第16話

 部屋には総菜やらお菓子やらのニオイが籠ってだいぶ鬱陶しいことになっていた。


「窓開けようよー」

「嫌ですよ。博士と話してるのなんか普通に聞かれたくないし」


 窓を開けてすぐそこの部屋には、六畳みやがいるはずだった。


「あー…君の好きぴ?」

「違う!」

「もー今更いーよー。百合ばっかだったもんな」


 何が、とは語らせない。人生至上の憎しみと殺意を込めた視線で博士を牽制する。


「怖いなぁ。友達少ないのもその顔の所為なんじゃない?」

「こんな顔、あなたにしかしませんよ」

「字面だけならうれしいねぇ。友達百人作りたいとか、入学の時思わなかったわけ?君ぐらい陰気な奴ほど、そういう野望を身の程知らずにも抱くもんだろ?」

「…さっきの仕返しですか」

「まさか。君の事は信頼してるよ。だって君は友達百人作ったとして、そいつら全員連れて登った富士山で感慨を共有することなく、急にえぐいムラムラして普通に草むらでオナニーするような人間だからね」

「ムラムラ!?オナニー!?」


 驚きのあまり重要な箇所を復唱してしまった。


「穴埋めしてみろよ。好きだろお嬢ちゃん?」


 こいつ口を開けば下しか言わないな。中身オッサンなんじゃないのか?


「ったく客人に対して…ふぁーあ。眠くなってきたよ。ていうかちゃんと朝川光平の家、確認した?」

「しました」


 明かりはまだ点いていなかった。彼らが神子あいの家に行って何を話しているのかは分からないが、人の死に関わることだ、難航するのも簡単に想像できる。


「じゃあ六畳みやの家の前のさ、足跡はーー」


 と、言いかけて


「…やっぱいいや。関係ないし」


 とベッドに寝転がってしまう。何故か部屋主の私は床に布団を強いて眠ることになった。それも、ちゃんとしたのは神子あいが今使ってもらっているので、押入れの奥にあった子供の頃使っていた小さなキャラ物の掛布団一枚を体に掛けただけ。

関係ない、か。関係ない、知らない、分からないことだらけだ。


「そういやさ、六畳みやとはキスした?」

「キスっていうか、握手は、しようとしました」

「なんだ結局してないのか。君は僕と会ってから色んなことを知って、結局何をしたんだ?」


 博士はやけに六畳みやを疑っているらしかった。

 が、ありえない。乱暴をされて人を好きになるなんてことが、果たしてあるのだろうか?


「…明日『接触』します。あ、いや一人、神子あいは確かめた」


 額と額で、キスした。


「神子あい、か。まだ生きてた?」

「一応土日分の食料と、…寝床は確保しました」

「有難いね。だけどそういう仕事は玖想図の領分なんだよなぁ。あいつに色々命じた筈なんだけど」


 神子あいは玖想図肆参の知り合いだった。名前はたしか…『ショーソー』肆参で違ったけれど、どうやら同一人物で間違いない。

 あれだけ優しい人が、あれだけ憎む目を出来るのは、何があったんだろうか。


「玖想図肆参について教えてくれませんか」


 少し、沈黙があって。


「僕が眠るまでね。何が知りたい?」

「…どうして、名前が何個も?」


 ふう、と博士は嘆息する。


「名付けたのは僕じゃない、前任者だけどね」


 と、前置きしつつ。


「最初に彼女を呪ったのは30年前の卒業生だった。最初は失踪騒ぎになったけど、組織が廃校の中で泣いてる彼女を見つけたらしい。

 学校から出れない、まともに社会にも溶け込めないってことで、当時の研究者はそのまま学校に置いておく方が問題は無いと考えた。だけど名前も顔も変わんないんじゃ騒ぎになる。ほとんど資料は残ってないけど、名字の方は最初の研究者の趣味なんだってね。

 脹せず、壊せず、血塗せず、膿爛せず、青瘀せず、噉せず、散せず、骨せず、焼せられぬ、最強の機械。

 そういう願いを込めて名付けたらしい。最初はこんなに長く呪いが続くなんて、考えてなかったんだろうさ」

「だって、名前を変えたって顔が同じなら…」

「機械、だからね。お面みたいに取り換え可能。一番下の顔は見せてくれたことないけど。それで肆参っていうのは、組織がもともと対化物用に開発していた実践兵器の型式番号を取ったらしいよ。玖想図がああなるまでに四二個作ったオンボロがあって。つまりさ。ルパン三世とかゴルゴ13みたいなことよ。対化物兵器の肆参号機。だから、玖想図肆参(フォーティースリー)。

普通の九相図ってのにしなかったのは権限があった僕の独断さ。だって心があるのにあんまりだろ?」


 三十年も学校に閉じ込められて。

 ずっと仮面を着けて、化物と戦わされている。力を欲したわけでもないのに、責任を負わされている。

 戦わなければ誰かが犠牲になる。呪いも解けぬまま、終わることのない戦いを強いられている。悪態をついて、わざと人を傷つけるような言動をとって。確かに心が擦れてしまっていても、同情できる状況ではあった。


