犠牲に遭われた方々の数。心の傷を負われた方も含めれば、両手両足では足りないだろう。


 これは、私の選択肢が招いた失態。だから、私がその責任を負わなければいけない。

 たとえ彼らや彼らの親族に嫌われても、這ってでも近づいて、どうにかこうにか幸せ にする。そのためには権力とお金が必要だ。だから、まずは博士経由で組織に入り、国の中枢で政治と金の実権を握ろうと思う。博士が言うには組織は男社会らしいが、そんなこと知るものか。どんなことをしてでも、私は私のやり方で後悔してみせる。

 さっき博士と会って、私は、玖相図肆参を探して学校を走り回っていた。校内では修理業者やら清掃業者やらが入り乱れて、本来の学校の形を取り戻そうとしている。きっと私の知らないところで、いつもこんなことをしていたんだろう。お勤め、ご苦労様です。

 目星はついていた。きっと中央階段。神子あいの所だろう。

 どれだけ避けられようが、どれだけ悪態をつこうが彼女はそこにいる。なぜなら、私には彼女の気持ちが分かったから。

 嫌われて、分かった。

 嫌われた思い出は、きっと好きや愛してるよりも、もっと深く心に刻まれるから。

 相変わらず私はぶり返した子供のころの癖が治らず、荒れた唇をさらに噛みむしって、何度も何度も出血をしている。今までサボっていた分、唇を噛んでいないとまともに立っていられない。

 けど、その傷はやがて新しい皮に包まれ、いつかぼんやりと痣になって残るだけ。


「唇は、どこからどこまでなんだろうね?」


 博士が問う。心が荒れれば唇は荒れる。心が傷つけば、唇も、身体も同様に。

 彼女の身体は傷だらけだった。メッキや塗装を上から重ねても、それは治ったとは言えない。30年という月日は、残酷に、同じような傷を増やしていくだろう。

その中で、例えば、忘れたくない傷があるとすれば。私なら、自分でもっともっと抉って、もっともっと深い傷にする。

 忘れないため。

 彼女がどうして悪態をつくのか、どうして周りの物を傷つけてしまうのか。

 これ以上言うのは野暮だろう。

 中央階段に差し掛かり、階段を1段、2段、3段と飛ばして駆け降りていく。

 実はすでに何回かここを訪れていたが、一人では神子あいに会うことすら叶わなかった。前は自分が「呪い」の人だったから、それも可能だったのだが。だが今日は違う、彼女がいる。

 いつか博士が言っていた。


「彼女、今回は早く終わらせたいみたいだから」


 私のことかと思っていた。自惚れるなこの野郎。きっと、彼女のためだろう?

 神子あい。私が、かつて見捨てた女の子。

 きっと嫌っているだろう。もしあの時意識がなくて私のしたことを覚えていなかったのなら、ちゃんと嫌われよう。

 声が聞こえてくる。子供っぽく甲高い声で、まくしたてて勢いのある喋り方。カッターナイフの刃を短めに出して、やたらめったらに振りまわすような話し方。

一緒に卒業しよう、玖相図肆参。それが私の願いだ。

 君を呪う5人の人がいるのなら、私も一緒に頭を下げて、仲直りの手伝いをするから。30年続いた呪いなんて、きっとこの1年で終わりにしてみせるから。呪いを解いて、いつか、この町の外に出てみよう。一緒に大学受験をしてみよう。一緒に、恋とかしてみよう。


 懲りないな、私は。また、傷つくために恋をするんだ。

 けどそれでいい。唇を噛みしめて生きていくと誓ったから。


「…!!」

「~~~!!!」

「玖想図!!」


 踊り場から、真下に見える小さな二人。私の呼びかけに、鬱陶しそうに顔を上げる。

 ふと、背中に風を感じる。振り返ると、いつかのように窓が開いていて、ああ今気づいた。水筒に、布団、お菓子やらなにやら、そこら中に散らばっている。

 また風が吹いた。

 季節外れの桜が、窓から舞い降りて、水筒の底に足を止める。


 ちゃんと誰かを嫌いになれるようになれた。それが、私は嬉しい。

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機械少女にリップクリームは似合わない @AKIHABARA

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