第10話

「起きろ」

「…ん、んん…」

「起きろって」


 揺すられて次第に意識を取り戻す。あ、今お腹蹴られた。

 体を起こすと肌に触れる空気の感覚が違うことに気づく。雪の降る外気とはまた違う感覚の、地下の洞窟にいるようなひんやりとした感覚。

 焦点の合わない目を擦ると、目の前に学校があることに気づく。けれどそれは、自分の知っている学校と限りなく似てはいるが、確かに違っている。木造で、全体的に年季が入っていて、2階までしかない。はじめてこの学校に入った時、正門入り口の横に校旗とともに飾られていた、かつての校舎によく似ている。

 それが、すっぽりと深く大きな暗い空間に収まっていた。空気が底無しの闇に流れ込んでいくのが、校舎を照らし出すスポットライトに映り込む粒子の流れで分かった。

 隣にはよみさんが立っていて、私の腕を引っ張り起こす。


「結構盛っちゃったから、起きないかと思ったけど。やっぱ人体ってすごいね」


 校舎の前には、眠る前に見たあの少年が腕組して立っている。


「ここではマスク外していいよ。この人らも当分起きないだろうし」

 

 彼の隣にはストレッチャーが10台ほど並んでいる。そのどれからも足が出ているから、きっと誰かが寝ているんだろう。


「あの…」

「紹介が遅れたね。僕はクゲカズキ。供える花に…一基は説明し辛いな。学校の皆はハカセって呼ぶけど、そう呼んでくれていいよ。鶴首つるぎさん、でいいんでしょ?」


 いいんでしょ?と言うのが自分に聞かれたのかよみさんに聞いたのか分からない。けどさっきから、よみさんは威勢を失って下を向いてばかりいる。


「…まぁいいや。それで、君の置かれてる状況だけど、実はそんなに難しいことじゃないって分かったんだ」

「…あの、ハカセさんは、よみさんとどういう…」

「あぁ、えーと。僕が研究者で、その子は平たく言えばボディガード兼調査員、みたいな感じかな。そうだろ?」

「はい」


 …玖相図よみが『はい』って言った。


「君が直近で見たので言えば『クチビルさん』とか、『神隠し』絡みの事について学校の中から直接調査してもらってる」

「神隠しって…やっぱり、神子あいはあそこにいるんですよね!」

「いるかいないか、で言えばいないことの方が多いね。どうやら遭遇出来るのは、君とかそいつとか、呪われたやつ限定らしくてさ、ずるいよなぁ」


 ずるいって…。


「…でも、やっぱり呪いとかウワサって、あるんですね」

「君はさっきから、あるかないかとかそういう事ばっかりだな。重要なのは信じるかどうかでしょ?実際君だって、科学的根拠とか僕の説明百遍聞いたって心のどっかでは嘘だって思うはずさ。否定できない、なんてのは数の悪魔と同じ。でも実際に、そこにいるそいつの体みたいに、触って感じて心動けば信じる。信じてしまう、だろ?だからこれから言うことも、話半分で聞いてくれていいよ」

「…信じます。だから、教えてください」

「君は馬鹿だなぁ。信じる前にちょっとは疑え、って言ってんの。まぁいいや」


 パン、と手を叩いて、ハカセなる少年はまるで一席打つかのように話し始める。


「さてさて、クチビルを奪われたお嬢さん。君と君の友達は呪いの餌食となり、暗中模索で何を掴めばよいか分からぬままここへ辿りついた。そこで一つ教えてあげよう。呪いを解くにはまず、呪いを掛けた人を探すことだ。僕は君たちの現象に興味がある。けど、呪いを掛けた人を探すプロセスなんて面白くもなんともない。そこで見てくれ!ここに並んだストレッチャーの10人を!見て!」

「…足しか、見えないんですけど」

「あ、そう?じゃ、ほいとな」


 博士がポケットから取り出したボタンを押すとストレッチャーが傾き、寝ている全員がこちらに体を見せる。そんな昔の狂人キャラじゃあるまいし…。


「どう?この中で恨みを買ってる人とか」

「どうって…逆光でよく…」


 目を凝らして、暗闇に沈んだ顔をじっと見つめる。馴染んできた視界に、見覚えのある顔が浮かんでくる。


「…みや?」


 そこには、マスクをしていないみやの顔があった。


「君と深い関係のある人なんて10人見つけるのにも苦労したよ。サンプルは多い方がいいんだけどなぁ」

 

 みやの隣はゆかり、その隣はバスケ部の後輩4人、バスケ部の顧問。クラスで少しだけ話す女友達。そして、朝川晃。

 この学校でよく見る顔が10個並んで、ストレッチャーに縛られていた。


「君と関係の深い人間に協力してもらって、ここに来てもらった」

「来てもらったってこれ、完全に誘拐…」


 絶句。


「ちょうどいい事件があったから、人ごみに紛れてコソコソッとね」

「協力じゃない…」


ていうか、ちょうどいい事件って…。


「本題に戻るけど、呪いって言葉と同じで話し手と聞き手がいるのよ。だから言葉を発してる人を探して、呪いにふさわしい適切な処置をする」

「……話し手、ですか。でもそれなら…」


 それならみやは。


「六畳みやは、違うと思います」

「…まぁ、そうかもね。彼女も唇を失ってる訳だし」

「多分、ですけど…」


 向かって右端、朝川晃に指を差す。

「うん、当然だ。だって君をレイプした奴だしな」

「…レイプですか。キスですよ」

「気持ちよかった?快楽を伴わない、合意のない性行為はレイプと同じだよ。キスは気持ちいいものじゃなくっちゃね」

「…そうですか」

「で、どうだった?レイプされた気分は?」

「聞き方!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ん?だって今の話で十分「レイプ」=「気持ちよくないキス」っていう図式になっただろ」

「例えイコールでも代入するな!!!もしかしてセクハラしたいだけなんじゃないですか!!??」

「ははは、さて、そろそろ寝かさないと血が足の方に溜まっちゃうよ」


 いや、どっちだよ。この人本当に助かる知識は知ってそうだけど、その周りの所が色々欠落してないかーー??


