男の社会:KILL OR MEET
耳が痛くなるほどの風音と共に、僕は意識を取り戻した。
薄暗いはずのコクピットには大きな亀裂が入っていて、そこから砂と一緒に外気が吹き込んでいる。
わずかな隙間から外界を見ると、正面に先ほどまで戦っていた〈騎士〉の残骸が転がっていた。
胴体が仰向けになって倒れ、グレネードカノンを直接撃ち込んだ下半身の部分は丸ごと吹き飛んでいる。いくら装甲が硬くても、大口径の火砲は有効であることが証明されたようだ。
シート脇に固定していた自動小銃、足元の格納スペースに押し込んでいたバックパックを取り出す。
どちらも爆発と墜落の衝撃で損傷した様子は無い。
機体の方はほとんどのシステムが故障していた。
唯一、頭部パーツに集約されていた機能だけが辛うじて使える状態らしい。
コンソールに携帯端末で有線接続し、頭部のユニットを操作。
各種センサーで〈騎士〉の機体を観察していると、微弱だが熱源と音源が探知できた。
もしかしたら生きているのかもしれない。
そう思ったのも束の間、〈騎士〉の胴体部で何かが弾け飛んだ――何かではない、それは装甲片だった。
――良かった、生きてるんだな。
しかし、男に憎悪を抱いているオンナの行動といえば――後の展開は想像に難しくない。
このまま、僕を殺しに来るだろう。
携帯端末とシステムを無線で接続、頭部に付いている外部拡声器が稼働しているのを確認。
歪んだハッチを蹴るようにして、無理矢理こじ開けた。
コクピットシートからワイヤーを引き出し、それに掴まるようにして機体から降りる。
ワイヤーを機体のシャーシに絡ませるようにして目立たないように隠蔽、自分も折れた脚部の残骸に身を隠す。
物陰から自動小銃を構え、動作確認――射撃準備、完了。
砂に塗れながら、遠方から歩いてくる人影を観察する。
オンナが使っている軽装の防護スーツ。体型にぴったり合わせた見た目、特徴らしいところが全く見当たらない装備だ。
彼女の手には、どうやら拳銃が握られているらしい。歩き方や構え方から警戒しているらしいのがわかった。
――まるで素人だ。
対象に対する観察、警戒、接近方法。
そして、武器の扱い方。
どれを見ても、今日初めて銃を握ったかのような不格好さが目立つ。
パイロットとしては一級かもしれないが、機体を降りて地上で活動したことは無さそうだ。
むしろ、オンナは地上で探索するようなことはしない。
彼女たちが地上に降り立つ時というのは、撃墜されて無様を晒しているわけだ。
大抵の場合、自殺をするか、タワーに戻る途中で死んでしまう。
助けたオンナの人たち曰く、自分たちは消耗品で代わりはいくらでもいる。とのことだった。
それでも、僕は助けたい。
〈騎士〉のパイロットが足を止め、何かに気付いた様子だった。
おそらく、ハッチが開いているのが見えたのだろう。
ここまで接近して気付くようでは、観察力や危機察知力は大したことが無さそうだ。
この様子では、地上で生き抜くことは難しいだろう。放ってはおけない。
携帯端末でヘッドセットにリンク、外部拡声器にアクセス。
これで機体から声を出すことができる。
「――銃を捨てろ、殺しはしない」
僕の声が拡声器から発せられる。
それを聞いたのか、〈騎士〉のパイロットが僕の機体を見上げた。
「殺せッ! オトコの奴隷なんかになるものか!」
強い風が吹く中でも、彼女の凛とした力強い声が聞こえる。
あれだけの声を出せるなら負傷していることは無さそうだ。
それに、元気いっぱいなことが知れて、少しだけほっとした。
僕は念を押すように、再び呼びかける。
「銃を捨てるんだ」
「黙れ!」
感情的に叫ぶ〈騎士〉のパイロット。
両手で構えた拳銃を見上げた視線の先に向け、発砲を始める。
おそらく、僕がまだコクピットにいると思っているのだろう。
僕の位置からは、そんな間抜けな彼女の姿がはっきり見えた。
この距離ならば、どこにでも当てられる自信がある。
運の良いことに風も収まってきた。撃つなら今しかない。
誰もいないコクピットへの銃撃を続ける彼女。その手元、手の中に握られている拳銃に狙いを定めた。
ライフルスコープを調整し、呼吸を整える。
