第9話
どうやら、落ちたのは3年の女子生徒ということらしかった。満点星めぐみは少し疲れた顔をしていた。
「最近、ご家庭の事情が大変だったそうですから…」
「そっか…親、かな」
「いえ、妹らしいです。いえ、妹のようなものでしょうか」
「?」
「正確には従妹ですね。飛び降りた彼女、神子あいのイトコらしいんです」
神子あいと聞いて思い出す。階段の踊り場で出会った半透明の水筒の彼女。
その従姉さんは二つ隣のクラスだった。クラス委員長であるゆりかは話したことこそないが、他クラスの委員長と話す際によく彼女を見かけたという。
「神子さんが転校してきたのは2日前、つるぎちゃんが復学した次の日からでした。本人にお話を伺うことは叶いませんでしたが彼女の友達によれば、転校初日に学校を案内している途中ではぐれてしまったらしく、それきりで…」
「神隠しに?」
「本当に消えてしまったらしいんです。中央階段を登っているとき、さっきまで話していたのにふと振り返ったら、そこでそれきり…でも、私別にこの話を信じてはいますけど、全面的に飲み込んでいる訳ではないんです」
「消えてしまった、ってことが?」
「従姉さんと神子あいさんが、構内で口論しているところを見た人がいるんです」
「…」
「それも人伝てのウワサですから、信憑性と言われればそれまでなんですが…」
そう言って、いきなり、ゆりかちゃんが周りを見回す。怯えた表情で、およそ同級生の前で見せていい顔ではなかった。
「…誰か、何か言いましたか」
「どうしたの?」
「誰か!!」
ヒステリックに叫ぶ。教室に残った人が驚いてゆりかを見るが、彼女は何でもないのかと気づくと、小さく「すみません」と呟いて頭を抱える。
「…大丈夫?」
「…誰か、私の悪口を言ってるんです…」
そんなものは聞こえなかった。きっと事件で感情が高ぶって、神経が尖ってしまっているのだ。彼女の背を肩をさすり、
「大丈夫、落ち着いて…」
「…私、ごめんなさい、私…」
そう言って、涙ぐむ彼女はウインドブレーカーの裾でゴシゴシと顔を擦る。彼女はテニス部だったが、3年になって引退した。かつての傷か、由来の分からない赤が、肩から袖口まで走る白のストライプに掛かっていた。
「大丈夫です!すみませんっ、すみませんっ!」
クラスの子たちに頭をペコペコ下げるゆりかちゃんは、多少、落ち着きを取り戻したらしい。
「つるぎちゃんも、ごめんなさいっ!」
「なにかあったら連絡する」
「助かりますっ!ではっ!」
笑って、教室を出ていく。けれど、誰の目にも明らかな厳しい表情をしていた。クラス中どころか、学校中の人間に話を聞いて回ったのだろう。疲弊しきった彼女には昨日のような元気がまるでなかった。
神子あい(らしき人物)と遭遇した時のことを思い出す。呪いを、ウワサを信じていなかった自分は、彼女に対して酷いことをしてしまった。玖想図さんと会って、もしその話が出来るなら、彼女に助けを求めたいと心から思っている。
教室を見回すと、居眠りや談笑している生徒を除いて、後には誰もいなかった。
飛び降りがあってから教室に帰ってくる生徒は少なく、みやや朝川君は戻ってこなかった。放課後朝川君が教室まで迎えにくるという話は恐らく事件にかき消されて忘れてしまったのだろう。それはともかく、みやまでが居なくなったのは心配だった。
「おい、いくぞ」
教室の入り口に立っているのは玖想図。
彼女に連れられて、学食へやってくる。もうちょっと、女の子らしいセリフは吐けないものだろうか。
学園の学食は部活終わりの学生のために夜遅くまで営業している。今はまだ暮れに差し掛かった時間で、生徒の姿は少ない。
「待ってろ」
と言われて大人しく待っていてもどうにも落ち着かない。心配なのは、バスケ部の子たちと鉢合わせることだった。部活を無断で休んでおきながら部活上がりの生徒で賑わう学食の客に混じって飯をリスみたいに頬張れるほど恥知らずではないつもりだった。そもそも顔がこうなってからは学食とか、学校帰りの寄り道とかもすることはなかったし。
ふと、ずいぶん古い型の端末が目の前に置かれている。多分玖想図さんのだろう。私の、というよりは母が最初にくれたお下がりに近いものだった。
――玖想図さんって呼べばいいのかな。もう少し小さいし、玖想図ちゃん、かな。
制服の下を見てしまったからか、特に性格に変化はないのだけれど妙な親近感を覚えている。私も、彼女も、お互いの秘密を知っているのだ。そういえばゆりかちゃんも玖想図さんの事を知っているらしかった。知っていると言うよりは、嫌っている?
