第14話
階段を掛け降りて正門を飛び出て自分の家から2軒隣の、朝川晃の門の前に立っている。
まだ学校がやっている時間にこうやって外にいるのは、何だか教室から視線ばかりを絡めとって連れてきたみたいで落ち着かない。
どう切り出したものか分からない。会う口実さえも思いつかない。これなら朝川光平の机でも何でも漁って、配られたプリントとか資料とかを持ってくるべきだった。チャイムのボタンのために上げた人差し指をポケットにしまって、肩を落として自分の家の門をくぐる。
靴を脱いでいる時に、違和感に気づく。
父も母も出払っていて、家には誰もいないはずだった。
なら、足元のこの靴は誰のものだろう?
親のどちらかが新しく買ったものとも思った。ただ、それにしてはあまりにもフォーマルな革靴で、しかもサイズは小さい。泥棒だろうか?しかし、靴を脱いで折り目正しく揃えて上がる礼儀正しい泥棒などいるのだろうか。靴の跡で犯人に繋がる手がかりが分かったりするのだろうか。それを心配するぐらいなら既製品のありふれた革靴など誰が履いてくるのだろうか。
玄関の扉から顔を出す。外の雪から玄関に続く足跡は、自分一人のものだけだった。
音を立てないよう扉を閉め、靴を脱ぐ。正直誰かがいたなら外に飛び出していくのが得策だろうが、もしこれが誰の靴でもなかった場合のことを考えると後々掃除が面倒になる。
というか、後々の掃除を考慮に入れるほど、私はなんだかどうでもよくなっていた。いいや、ドラキュラだろうが殺人鬼だろうがロック、ルソー、モンテスキューあたりの人権思想家だろうが(今日唯一出席した授業で知った。去年の復習とか言われたが確か自分は習っていないはずだった)何がどこに居たって驚かないぞ。だってこちとらこの2日間でアンドロイドに神隠しのアイドル、博士を名乗る変態サド少年と出会っているんだから。
なんだか妙に浮ついた自信が、そんなもの捉えどころも影形も無いのに、それでも心臓は居丈高に声高に鼻高々に「お化けなんてないさ」を歌ってくれている。こう言う時に軍歌とか出てこないあたりが自分のIQの低さを露呈しているんだけど、まぁそんなことはどうでもいいのだ。
風呂場、リビング、両親の寝室を覗いて誰もいないことを確認する。どうやら推測は、後者の方が当たっているらしかった。
残るは、自分の部屋。
階段を登り、音を立てないよう扉の前に立つ。
誰かいたら、どう反応すればいいんだろうか。こう言う時って誰かいることを既に想定して、ノックでもすればいいんだろうか。それとも「お邪魔します」とか、自分の部屋だけど言っちゃえばいいんだろうか。
ええい、ままよ。
「失礼します!」
そう言ってドアノブを捻り、中へ突入する。トラトラトラ、我奇襲に成功せり!いっつも勉強してないから今日勉強したことが全部出てくる!いいぞ!
「おかえりー」
返ってきたのは、間の抜けた子供っぽい声。
その声主はベッドの上で寝転がって、ゴロゴロと漫画を読んでいた。ちらとこちらに一瞥をくれると、手元のコミックのページをめくる。
「なっ、な、は、博士」
ドキドキするのは、少年とも少女とも似つかないような中性的な整った顔をした彼(彼女?)が、私のベッドの上に直で寝転がっている。
「んー、なんでって。遊びに来ちゃだめ?」
「遊ぶどころか不法侵入ですよ!」
「あはは、確かにねー」
相変わらず、感動や感嘆の語彙が少なそうな性格をしている。
というか、と、彼の持っている漫画に目がいく。
扇情的な容姿をした女性が、扇情的な格好で、扇情的なポーズをしている、扇情的な表紙。私はそれに見覚えがあった。
「別にこういうの隠すお年頃でもないだろ?何でコテコテにベッドの下なんかに隠すかなぁ。タイトルで笑っちゃったよ。」
「ぎゃあああああああっっっっっ!!!!」
およそ人間の出せる速度を超えて彼に飛びつき、漫画を剥ぎ取って机の引き出しに叩き込む。
私の、秘蔵っ子をこいつ!隠しておいたのに!
「薄々気づいてはいたけどさ。百合なんだな、君」
「やめろ、私をジャンル名でカテゴライズするな」
「いいだろ?分かんないなぁ、ご両親だってそう言うの好きそうじゃないか」
理解を示されるのが一番の恥辱!!!