「最初の名前は?」

「さぁ、教えてくれなくてね。それか思い出せないんじゃない?もう昔のことだから。」


 それほど苦しい状況にあって。

 なぜ。


「…なんで、呪いを解きたいって思わないんでしょうか」

「呪われた方が楽だって思ってるんじゃない?彼女に聞きなよ。といっても、一人に呪われるだけじゃ飽き足らない魔性の女だ。深入りしない方がいいと思うけどね」


 彼女を呪った、五人の生徒。


「呪いを掛けた人と、よみさんとはどういう関係なんですか?」

「一番最初の人は知らないけどね」

 

 と、博士はくだらなそうに続ける。


「二人目からは組織が学内から選出した、言わば玖想図を現地で補佐する役割の人間だった。彼女、色々と戦い方が派手だろ?学校側の人間で、しかも無知で口の軽い生徒の中に内通者がいると助かるんだよ。ウワサを流したり、間違った情報を流したりする、さ」


 教師はきっと学長とか、それより上の人間に抑えられているんだろう。


「一応呪いとかそういうのを秘密裏に研究する場だからね、あそこは。いちいち秘密を知った教師とか生徒を島送りにしてたんじゃキリないだろう?」

「そういう人がいたの」

「君みたいに偶然現場に居合わせたりとかね。普段からチャイムとか防災訓練で生徒には徹底させてるんだけど、思春期の人間というやつは思い立ったが吉日の動物だからねー。君は呪いが肉体に現れる珍しい個体だったからまだいられるんだよ?上に直訴した僕に感謝してほしいぐらいだ」

「…」


 いちいち関係した人が遠くへ飛ばされてしまう。結構辛いのだろうな。


「まぁ、彼女。今回は早く終わらせたがってるみたいだけどね」

「それは、まぁ、私のこと嫌いみたいでしたし」

「あれはあれで、結構君のこと、好きみたいだけどね。だから早く終わらせたいんじゃないの?」


 そうなのだろうか。そう思われていることは、実際うれしく感じるけれど。


「ふあぁ…じゃあそろそろ、最後の質問にしてくれないかな」

「…なんでキスすると戻るって分かるんですか?」

「なんだ、他人の心配は終わり?僕の事は興味なし?」


 興味がないわけではないが。


「また次の機会で」


 博士は不満そうだ。


「別にキスじゃなくてもいいかもしんないけど。前も言ったけど、まず呪いを掛けた人を見つけるのがマストね。そっから拉致ったり誘拐したりして実験するのは簡単だから。で、理由その2。今まで呪いに掛かった生徒で、例えば陸上選手なら足にまつわる呪いと解決法、バレー選手なら腕にまつわる呪いと解決法があった。君は唇で、その由来もキスっていう行為に限定されている。推測だけど、これが一番確率が高いと思うね」

「…なるほど」

「ちなみに前話した異能だけど、何か兆候とかないの?」

「…また口が臭いとかいうんですか?」

「信頼無いなぁ、なんか直接的に悪いことした?」


 間接的にはいっぱいされましたけどね。

 異能、博士曰くミニ超能力。呪いを受けたものの後遺症。


「別に、目立ったことは無いですけど」

「耳なら急に聴力が良くなるとか、今まで聞こえなかった波長の音まで聞こえるようになるとかあるんだけどな。例えば君は口の呪いだから、味をいつもより感じやすいとか、舌で風の流れを読めるとか」


 首を振る。博士は残念そうに


「…そうか」


とだけ言って、天井を眺める。


 別に博士もふざけているわけではないのだ。彼を、信じてみてもいいかもしれない。

 瞼を閉じ、昨日今日で起こった出来事を振り返る。人生の幸不幸、あらゆる感情を濃縮したような二日間だった。いや、冬休みから数えると2か月と少し、かな。一つ、二つと日時を数えるだけで、急速な眠気に襲われる。


「ねぇ、僕のことは聞かなくていいの?」

「…じゃあ」


 やばい、頭が回んない。


「えーと…じゃあ、博士の呪いって、誰が掛けたんですか…」

「え?何で僕が?」

「だって…体がどうとかさっき…」


 それに、廃校でも話してくれた気がする。


「…まぁ、それでもいいか。玖相図肆参だよ」


 …まぁ。そうでしょうね、と言ったところか。


「…あぁ、まぁ、そうでしょうね…」

「え?そんなリアクション?もっと理由とかさ…」

「いや…驚きましたけど…だって恨まれてそうなことばっかりしてますもん…」

「いや、それだけじゃなくてさ…」


 薄れゆく意識の中で、博士が必死に弁明しているのが聞こえる。いやだって、当然嫌われてそうだもんな。そんなことを考えていながら、意識が途切れていく。

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