彼女と彼女の周囲を含め分からないことだらけだが、何より、どうしてここへ連れてこられたのか、これから何をするのかが知りたい。
唇をなくした、この呪いを解く方法。呪いというからには、誰かが私たちに仕掛けたに違いない。そしてその検討は大体ついている。
バイブレーションの音がして、玖想図さんの端末の画面が点灯する。特に覗き込む気は無かったのだが、音につられて目がつい反応してしまった。
「おい」
玖想図さんが、そこでお盆を持って立っている。
「あ、いや別に」
「…」
また不機嫌にさせてしまったのだろうか、彼女は端末を回収すると音をたてて椅子を引き、深々と腰を預ける。
画面には、神子あいと二人で写る玖想図さんの姿が写っていた。それで、その玖想図さんの顔は、信じられないほど笑顔だった。
「神子あい、と友達なの?」
「昔の話だよ」
これ以上首を突っ込むなとでも言うように、乱暴に箸を割る彼女に、こちらも尻込みして黙ってしまう。
それからしばらくは、彼女が麺をすするのを黙ってみていた。すると彼女は気まずそうに。
「…機械が飯食ってちゃ悪い?」
「あ、いや別に」
「そう」
「…これから、どうするのかなって」
「待つ」
「待つって、誰を?」
「いいから」
そういうと玖想図さんは水の入ったコップを私の目の前に差し出す。
「飲んで」
「え?」
「聞き返してばっか?言っとくけど、馬鹿が難聴系とか実在の人間は救いようないから」
「…それって、機械になる前から?その…口」
「口、乾いてるんでしょ」
「…」
また臭いとか言われる前に周りを見渡して、マスクをずらして一気に飲み干す。玖想図さんはその一連の行為を見届けてから、また自分の食事に戻る。
「顎の所、荒れてんのは病気?」
「?あ、あぁこれ。小さい頃の唇噛む癖がぶり返しちゃったみたいで」
「気持ち悪いな。無いもんを噛むとか」
「…特にストレスがあるとかって訳じゃない、ただの癖だから。…というか」
「あ?」
…というか何だ、意外と話す人じゃないか。玖想図さんって、
「意外と玖想図さんって、人となりがいいんじゃないかなって」
「黙ってよ陰キャ。トイレで飯食ってるような奴だから話合わせてやってんでしょ」
「陰キャって…」
違う怒るところはそこじゃない。
「ていうか唇ないのに教室で弁当食べれるわけないじゃん!!!」
「お前が人となりがいいとか無神経な事言うからだろ」
前言撤回。多分ソフィストか政治家あたりの口から生まれてきたに違いない。
機械には神経があるのか、という言葉は一応抑えておく。
「…!すみませんでした!性格がいいって勘違いしてました!!このくだらない話も終わらせて頂きます!!」
なんだか一方的にまくしたてて、それで裏切られただけ?疲れてしまった。妙に眠い。
「というか、その」
彼女は箸を止めて、
「「玖想図さん」って呼び方やめてくれない?なんか気持ち悪い」
「…玖想図ちゃん?」
うわぁキモ、というただひたすらに嫌な顔を向けられて、
「下の名前で呼んでよ。それで「さん」ならシックリくる」
「あれ、読み方分かんないんだよ。何て書いてんの?」
「…ホントに三年?」
「漢字の読めない高三だっているもん!!」
「いねぇよ!!」
「だってしかたないじゃん!学校休んでる間は復習なんてこれっぽっちも出来なかったんだから!!」
「じゃあ2年までは出来てたんだ」
「もちろん」
「「もちろん」ってここに、漢字で書いてみろよ」
「…もちろん」
指で机に漢字を殴り書きする。
「最後のほう適当だったろ」
「もちは分かるけどろんが分かんないの!!」