――頼むから、抵抗しないでくれよ……
トリガーに指を掛け、そっと引き絞る。
銃口から飛び出した小銃弾が、彼女の手元で火花を弾けさせた。
スコープ越しに、彼女が握っていた拳銃が吹き飛ぶのが見える。
僕はゆっくりと立ち上がり、彼女に接近することにした。
「両手を挙げて、膝を着くんだ」
声が届きそうな距離まで近付いて、僕は呼びかけた。
すると、透明なヘルメットの中から憎悪に満ちた視線が向けられる。
武器を持っていなくても、絶対に相手を殺す――そんな強い意志が感じられた。
だが、彼女は飛び掛かってくるわけでもない。
整った顔立ち、力強い意志を感じる眼差し、そんな彼女から出てきた言葉は思っていたとおりのものだった。
「どうした、早く殺せ」
その言葉を聞いて、僕はうんざりした気持ちになった。
オンナは男に掴まれば、死ぬより酷い目に遭うと信じている。
しかし、僕らのところに来たオンナはみんなが「ここに来てよかった」と話していた。嘘を言っているように思えないし、僕らも彼女たちに敬意を持って接している。
だから、僕はまず真実から告げることにした。
「君を殺す理由は無い、それにこのままだと君は野垂れ死ぬことになる」
必ずしも捕虜を取る、という命令は受けていない。
僕はなるべく相手の——オンナの意思を尊重することにしている。もちろん、自殺するという意思決定は拒否させてもらっているが。
「――オトコに卵を植え付けられて慰み者になるくらいだったら、そっちの方がマシ」
凛とした声で、彼女はそう告げてきた。
何度も聞いたやりとり、言葉、誤解……辟易するほどの台詞に思わずため息が出てしまう。
「どうした、オトコは女に卵を産み付けたくてたまらないんだろう? さっさとしたらどうだ?! それとも貴様にはそれもできないようなオトコなのか?」
虚勢を張るように、彼女は吠える。
それもまた、他のオンナと全く同じだ。
特別な機体に乗ってる人は違う反応をしてくれるかも、と少しでも期待してしまっていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「……君の言ってることは根本的に間違っているけど」
高度な技術を持っているからといって、全員がきちんとした知識を持っているとは限らないということを僕は理解している。
それは彼女もまた同じらしい。
それだけ、オンナたちが掲げる『女性原理主義』という大嘘を強く信じ込まされているということの証明でもあった。
しかし、彼女たちが思い描いているイメージを、僕は否定できない。
僕の兄イチローは何人ものオンナと身体を重ねて、子供を作っている。
それは権利だ。
自分で捕まえた――招き入れたオンナを自分のパートナーとして迎えてもいい、という暗黙のルールがある。
僕は戦闘とスカベンジングと、オンナを助ける機会が複数あって、ルール通りなら兄よりもたくさんのオンナを妻にしなければならないのだが、僕はあえて兄に譲っている。
実際、兄に迎えられた人たちは満足そうだった。
「一部は――合ってるかもね」
時間や場所を問わずオンナを抱いている兄は、彼女からしたらイメージ通りに違いない。
だから、僕は完全否定できなかった。
「どうして殺さない?」
少し間を置いてから、彼女は再び聞いてきた。
思っているよりも冷静らしい。
「逆に聞くけど、どうして殺すと思うんだ?」
僕が質問を返すと、彼女は考え込むような仕草をしてみせた。
だが、きっと返ってくる言葉は決まっている。
「産ませるためだろ」
案の定、想定通りの言葉が飛んできた。
しかし、それはある意味真実だと言える。
オンナは自分たちだけで人口を増やすことができる。
だが、僕たちは母体――つまり、女性がいなければそれができない。
「それは君らの言い分だ」
僕にはそう言い訳するしかない。
彼女の——オンナの理屈を肯定すると、彼女たちの誤った価値観もまた肯定することになる。
それは間違いだ。
だが、それを理解してもらうのと目の前の彼女を救うのとは、イコールでは繋がらない。
彼女を連れて基地まで戻るのは難しくはない。
だが、そうしたところで彼女を仲間にするのは簡単ではない気がする。
