第22話

 阿鼻叫喚の地獄とはよく言われるけれど。はじめて本物を見た。

 昼間。生徒が行き交う廊下で、大きく口を開けた化物が、人間をミートボールみたいに簡単に飲み込んで、咀嚼して、血をまき散らしながら近づいてくる。

 

 千切れた腕がぽーんと、足がぽーんと飛んでいく。あ、遠くで窓ガラスが割れて、今誰か落ちたな。「キャー」とか言って。

 もみじおろしみたいになった人間の繊維が、廊下の上下左右の壁にビシャビシャ巻き散らかされていく。

 私は逃げ惑う人ごみの中で、壁に寄りかかってその光景を眺めていた。あいつがこっちにくるまでの短い人生だ、走馬灯でも見ておこうかしらん。

 六畳みやと朝川晃はお互い尻もちをついて動けなくなっている。光平君はせめて逃げようとしてるけど、みやが引っ張って離れないみたい。博士は?と辺りを見回したら、消火栓の所まで走って、ボタンを押している。あの時と同じサイレンが鳴った。ただ、今は統制するひともなく、ただどこへ逃げていいかわからない家畜たちが、柵に入ったライオンの前でジタバタしているに過ぎない。

 みんな死ねー、とか、その時私は考えていた。


「玖想図!!!」と、博士が叫んでいる。消火栓の扉を開けて、無線のマイクみたいなものを口に押し付けて。


 来るんだ、あいつ。と思って、立ち上がろうとする。

 それは駄目だ。せめて、私が殺されてからじゃないと意味がない。きっとあいつを呼び出したのは私だ。学習会の日も同じだった。それが多分、私の異能。

けれどいつまで経っても立ち上がれなくて、床を押している筈の私の右手を見る。きっと逃げ惑う人々に踏みつぶされたのか、指がそれぞれ明後日の方向に曲がって、皮 膚は赤黒く内出血していた。うわー痛そー。

 よいしょ、と壁に体を押し付けて立ち上がる。「鶴首君!!!」と後ろから呼ぶ声がする。駄目なんですよ、博士。これきっとすっげー痛いやつだから、脳内麻薬ドバドバのうちに頭食われとかないと、後悔するんす。

 私が前へ一歩踏み出すと、壁になった人の群れが、目の前でパッカーンと割れる。モーセみたいだな、と思って、こんな頭いい単語がすぐ出てくることに驚く。きっと脳内では機関車が全速力で強盗団から逃げるみたいに、記憶をくべまくって、最大効率で人生を総決算しているんだろう。

 いや、いい人生だったな。小さい頃は色んな漫画やゲームも出来て、小学校ではみやにも会えて。人生が24時間時計なら、人生最後の3分間ぐらいは最悪と最悪を煮込んで浮き出たアクみたいな人生だったけど、もともとマイナスとマイナスをかけ合わせて生まれた子供だもん、文句は言えない。それにどんなにマイナスでも、私にとっては最高の両親だった。

 両手を広げて風を感じていると、さっき割れた窓の前に自分が立っていることに気づく。ああ、リアル風だこれ。

 クチビルさんは短い足でチョコチョコこちらに近づいて、あと7mってとこだったが、改めて考えると咀嚼されて死ぬのは痛そうだ。ここから飛び降りたら、頭からいけば苦しまずに死ねるんじゃないだろうか。そっちの方がいい気がしてきたな。

