第19話

 日曜日があってよかった。日曜日がなければ大抵の人間は死んでいるだろう。

 月曜日の夕方、そんなことを考えていた。

 服も着替えず、マスクも取らず、あの日の着の身着のままで、私は布団の中に保存されている。いきなりすごい化学反応とか起こって、コールドスリープとかしないかな、とか。

 外では父親が休日返上で雪かきをしている。昨日の夜も振り続けた雪は、今朝になって勢いを増しみるみるうちに町を覆いつくしていく。いいぞー、このまま学校もなんもかんも埋め尽くしてくれーと、叶うわけがないのにそういう期待しちゃってる自分もいるのだ。笑える。光をどれだけ部屋に入れないようにしても、ぼうっと白く天井のはね返りで明るくなっているのは外の環境のせいだった。

 

 あの後二人はどうなったのか、六畳みやと朝川晃は無事に帰ることは出来ただろうか。窓を覗けばその片方の答えは分かるが、そんな勇気は無かった。両方の答えが一気に分かってしまう危険性があった。

 いつから六畳みやと彼はそういう関係だったのか、どうしてみやは何も言ってくれなかったのか。考えても仕方ないことだが、彼女が彼に対して心を開いた理由は、なんとなく分かる。

 唇を無くしたとき、心がずんと沈んでしまった時、一番近くにいてくれた人を嫌いになれるはずがない。私にとって満点星ゆりかや神子あい、父や母がそうだったように。彼らは呪いのことなんてこれっぽっちも知らないだろう。だから例え、朝川光平の呪いによって唇を失ってもそれが彼の仕業だとは分かりっこない。彼女にとっては、彼が一番近くにいてくれて、キスしてくれるような存在だったから。


「…」


 悔しさがふつふつと浮かび上がってくる。あるはずのない唇を噛んで、切れ目から血が滲んでくるみたいだ。口の中で血の味がする。どうしてあんな男とみやを一緒に放置してしまったんだろう。自分が辛いとき、なぜみやと一緒にいることを選ばなかったんだろう。勘違いしていた。六畳みやが私に見せてくれた秘密は、二人だけのものでも何でも無かった。

 博士の言葉を思い出す。


「…じゃあもう、待たなくていいんだね?」


 それは、次『クチビルさん』が現れた時が、私とみやの、唇の終わり。


「…!」


 こうして何もできない自分が悔しい。朝川光平の肌に触れることさえ、今家を飛び出して彼の部屋に飛び込んで肌に触れるという手段が、気持ち悪くて仕方ない。きっと、みやが触って、みやが触られた色んな場所。

 軽い頭痛とめまいで視界の焦点が定まらない。酸素が薄いのかもしれない。1日前から変えていないマスクは、自分ではニオイが分からないが鼻水やら唾液やらで少しだけ黄ばんでいた。ゴミ箱に放り込み、机の引き出しを開けるがスペアは切れてしまっていた。

 多分もうどうでもよくなっていた。一階のリビングへ降り、マスクを数枚手に取る。テレビでは相変わらず「神子あい失踪事件」の続報を流していた。

 

 また部屋へ戻る途中で母親とすれ違い、一瞬目が合うが特に話すこともないので、逃げるように自分の部屋へ駆け込む。部屋の扉を閉めたところで自分がマスクをしていなかったことに気が付いた。母親も暗い廊下では気づかなかったのか。いっそ意外と、何も付けずに顔を露出して町へ出たとしても、何も言われないんじゃないだろうか。出てしまおうか。いや、朝川光平の部屋に転がり込んで、「口裂け女だぞ~」とか言って驚かせようかな。もうこうなってしまえば、六畳みやの部屋に転がり込んで、私の本願を遂げてしまおうかしら。マスク越しに彼女の肢体を舐め回すように縦横無尽にキスするのだ、そして、彼女を私の手籠めにしてしまおう…。

 はぁ、とため息をつく。

 キスしたかったな、六畳みや。

 彼女が彼を好きなように、私も彼女を好きだった。その思いは今でも変わらない。

マスクを付け、姿見の前に立つ。部屋の中なのでマスクを付けなくてもいいことに気が付いたが、さっきの母のこともあるし、掃除機持って「あんた今クチビルどこやったの!?」って突貫してくるかもだし。それに、もう何日も付けっぱなしで、覆い隠されてるこの感触が無いと、自分としてはイマイチぴんと来ない。いやしかし、太ったなぁ。

 ツル首ハト胸。私の小さい頃のあだ名。

 体に自信がある、なんてのは体に自信が無い人の造語だ。

 おっぱいが大きくても何もいいことなんて無かった。うつ伏せすると肺が圧迫されるから背筋するたびに窒息死しそうになったし、胸にでっかいダンベル付けてんのと変わんないから走るたびに鎖骨らへんの皮が引っ張られて、小さい頃からスポブラしてないと千切れそうなくらいの痛みが走ってスポーツどころでは無かった。それもあって、多分アウトドアが苦手だったんだな。だからもし、六畳みやと出会っていなかったら、と思う。それはそれで楽な人生だったんだろうか?朝川光平が自分に呪いを掛けてキス・リップ・デストロイヤーになることもなく、みやも神子結衣さんも唇を失うこともなかった。もし、なんて想像を今したって仕方ないことは分かっているが、まったく人生は物語より奇なり。である。

 

 でもこれからの話なら「もし」を、考えられる。

 唇が戻るとか戻らないとか、最初っからそんなことではない。確かに六畳みやには唇が戻ってほしいと願った。でも今は話が違う。私の願いは今も昔も、六畳みやに幸せな人生を歩んでもらいたいと、ただそれだけなのだ。そしてそれは主観的にではなく、鶴首つるぎ的幸福である。

 その幸福に、朝川晃は要らない。


 彼といても、彼女は幸福でも、私は不幸になってしまう。そんなのは許せない。

 朝川晃は私を襲った。私の体を狙って、私の心を蹂躙した。そして多分、神子結衣も同じように。世界一可愛い神子あい曰く、宇宙一可愛いお姉ちゃんを、彼は汚した。本人にそんな意識はないかもしれないしこれは私の拡大解釈と分かってはいるが、そんなことは知らんこったである。一番最善なのは唇を取り戻し、六畳みやが幸福な人生を送れる選択肢。そしてそれは、まだ残っている。

 朝川晃を、寝取る。

 六畳みやの目の前で、彼の唇の履歴を私が上書きする。

 体には自信がある。アイドルがフィクションなら、私はフィクションを愛そう。六畳みやという私的アイドルを、生涯かけて推し活させていただく。

 それで私の主観的には、私は幸福になれるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る