第3話
雪が降ると中庭は使えなくなる。中庭の天井は四角くくりぬかれていて、雨あられから何も守ってくれないから。 そもそもこの学園の寒い冬の日に外に出ようなんて酔狂は猫でも犬でも起こさない。ここは日本でも北の方にある学校。
だから唯一屋根がある自販機の休憩所は、私にとって安息の地に仮決定されている。年代を感じる自販機の前のベンチに座ると視界の両側に校舎 と校舎をつなぐ連絡通路のドアが見えるから、誰が来てもすぐわかる。しかも学校の3つある連絡通路のうち壁がないのはここだけだから、安心してマ スクを外し、弁当を食べられるというわけだ。
背後ではカップルが気候に関する軽い会話を繰り返している。私は通話相手のいない端末を耳にあて、少し大げさに声を出して電話を掛けて いる…もちろん、フリなのだが。
「(…あれ、バスケ部のキャプテンじゃなかった?何してんのかな)」
「(…彼氏にフラれたとか…)」
同情の視線を差し出して、大抵の人間はこれで逃げていく。登校再会してから3日。学校を休んでいる間、布団の中で必死に考えた作戦は現状、功を 奏しているらしかった。
吐息は白く引火する。少しもイライラなんてしていないが、ずっと心の隅で引っかかっているのは確かだ。口臭なんて、他人に言われるまで気づかなかったから。
カップルがドアを開いて出ていくのを見届けつつ、電話を下げる。
「こーんにーちはっ。電話と会話と告白は相手がいないと出来ないんですよ?ご存じでした?」
「普通に話しかけるって選択肢はないのかな、ゆりかちゃん」
「そりゃ普通の人には普通に話しかけます」
皮肉成分たっぷりの御挨拶を食らってムッとした私は。
「…相変わらず一言多いね」
「すみません。一言少ないつるぎさんの分をカバーしようと思いまして」
語尾にハートをつけて――そんなことでは拭いされない毒気を孕ませながら――丸眼鏡をくいッと押し上げて笑うのは我が3年4組の学級委員長、満点星ゆりか。
ちなみに 満点星と書いて、ドーテンツツジと読む。全然読めないが以前両親と行った植物園で花は見たことはある。元気が有り余って咲きこぼれる感じは、きっと彼女の両親も想起して名付けたのだろう。
トテテ、っと小走りで駆け寄ってきて私の隣にテレマークで着地する。お下げを揺らしながら私の弁当箱を自分の膝の上に(勝手に)乗せ、右に座る――この距離感の近さにもとっくに慣れてしまった。
「今日こそ空白の一か月の原因を白状してもらいますからねっ。あれお箸がない。手でいいですか?」
「…いや、自分で食べるし」
「そうですか。じゃあ足にしますか?」
「どういう関係性!?!?」
前言撤回。やはり距離感バグってる。
「こういうどうでもいい会話を交わせる程度の間柄です!友達としてはやはり、淫猥のキス程度はさせてもらいたいところですが」
「いんわい?って何?」
「あ、間違えました親愛ですね。親愛のキス程度、と訂正します。あー、つるぎさんがお馬鹿でよかったです!でも留年はしないでくださいよ?留年しな い程度の馬鹿でお願いしますっ!」
「うるさい。これから巻き返すんだから」
とはいいつつ、卒業を一年後に控えた長きにわたるブランクが、わたしの気持ちに影を落としている事実。
「うるさいですか~。私がいないとその口サビついて開かなくなっちゃうんじゃないですかね」
「…どうせ四六時中開いてるよ」
「?どういう意味ですか?まぁいいですけどね、なにやら皮肉めいたことでやんわり否定するのがつるぎさんの十八番だとこの数日で学習しましたから」
「自分の口については棚にあげるわけ?」
「つるぎさんに関しては私の事、ただの棚じゃ嫌ですよ。神棚に挙げて貰わないと困っちゃいます。なんてったって私、学級委員長なんですからねっ。…だからさっきみたいなのはダメですよ?いくら知らない他人とはいえ、ちょっと態度が悪すぎます」
「…仲良くなろうなんか思ってないよ」
「不必要に仲悪くなりたいんです?私にはそういう風には見えませんでしたけどね」
…これだ。とてもじゃないが、彼女の器は本当に学級委員長旧らしい。
「で、本題なんですが」
言いたいことも尽きたゆりかは、弁当の肉団子をつまんで口を濁す。
「つるぎさん、やっぱりウワサになってますよ」
「…やっぱり?」
「やっぱりも何も。地方の弱小私立を県大会進出へと導いた期待のバスケ部のキャプテン。それがなんと、インハイ予選を半年前に控えた3月の練習から謎の失踪を 遂げ、2か月後登校し始めるも幽霊部員として授業すら出たり出なかったり出たり出なかったり…あ、やっぱり太ってる」