そう思って、窓から外を覗く。下は中庭で、雪が積もっていた。クッションになったりせず、ガツンといければベストなのだが。


「うぅ~寒っ」


 ふと、中庭に誰かいると気づく。遠目だとご飯にのったごま塩ぐらいにしか見えず、人の判別がつかない。


「おぉーいごま塩さーん!!ぶつかると危ないぞぉーっ!!!」


 叫ぶと、彼(彼女?)は一歩、二歩と下がって、またこちらを見上げてくる。どうやら聞こえたらしい。なんだ、ちゃんと届くじゃないか、私の声。なら最後に叫んでおくか。


「私は!!!!六畳みやのことが!!!!!好きだったぁーーーーーーーーーっっっ!!!」


 すぐ後ろまで『クチビルさん』が来ているのが分かった。手をテコに窓枠に乗り上げて、頭から飛び降りる。


 グッバイ、人生。


 飛び降りる瞬間、中庭の子が校舎に向かって走るのが見えた。忘れ物でもしたんだろうか?なら、今は来ない方がいいかもよ。

 冷たい海風が肌に刺さって、目も開けられない。いつ地面に着弾するのか分からない、怖い。

 と、下から轟音が聞こえて、次の瞬間。


「馬鹿じゃねーの」


 と、耳元で聞こえる。メリメリと凍った瞼を押し上げると、自分より背の小さい黒い影がまさに今、私とは真逆の方向へ跳躍している所だった。


「ぐっっっ!!!!?!?!?!」


 それだけでなく、蹴りやがった。

 身体は校舎の方へと吹っ飛び、窓ガラスを割って中へと転がり込む。痛い!セナカ!セナカツヨクウッタ!!額が熱くて手で触ると、血がついている。窓ガラスで切ったのだろうか、痛い、熱い、痛い!手の感覚が徐々に戻って、痛みですぐに覚醒する。なんだこれ、駄目だ、ナイフとハンマー両方交互に食らってるみたいに頭がしっちゃかめっちゃかだ。


 顔を上げると、廊下の窓ガラスが割れて散乱している。どうやらここから自分が転がり込んだらしかった。

 海風?急に台風かなんかで飛ばされた?いや、確かに蹴られた。考えられないが、中庭にいたあの子が、私を踏み台にしたんだ。

 そんなこと、普通の人間に――。と考えて、あ、と思う。

 いたわ、知り合いに。得意技が2段ジャンプと、スレッジ・ハンマーな女の子。


「ぐううううっっっ…痛いっっっ……」


 壁に寄りかかりながら、彼女が今、『クチビルさん』と戦っているのだろうと思う。だってほらその証拠に、


バゴォォォォォォんッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


とか


ドぐぉぉぉぉぉぉぉォォんッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


とかドラゴンボールかラノベでしか聞いたことない効果音が聞こえてくるもん。めっちゃ地面震える。めっちゃ得意技披露してんじゃん。隠密活動どこ?

 最悪、考えられるのはそんなこと考えなくていいくらいに、人がもう残っていないか。みやは、大丈夫だろうか。


 なんとか壁を支えにして階段を登っていくが、ふと、もうどうでもいいんじゃないかと考えてしまう。


だって考えられる可能性は

①みやもみんな死んで、『クチビルさん』が駆除されてしまう。

②まだみやもみんなも生きていて、『クチビルさん』が駆除されてしまう。

③まだみやもみんなも生きていて、『クチビルさん』の呪いを解く。

④みやもみんな死んで、『クチビルさん』の呪いを解く。

 誰が生きてるかって考えるとめっちゃ分かれちゃうからこんなとこで。一番意味ないのは①か④だよな。ただ、まだ音は聞こえるから『クチビルさん』はいるんだろう。ただもう、玖想図は容赦しない。②も③もどっちも生き地獄だけど、こんな痛い思いして③のハッピーエンドに辿り着くモチベないなー私。だってめっちゃ酷いことされて、そんなやつ助ける必要ないもんな(主に六畳と朝川)。

 ――そう、たかが隣に生まれただけで。

 たかが、親友。

 また、自分は選択肢を与えられている。本当に幸運だと思う。最初は玖想図の学食に行くかどうか。2回目は朝川と握手するかどうか。それで今、なんと3回目。上に行くか、病院に行くか。

 というか、今更。呪いを掛けた人は、もう分かるもんな。

 目を逸らしていた事実が、冷蔵庫で冷やしていた裁縫針で胸の奥の方を刺している。

 私と、朝川晃と、六畳みや。誰が呪いを掛けたのか。

 大事なのは、今でもみやに幸せになってほしいと思っているかどうかだ。事実、ちょっとその気持ちは薄れている。朝川光平を目の前で選ばれたら、仕方ない。

 いや、また間違えた。さっき私が叫んだ通りだ。六畳みやとキスしたいか、キスしないまま死ぬかどっちかだ。

 

 選択肢は1回目も2回目も今は後悔している。どっちも多分間違って、どっちも痛い目にあった。ただどうせいつか忘れる痛みなら、最後はせめて後悔のない痛みを受けたい。許される限りの時間を使って、ぎりぎりまで考えたい。上に行ってからでも、その選択はまだ間に合う。

 私は階段を登り始める。痛さにはもう慣れた。

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