「でも、朝川晃って決まったわけじゃないかな」

「え?何で」

「呪いっていうのはね、掛けたものと掛けられた物が存在するが、掛けたものと呪いの効果を発揮するものはイコールでは無いんだ」

「……??どういう……」

「つまりだね、えーと。藁人形って知ってる?丑の刻で神社に釘打って打ち付けるやつ。あれだと想像がつきやすいかもな。藁人形に人形を込める者と、藁人形から呪いを受ける者が存在している。この場合、呪いを媒介…呪いを片方から片方へ受けながす役割を持つものが必要なんだ」

「媒介ぐらい分かります」

「この場合は朝川晃が藁人形で確定だろう」

「…?光平君が、自分で自分に呪いを掛けたってことですか」

「その可能性もある。ただ、呪いを受けたのは朝川晃に違いない。もっと性格に言えば彼の唇。誰かが呪いをそこに詰め込んだ所為で、『朝川晃にキスされた人間は、文字通り、唇を奪われてしまう』と、いうことになるな」

「なっ…そ、それって、何ですか。彼がキスしたら、キスされた人、全員ーー私みたいになっちゃうって、ことですか」

「そう」

「キスって、それはーー」


 なんて、なんて害悪な存在。到底納得しかねるが、けれど実際、私の体がそれを証明してしまっている。

 そして多分、六畳みやも。


「…いや、確かに朝川晃は自分で自分の唇に呪いを掛けたのかもしれないね。でもそうすると動機ってなんだろう?」

「…呪い、そんな簡単に掛かっていいものなんですか」


 というより、安直すぎないか。


「なんだ、呪いを解く方法って本質的なことは中々聞いてくれないよな、君。簡単だよ、特にこの学園ではね」

ハカセは続ける。


――この学園、私立姫百合学園は地理的に言えば神的性格を帯びた場所に位置している。

 古来よりこの丘は、海と、人の地を結ぶ重要な役割を果たしていた。神社と、今も正門に残る深い赤で、大きな鳥居と注連縄。

 国の偉い人たちは世界を支配するべく日本に伝わるあらゆる力を探し求めた。そして、この場所を見つけた。

 今となっては真偽の分からぬことだが、江戸時代、神社の一角を使って始まった寺子屋という取り組みは、子供を集めるための取り組みなのだという。呪いなるものを道具や兵器として扱えるようになるための、モルモットとして、実験対象として。

 明治時代になると、西洋から伝来した「少年少女」という概念が都市を中心に広がり、大人と子供の狭間にある宙ぶらりんな、それでいて身も心も曖昧な彼らの存在をより効率的に管理することが求められた。

 それがこの学園だった。事実、学園という壁の中に押し込めることで、より多くの現象が観測された。

 話は逸れるが、姫百合という学園の名前。これは当時町を収める権力者イコール町長の名前があてがわれるという風習を踏襲しただけという話。江戸より以前は、丘や地名もそのようにコロコロ変わっていた。

 

 本題に戻る――この、少年少女、というのが話の大事な所。


 思春期と第二次成長期に差し掛かった男女は、他者というものを強く意識しはじめる。それと同時に深い内的世界の構築をはじめる。

 この場所の性質が、そういった深く淀んだ曖昧なものを引き出し、現象として起こしてみせる。

 これが、呪い。


「…今外で降ってる雪も、その、呪いの所為なんですか」

「うん?あれは分からないな。どっかの火山が噴火したって話も聞かないしこの町の外では観測されてないみたいだけど、まぁ世紀末だしね。ただの異常気象なのかもしれないし、世間を賑わせてる例の『大予言』の始まりなのかもしれない。そういうことが起こったって仕方ない時期性なのかもね」

「…呪いって、どこからどこまでが呪いなんですか?」

「分からない。明確に人を嫌ったりとか、その感情を行為によって吐き出したりとか…僕自身そういう感情ってやつに興味はあるんだけどなぁ。恋とかしてみたいよ」

「したことないんですか」

「する前に、この体になってしまったよ」


 どうやら彼にも、彼なりの「呪い」事情があるらしかった。特に追及はしないでおく。


「…あんまり、分かってることはないみたいですね」

「僕らも匙を投げたいね。200年研究を続けてきて分かったことは、結局まだ分かっていないことの何分の一なんだろう?絶望するよ。しかもこれが二回目の世紀末だが、一回目の記録は消失してる。何が起こるのか想像も出来ない。この現象を引き起こしてるのは君たちなんだから、ちょちょいと事件解決して研究データ差し出して大人になってくれよ」


 そんな身もふたもない。でもそんなことが実際起きている。


「話を戻すけど、呪いを媒介してるのは朝川光平その人で間違いない。で、君には彼に呪いを掛けた人を探し出してほしい」

「呪いを解く方法は、何なんですか?」

「うーん、まだ確定ってわけじゃないんだが」


 ハカセはちらっとこちらの目を見て、


「どんなことでも…怒んない?」

 悪さをしてしまった子供が親の機嫌を伺うように、彼ぐらいの見た目ならそういう精神性の方が似合うのだから演じ切ってほしい。


「…なんで怒んなきゃいけないんですか。助けてくれる人なのに」

「そうだよな、それが筋だよな」


ハカセは私に近づいてきて、耳打ちする。


「呪いを解く方法はね、呪いを掛けた人に、キスすることだよ」

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