これまでに会ったオンナとは、何かが違う印象が最初からあった。
だから、彼女は――オンナたちのところに戻った方が良さそうだ。
彼女に歩み寄り、背負っていたバックパックを押し付けた。
食料、水、身を守ったり隠れたりするのに必要な装備。これだけあれば、丸腰よりマシなはずだ。
「――き、貴様……!?」
バックパックを受け取った彼女の表情が驚愕に染まる。
すんなり受け取ったと思ったが、予想外の行動だったらしい。
「中にコンパスが入ってる。おそらく、南の方向に向かえば戻れるはず。あとは食料と飲料水、あとはスコップくらいかな」
「何のつもりだ?」
距離を取って、身の安全を確保。
だが、驚愕と困惑の表情をした彼女はどうすればいいか迷っているようだった。
目の前にいる人間に死んでほしくない。
そう考えてしまう僕は、もしかしたら異常なのかもしれない。
もし、人と違う行動を取っていたとしても――僕は、自分のしたいようにする。
「無駄死にはしたくないだろ」
「――そうだ、わたしは死ぬわけにはいかない」
即答する彼女に、兄のパートナーの姿が重なった。
強い意志、強い想い、それはきっと……誰かを想うからこそ、発揮されるものなのかもしれない。
バックパックを抱えた彼女が、微かに震え始める。
不安か、混乱か、どちらにしても彼女は僕に攻撃することはないだろう――そんな、漠然とした確信が持てた。
「それに、君と違って僕は1人でも生きて帰ることができる」
僕は1人で何度もスカベンジングしている。
想定していた以上に地上を彷徨ったこともあるし、オンナに食料を提供して自分が餓死しかけたこともあった。
だから、今回も無事に帰ることができる自信がある。
「大した自信だな、オトコというのは環境汚染に耐えられるように遺伝子変異でもさせたのか」
「違うよ、僕が他の人より外で長く活動してるだけさ」
「君たちの機体にサバイバルキットが無いことは知っている。だからそれを譲ったんだ」
何度も聞かされた話だし、僕自身がそれで装備や物資を提供してきた理由だ。
オンナは「敗北」を認めない考え方をしている。撃墜されたパイロットは戦死したと扱う――と聞いている。
彼女がタワーに戻ったところで、おそらく辛い尋問が待っていることだろう。
僕が接触したせいで、タワーから追い出されたという人がいるのも事実だった。
「サバイバル? わたしたちにそんなものは不要だ」
――彼女はどうなるんだろう。
タワーに戻れるか、追い出されるか、彼女の運命を予想することは難しい。
だが、彼女ならなんとかしてしまいそうな気がした。
「どういうつもりだ?!」
態度が顔に出ていたのかもしれない。
彼女が怒りを露わにした。いや、ずっと同じだった気もするが、何か癪に障るようなことをしてしまったのだろう。
「――いや、こっちの食事が君の舌に合うかなって心配になったんだ」
「オトコの施しは受けない、こんなものは不要だ」
〈騎士〉のパイロットが僕のバックパックを突き返してくる。
しかし、これが無ければ彼女は生きられないのは間違いなかった。
だから、再び彼女にバックパックを渡す。
「……絶対に必要になる。いくら男が嫌いでも、これだけは信じて欲しい」
言葉だけではどうにもならないかもしれない。
それでも、僕にはこれしかできなかった。
「中に爆発物でも――」
――疑り深いのはけっこうだけど……
「そんなことするくらいなら、今すぐ撃った方が早いだろ」
僕は小銃を構えてみせる。
そろそろ、僕の善意を受け取ってくれてもいいじゃないか。
オンナというのは強情で、頑固で、意地っ張りだ。
彼女たちが「男と女は違う生き物だ」という主張を掲げるが、僕もそう思う。
だけど、それでも死んでほしくないと思うのは変わりはしない。
「……生きて帰れ。君にも帰りを待ってる人がいるんだろ」
大切な人がいる、それは誰にでもあることだろう。
僕にだって、兄とそのパートナーが帰りを待っていてくれる。
それは目の前にいる彼女だって、同じなはずだ。
「な、なんなんだ……貴様は」
彼女は見るからに動揺していた。
男の僕から、そんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。