「実際彼らの二つ並んだ枕の下にも、4冊ずつぐらいストックがあったけどね」
「やめろ!親の性事情を事細かに語るな!」
というか父よ母よ。あんたら一緒よ部屋にいて隣同士で寝ていながら、コソコソと同人誌読むのはどうなんだ?仲良いのか悪いのか。
「ちなみにジャンルはーー」
「聞きたくない!!」
知ってたまるか。
「何だよ、君たちの嗜好とか趣味は、公共の福祉の範囲内で自由なはずだろ?別に誰がどんなエロを好きだろうと構わないよ」
「エロって中学生が使いそうな曖昧な単語でまとめないでください。あと、公共の福祉と自由って単語を二度と口にしないでください」
「18金のネックレス」
「中学生の喜ぶエロっぽい単語はいいから!」
本当に、人をからかうことしか考えていない。ロック、ルソー、モンテスキューと席を並べて語り合ってほしい人間の1人だあなたは。きっとロック・スミスあたりが
『自然権パンチ!!』とかいいながら殴ってくれるに違いない。
公共の福祉が供花一基を含んでいることに、深く絶望する。公民の先生、彼は人権に含むべき人間なのでしょうか?
…はい、これ以上引き出しはありません。インテリタイム終了です。
「君っていちいち考える時間が長いよな。頭の中でベラベラと何くっちゃべってるんだ?朝川晃の家には行けたのかよ?」
「…いや」
行けなかった。
「たった一言「仲直りしたい」とか言って握手でも何でもするだけだろ?次いつ『クチビルさん』が現れるか分かんないんだぞ?」
「分かってるよ。ただもっと自然な成り行きで…」
「特に仲良くもない人間のコミュニケーションとしては握手が一番自然だと思うけどね。何だい、おへそとおへそでごっつんこするタイミングでも探ってんの?」
「それは変態のなりすまし」
ただ、確かに今「クチビルさん」が現れていないこと、それに甘えている実感は確かにある。
「実働部隊からは何の連絡もないし『クチビルさん』の死骸も弄りまわしたし、暇なんだよぅ、僕は。勇気が出ないなら一緒に行ってあげるけど?」
そんな、他クラスの気になる男子に突撃する悪ノリのギャルみたいな。
「…いや、これは私の問題だから…私がやる」
「まったく…」
やれやれと博士は首を振る。
「前もそんなこと口にしてたな?身の程知らずで不遜な言葉をよく臆面も無く言えるもんだ」
と、彼は起き上がりこちらの目を覗いてくる。浅くて未熟な部分を、彼の目で映し返してくる。
「いいか?君のフラストレーションとか過去にあったしがらみとかは一切、他人の危機的状況にはかかわりが無いんだよ。君のわがままで今も学校にいる生徒の何人かが文字通り『食われる』可能性が高まっている。実際に遭遇した生徒4人教師2人が犠牲になってるんだ。計6人の人生を周りに支障のないようやり繰りするのにかかる手間をちょっとは想像してほしいもんだよ。今日は催促に来てみたけどまだ被害者面から抜けてないみたいで、ある意味安心したよ」
「…」
「いつまでも救われる側だと思うなよ?」
最後の一撃は、痛烈だった。
供花一基は憎たらしい微笑みを浮かべながら正論を吹っ掛けてくる。
「それは…!」と、反論しかけて、二の句が継げなくなる。お前が言えたことか!と叫びたくなる。だが、被害者面、か。自分よりも悪い人を探して、自分よりも困っている人を探して、自分の中の駄々っ子をいつまでもあやして。返す言葉もない。私の猶予が私を加害者にしている。
彼は性格が悪いかも知れないが、感情で動かない分、自分よりも「子供」だった。
重い沈黙を霧消させるように、パン、と博士が手を打って
「まぁ重い話は終わり。僕もさっき朝川光平の家に行ってきたんだが誰もいなかったよ」
「誰も?」
「誰も、だ。全員出払ってはいたが、いつも履いているだろうスニーカーとか外履きはそのままだった。それで確認を取らせたら朝川光平は両親に連れられて、神子結衣の家に行っていると。今日帰ってくるかは分からないし、なぁんだお互いに徒労だったねってオチ」
神子結衣、朝川晃に唇を奪われた少女の一人。
鶴首つるぎ、六畳みやに続いて、彼と関係浅からぬ人物の一人、良くも悪くも。
「さて、夕飯が出来たら起こしてくれ」
「帰ってください」
「いいだろ?君が今日一日悶々と過ごさなくてよくなっただけ、逆に感謝してほしいもんだ」
と、下の階で扉が開く音がして「ただいまー」と母の明るい声が聞こえてくる。
「どう説明すればいいんですか」
「恋人でも生き別れの兄妹でも、なんでもさ」
そう言って供花一基はスヤスヤ眠る。まったく、面の皮が厚いのはどっちだ。
鶴首家の夕食はつつがなく執り行われた。
「弟が出来たみたいでうれしいわあん」と、母。