口論のレベルは中学校ですら大きく下回っていた。こんなに頭悪かったっけ、わたし。玖想図さんは大きくため息をついて、
「『よみ』って読むんだよ。漢数字の4と3の難しい方で、肆参」
「よみ、さん?」
それでいいだろ、と彼女は肩をすくめる。
「みんなからもそう呼ばれてるの?ていうか本名?」
「さぁ…本当の名前は…」
最後の言葉まで続かない。彼女の顔は、少しだけ寂しそうだった。
彼女は多くを語らないが、きっと唇を無くすのと同等かそれ以上に、もっと大きな問題を抱えているのだろう。だって機械の体で、人間と、深くかかわること何で出来るはずもなく。一緒に海に行くとか、お泊り会をするだとか、普通に友達を作るとかいったことを、彼女はしてこれなかったのではないだろうか。自分は、また自分のことで、精一杯になってしまったのだろう。神子あいの時に、深く反省したはずなのに。
そういう苦い事を考えていると、学食の返却口の方から誰かが近づいてくる。
「あれ、よみじだ~」
「ほんとだ。学食なんて珍しいじゃん、よみじ~」
グッ、とよみの顔が渋くなる。ジャラジャラとキーホルダーを着けたリュックを背負い、何だか今めかしい女生徒が二人。どうみても玖想図肆参とは生きている世界が違っていた。
…ていうかあんた、よみじって呼ばれてんの?
「…うるさいよ」
「何だよ~いっつもすぐ帰っちゃうから寂しいんだよ構ってくれよよみじ~」
「そうだぞ~?高校三年にもなって家にも上げてくれないとはどういうことだ?よみじ~」
「あーもううるさい!帰って!大事なお話してるのっ!!」
単語に『お』を付けるな。可愛いじゃんか。
「あーっ!キレよみじ爆誕ッッッッ!!!」
「やべー帰れ帰れ、またねよみじ~」
嵐のように過ぎ去っていく二人。
「…よみじ?」
キッ、っと玖想図さんがこちらを睨んでくる。慌てて目をそらし、もう水の残っていないコップを口にあてがう。
どうやら、玖相図肆参は愛される狂犬キャラとしての立ち位置にあるらしかった。
「あーもう」か、意外とこいつ可愛いな。
でもとりあえず殺されるのが怖いので「よみさん」と、呼ばせていただく事にする。彼女もそれで、また食事に戻る。
「…結構、難しい名前だよね。玖想図って、あの絵の事でしょ?珍しいし、そのよみっていうのも何なの?」
「知らない、けど一番嫌いな名前だよ」
まぁ、そりゃそうだよな。少なくとも、女子につけていい名前ではない。
「…さっきはごめんね。なんか、聞いちゃいけないこと聞いたみたいで」
「へぇ、謝罪の言葉ぐらいは知ってるんだ」
まぁ、これくらいの小言は可愛いものじゃないか。それよりも、もう結構待たされた気がするのだが。学食の中からは、いつのまにか人が消えている。
「それで、いつになったら…」
と、急にぐらっと視界が揺れる。
「どうした?」
「いや、なんか眠くて…」
「…あ、来た」
私の後ろによみさんが誰がを見つけて、私も振り返る。
というか、今、視界の端に写った厨房は電気が消えていた。今日はもう閉まってしまったのか?清掃員の姿も、ぼやけた視界では確認することが出来ない。
学食の入り口から、小さな男の子が近づいてきて、平衡感覚を失って傾く私の頭を支えてくれる。
「おっと」
「…あ…ごめんなさい…」
少年は笑って、頭をなでてくる。そしてその手で私の耳からマスクを取り、口に鼻を近づけてくる。
「はは、本当に無いじゃん…口くさっ」
そう言って、楽しそうに笑う。ああ、やばい奴だ。やっぱり、やっぱりみやを待ってた方が良かったんじゃないかな。また後悔してる。
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