と、ゆりかが制服越しにお腹のお肉をつまんでくる。この野郎。
振り払う手を軽々と避け、話を続ける。
「幸せ太りってやつです?今回のスキャンダルはこれだけじゃないんですよ。3月の冬休みの後半、つるぎちゃんと光平くんが一緒にいたって見た人 がーー」
そこまで言って、彼女の口は今日初めて完全に沈黙する。気まずそうに話題を変え、
「…あー、マスク息苦しくないですか?私の前では外してくれてもいいんですよ?」
不必要に踏み込もうとはしない。ある一定の所で、やはり自分と私が他人であることをわきまえている。
「(…そういうところが助かってる)」
ゆりかは申し訳なさそうに笑って。
「今や真っ暗なご時世ですからねー。文字通り世紀末だし、生かさず殺すの事件ばっかりだし、正体不明の風邪は流行ります!構内ではとんでもない妄想が飛び交ってるんです」
「みんなマスクしてるから助かってるよ」
「クチビルのウワサに近いのは、『クチビルさん』ってやつですね。つるぎさんが見た奴と同じかな。校舎を一人で歩いてると、でっかいお団子みたいな お化けと出会っちゃうってウワサ」
お化けと会ったとき、唇を隠していなければならない。
もし口を隠さずにクチビルさんに出会ってしまったら、食べられてしまう。
そういう子供騙しの怪談が、この学園では流行っている。
「他にもいくつかありますよー。階段の合わせ鏡で神隠しにあっちゃうやつとか、学校の下の旧校舎に迷い込んで出られなくなっちゃう話とか。あの神子あいが転校早々不登校になったって話もありますね」
「神子あい?」
知らない名前だ。だが、聞き覚えがある。
「知りませんか?クラスの人たちはみんな知ってる、一応、全国区のアイドルなんですけど。すごい売れてるって」
「…知らない…」
家には1階のリビングにしかテレビが無かった。自分の部屋にばかり閉じこもってトイレの時ぐらいしか下りない私は、というか以前から、そういう大衆 的なことには疎く、バスケ部の後輩からも話が通じないキャラとしてからかわれていた。
…ふと思い出してしまった。あの可愛い後輩たちと会いたい。
「でも、唇を無くしちゃうって話は聞いてないですねー。第一、ほとんどみんなマスクしてますから、調べようがないですよ」
「調べようがない、か」
「まぁ諦めようもありませんが。なにせ当人が両手を挙げたもんですから、私はその逃亡者のしりぬぐいをしなきゃいけないわけです」
「あーはいはい、優しいことで」
「優しいんじゃなくて、学級委員長なんです」
「お優しいですよ。みんなのこと気にかけてるし、嫌いな人だっていないんじゃない? …あ」
「?」
そうか。盲点だったかもしれない。
学校の些事に精通し、一カ月ごとの席替えを学校中のクラス把握している彼女だったら、『あの子』について、何かしっているかもしれない。
「気になってる子がいて。 金髪で、緑色の眼をしてる子。背丈は私の半分くらいで、乱暴な女の子。いや、情報が凄い雑なんだけど」
「金髪ですか」
気のせいか、また表情が曇った気がする。
「うん、そう。同じ三年生。学級長だから他クラスとも関わりあるかなーなんて」
厄介ごとに巻き込ませたくはないから、放課後のことは黙っておく。彼女が何者かなんて分からないけど、一応だ。
「知ってますよ。でも、女の子じゃないと思います」
「…え!?あれで男!?」
「どっちなんでしょうね。そっか、今は三年なんだ」
「…?そんなに、会ってないの?まさか留年!?」
あの擦れまくって鋭利なナイフのような性格だ。何もおかしくない。
弁当を閉じてゆりかが立ち上がる。その後姿がちょっとだけ怒っている気がした。
「…さっきの話ですけど、優しくはないですよ私。本当に。…だって、つるぎちゃんが助かる方法を知ってますから」
「え?」
「手段を選ばぬなら、ですが」
そう言って、今度は180度うって変わって笑顔で。
「いやーその子には会わない方がいいかもですねー。つるぎちゃんとは絶対合いませんよ。あそうだ、さっきの話――」
笑顔で。けど、冷たい笑顔だ。自分の名よりも目前の景色に似た…この雪は、たった今彼女が降らせているんじゃないかと思うぐらいの、冷たい微笑み。
「 ――私いますよ。嫌いな人、一人だけ」
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