そんな反応をするということは、本心は死ぬことを望んでなんかいない。
「君と同じ。人間だよ、性別は違うけど」
今は、そう言うしかない。
彼女がそれを信じなかったとしても、否定したりしても、僕が言えるのはそれだけ。
風が強くなり、視界も悪化してきた。
長話し過ぎたようだ。ここに留まっていてもリスクが増えるだけだ。
彼女に近付き、顔を――ヘルメットを寄せる。
額を突き合わせるようにして、僕の声を伝えられるようにした。
「行きべき方位は南。方位がわからなくなったらコンパスを使うんだ」
方角はわかっている。
僕の装備に含まれてるコンパスはしっかり機能していて、出撃前に設定していた座標データがしっかり反映されていた。
そこから逆算し、彼女が帰るべき場所――ハイブ・タワーの大体の方向がわかる。
彼女は――〈騎士〉のパイロットは明らかに動揺しているようだった。
このままでは、本当に野垂れ死ぬことになるだろう。
「しっかりしろ。このままだと死ぬぞ」
僕の言葉に、ようやく彼女が冷静さを取り戻したようだ。
透明なヘルメット、バイザー越しに彼女と視線がぶつかる。
「途中に廃墟や残骸がたくさんある。そこを使えば安全に休憩できる――わかるか?」
「き、貴様にそんなこと言われなくても!」
――これだけ強気なら、大丈夫だな。
彼女から離れ、距離を取る。
あとは大丈夫だろう。無事に生還できることを期待するだけだ。
僕は背を向け、基地の方角を目指す。
あとは自分の心配をするだけだ。
――彼女は、大丈夫なはずだ。
必要なものは与えた。方角も教えた。
これで生還できなかったら、それは彼女の落ち度だ。
歩き出そうとした矢先、風に紛れて何か聞こえた気がした。
振り返ると、〈騎士〉のパイロットがこちらを見ている。
だが、黙って立っているだけだ。
そして、沈黙を破るように大声で何かを伝えてきた。
「――機体に描かれたあれは何だ? あんな動物は見たことが無い!」
――そんなこと、聞くためにわざわざ……?
これまで仲間にもそんなことは聞かれなかった。
だから――だろうか、彼女が特別な相手なのではないか……と感じる。
僕は思わず、彼女に向かって歩き出していた。
そして、彼女に手を伸ばし――って、何をしようとしているんだ?
無意識に伸ばした手、初めてオンナに触れたい――もっと知りたいと思った。
だが、僕の行動に彼女は怯えていた。
なんとか衝動を抑え、彼女を落ち着かせる方法を考える。
「……また会えたら、教えるよ」
彼女の頭――ヘルメットに手を置く。
どうしてこんなことをしているのか、自分でもわからない。
これまで、オンナの人に何かを感じることなんてなかった。
どうしてこんなに〈騎士〉のパイロットに触れたいと思ったのか、本当に理解できない。
このまま彼女の顔を、彼女の姿を見ていたら、ずっとここにいてしまう。
だから、僕から去ろう。
彼女に背を向け、歩き出す。
砂塵と風が、視界を覆いつくす。
黙って歩けば、疲労で何も考えられなくなるだろう。そう思っていた。
だけど、彼女の顔を僕はずっと忘れられそうにない。
美しい顔、凛とした声、勇ましい表情、そのどれもが特別だった。
彼女をタワーに戻るように言ったことを、後悔し始めてすらいた。
名前も知らない。性格も知らない。
それでも、彼女は他のオンナとは違う――ような気がする。
きっと、兄にこんな話をしたら笑われるだろう。
パートナーの方もきっと同じだ。
だから、この気持ちは――胸にしまっておく。
また会うことができたら、これが何なのかを……彼女に問いたい。
再会できることを、僕は確信している。
また戦うことも、銃を突きつけ合うことも、また繰り返す。
――次に会ったら、どんな表情を見せてくれるんだろう。
何も聞こえない風に晒されながら、僕は歩き続ける。
疲労も、痛みも、感じない。
どうしようもない世界だけど、少しでも変えていけるような期待が持てるようになった気がした。
今は、それだけで充分だった。
アポカリプス・ディビジョン 柏沢蒼海 @bluesphere
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