第23話

 博士は死体の確認をしていた。私の姿を見ると


「文句の分くらいは受けたみたいだね」


 と半笑いして、壁に寄りかかる。

 タバコを胸から出して火を付けようとする。が、窓から入ってきた強風で火が中々付かない。


「…博士、18でしょ?」

「見た目はね。頭脳は37とかそんくらいだよ。僕の呪いは、どんどん身体が若返っていく呪いなんだ」


 やっと火のついた煙草を美味しそうに加え、肺いっぱいに吸い込むが途中で咳き込んで全部吐き出してしまう。そうやって涙目になっているようなところは、年相応で 可愛いのだが。


「六畳みやと朝川晃は屋上へ逃げたらしい。どうして自分から逃げ場を失くすかなぁ?こうやって高校に紛れ込んでると、時々少年少女たちの知能指数の低さに日本の未来を心配しちゃうね。ところで、行くのかい?」

「行きます」

「今度は、ちゃんと自分で決めなよ。良くも悪くも、自分で自分を傷つけられるのは人間にしか出来ないことだからね」


 礼をして、また階段を上がっていく。バイバイ、と博士は手を振った。

 屋上は、神子結衣の事件から封鎖されていたらしかったが、ドアの前には壊れたドアノブと、一部凹んだパイプ椅子が転がっていた。相当焦っていたのか、ドアの窓ガラスを割ったのに、そこから入った痕跡はない。後ろからクチビルのでっかいお化けが追ってきたら、そりゃ焦るよなと同情する。

 ドアを開く。屋上には学内の排気ファンが敷き詰められ、暖房の熱で雪はほとんど融けてなくなっていた。屋上の風をもろに浴びて、髪が邪魔で前が見えない。まだ動く方の手を頭に添えて、吹き飛ばされないよう、力を込めて前へ進んでいく。

『クチビルさん』は玖想図に組み敷かれて、今度は鉄パイプで磔刑のように四肢を刺されて固定されていた。


「くっそ、吐き出しやがれっ…!!」


『クチビルさん』の腹を虐待するみたいに蹴りながら、玖想図はそう悪態づいていた。

 離れたところで、みやはぺたりと膝をつき、その光景をただ見つめていた。


「みや!」

「…つる…!晃が、晃が飲み込まれて…」


 それでか、『クチビルさん』から半分はみ出た学生ズボンは。玖想図は化物が光平君を嚙み千切らないよう、鉄パイプを歯と歯の間に挟みこんでいる。ああまでされると滑稽というか、ちょっと『クチビルさん』が可哀想にも見える。


「ねぇ、助けてよ!晃が…」


 みやが、泣きそうな瞳で私に縋ってくる。

 私が飲み込まれても、そうやって泣いてくれていただろうか。そうだといいな。しゃがみこんで、彼女の目を覗く。息を吸って。


「ねぇ、私、みやの事好きだよ」

「え…?」

「みやの事が好き、大好き」

 

 一息に、心を込めて。言った。言ってしまった。


「…なに言ってんの、今あれがそこにいて、どんな状況か分かって…!信じらんない、信じらんない!!」


 けど、まだ、伝えられてない。


「朝川君に!!」


 急に声を上げたから、みやがきょとんとしてしまう。


「冬休み、朝川晃君にキスされた。無理やり、もうほとんど、レイプ」

「…は?」

「部活中に、いきなり声掛けられて。告られたの。私、断った。みやの事が好きだから。でも、そんなの聞いてくれなくて…」


 言っていると、ふと、涙が目から溢れてくる。

 ああ、意外に辛かったんだな、私。


「晃君が何言ったか知らないけど…!私は、みやに助けてほしかったよ…!!窓越しじゃなくて、ピンポン押して…!昔みたいに、ちゃんと面と向かって…!!」


「…そんなの」


 けれど、みやは。


「…そんなの信じるはずないじゃん!!晃が嘘ついたっていうの!?私はつるなんかよりずっと昔から一緒にいるんだよ、昔から!!」

「みやが晃君のこと好きなの知ってるよ!!」

「聞きたくない!」

「聞いてよ!!」

「聞きたくないっ!!私の唇だって何もしてくれなかった。あんたはあいつを独り占めした!!家が隣なだけなのに、何だよそれ!!友達のくせに調子に乗んなよっ!!!!」


 あいつ、と言ってみやは玖想図を指さす。引き出されてぐったりした光平君をファンの上で乾かして、まるで私たちの話に興味がないように、遠く海の向こうを眺めている。ただ、耳はこちらに向けたまま。

 友達は深く関わっちゃいけないんだ。これ以上進んだら、私とみやは友達じゃなくなっちゃうな。やっぱ、それって辛いな。

 呪いを掛けられるのも半端じゃなく面倒だけど、人と深く関わることが、こんなに面倒臭いなんて。

 

 だけど。


「聞いてってばっ!!!!!」


 みやの肩を掴んで、言う。最後まで、自分で。

「たまたま家が隣だっただけで、たまたま窓がお向かいってだけで、私こんなにみやの事好きなの。小学生の時、嬉しかった…私にあんなに心を開いてくれた人、みやだけだったから…」

「…そんなの…昔のことじゃん…」


 みやは、また、目をそらす。


「たまたま同じ町に生まれて!たまたま隣の家で、たまたま同じ学校に通ってただけで!私とみやはこんなに違うんだ。晃君だけが特別なんじゃないの!気持ち悪かった…顔を押し付けられて、鼻息荒くて、身動きも何も出来なくて…!神子さんだって、晃君に好き勝手されて、みやだけが特別だなんて思わないでよ、夢見ないでよ!!好きなの!みやの事が好きで、幸せになってほしいの!!だから、私のこと、嫌いになってもいいから、頼むから…ちゃんとしてよ…!!」


 言葉が途切れて、次の言葉を口に出来ない。

 何か言おうとするたびに、涙と、涙が溢れてくる。

 そう、ちゃんとしてほしい。ただそれだけ。

 私の大好きな人に。

 けれど、


「…最低、意味わかんない、そんな一辺に言われて分かるわけないじゃん…!ねぇつる、まだ戻れるよ。友達に戻ろうよ!意味わかんないのとかモヤモヤするのなんて、もう嫌なんだよ…!」


 ――やっぱり、みやは強いな。

 こんなに私が呼びかけても、まだ誰かを信じようとしてる。


「…そっか…」

「つる…?」


 まだ、あるんだよ。ハッピーエンドの選択肢。

 でも、その前に。

 彼女の身体を抱き寄せて、お互いのマスクを外す。困惑しているみやの顔に、私は飛び込んでいく。


「…!」


 みやの口に、私は、キスをする。


 顔を押し付けて、鼻息を荒くして、身動きも何もかも彼女の主導権を奪って。

 

 きっと世界一、気色悪いキスをする。


 視界の端で『クチビルさん』が消えていく。あぁ、やっぱりこの選択で良かった。少しだけ悲しいけど、逃げなくてよかった。


「…!!痛…」


 唇に痛みを覚えて、顔を離す。みやの口から、みやのものではない血が流れている。


 彼女はまっすぐに私の目を見つめて、それで、きっと人生ではじめて覚えた感情を込めて、こう言った。


「…気持ち悪っ」


あーあ。

嫌われちゃった。

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