「いやいや母さん。弟じゃなくて妹だろう」と、父。
特にこちらが説明するでもなく、父と母は脳内で「姫百合学園の仲のいい同級生」という変換を行ってくれたらしい。私も博士が男か女かなんて分からないんですよ。
長方形のテーブル。私の前に供花。私の隣の父の前に母。こういうのは普通同級生が親の隣に座るものではないし、そこは配偶者の座る席だろうが。まったく面の皮があついのはどっちだって話。
とはいえ私も家族で食事の席に着くのは久しぶりで、何を話したらいいのか分からない。マスクを着けたまま席に座って、親だって何を話したらいいのか分からないんだろう、飯を食べたいのか話したいのか何もしたくないのか。私としては博士が何をしでかすか分からないと恐怖があって監視目的でここにいるだけなのだが、それならちょっと離れたソファに座っていればよかったなとも思う。
ちょっとした沈黙が最初にあった。最初に口を開いたのは供花一基だった。
「今日はお招きいただきありがとうございます。鶴首さんには学校でお世話になっていて…」
意外と常識のあるやつだ。自分の狂人っぷりを認識しているらしい。
「実は、帰り道に鶴首さんとご飯を頂いたので、彼女はお腹がいっぱいなんですよ。僕は鶴首さんと同じ三年生で…」
だから、僕の話をしましょう。
鶴首さんは、何でもないんだから。
博士の物腰柔らかな雰囲気に、母と父は喋りすらしない娘への心配を、一応は和らげたらしい。博士のよく回る舌で4人分の会話は担保され、賑やかな食卓は演出されている。それでもよくよく聞いてみると情報を提供しているのは一方的に博士の方で、両親は彼が意図的に空けた言葉の空白を埋める立ち回りをされていた。彼らはそれを分かっていて、けれどのらりくらりと博士の言葉に躱され、翻弄される。
「二人はどういう関係なの?」と母。
「僕が彼女を助けて、彼女に僕は助けてもらっています。共通の知人がいまして」と博士。
「共通の知人って?」と父。
「僕らの助けになっている人です」と博士。
それはその通りなのだけれど。事実のようで、何も具体性がない。父も母も煙に巻かれて困惑している。
この話題には触れてくれるなよとあくまで礼儀正しく、遠回しに伝えている。これはこれで角が立ったやり方だが大丈夫か?これでは父も母も、余計に悶々と心配するばかりではないのだろうか。
と、博士の手がぶつかって、置かれた箸がカタカタ…と地面に落ちる。
「すみません(笑)食事に集中しなきゃですね」
と微笑む博士。「もう話すことなんかないぞ」だそうだ。
父も母も「あはは」と苦笑いして少しばかり冷めてしまったスープを啜る。
「鶴首さん、どうやらそっちに行ったようだ。拾ってくれますか?」
肩をすくめ、椅子を引いて机の下を覗く。
確かに箸が片方、私の爪先の辺りで転がっている。背中を屈め、手を伸ばして拾うと、隣の父の足がゴソゴソと動く。
何だろうと視線を向けると、靴下を必死に自分の足元へ隠そうとしている。だが奇妙なのは、父の靴にはきっちり二足分、靴下が揃っていることだった。なら父よ、今隠そうとしている靴下は誰のだ?
今度は斜め右前でゴソゴソと動く影が目に映る。母が、片方脱げた素足を椅子の足に隠そうとモジモジしていた。
…博士が私に何を見せようとしていたのか分かった。生々しすぎるって。
というか、だから、知らなくてもいいことを私に見せてくれるなよ。こんな父親と母親の赤裸々な性事情なんて知りたくないんだってば。両親も付き合いたてのカップルが飲み会でするスリリングな情事みたいなことを久しぶりの娘と一緒の食事の席でするなよな。今まで感じてた愛情は嘘だったわけ?
というかもしかして。学校に行ってくれと私に頼み込んだのは、早く娘を家から出してイチャイチャしたいだけなんではないのか…まぁ、これを知って今更「学校になんか行かない」って言うほど子供じゃないけどさ。…というかせめて、見えるところでもイチャイチャしてくれよな。寂しいぞ娘は。
「どうした?」と白々しい父の声。
「机の下にツチノコでもいた?」と白々しい母の声。
それもう隠語みたいになってるぞ。顔を引き抜いて姿勢を上げると、母と父が満面の作り笑いを浮かべて「ん?どうした?」みたいな表情を浮かべていた。
ツチノコはいなかったけど抜け殻があったよ。と心の中で答える。こちらも「ん?なんでもないよ?」と、とぼけた表情を浮かべて見せる。女優、か。神子あいよ、私には確かに才能があるのかもしれないな。
博士に箸を返すと、彼は父にも母にも見えない口角の隅っこで、イヤらしいほほ笑みを浮かべていた。
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