女の世界:KILL THEM ALL
ふと、目を開けるとそこは真っ暗だった。
固いコクピットシート、操縦桿、フットペダル。
それは間違いなく、コクピットの感触だ。
――わたしは、たしかにトリガーを引いたはず。
機体の自爆シーケンスを起動し、強敵の〈トカゲ絵〉を巻き添えに盛大な爆発……をしたのではなかったのか。
途中で意識を失った時に、トリガーを引き切れなかったのかもしれない。
計器類を操作しても暗転したまま動かない。
おまけに機体が仰向けに倒れているらしい。固いコクピットシートでどれだけ寝ていたかわからないが、身体の節々が痛かった。
――そうだ、ヤツはどうなった?
自爆が失敗したとしたら、すぐ近くに〈トカゲ絵〉もいるはずだ。
無事では済まないだろうが、わたしのようにパイロット――つまり、オトコも生きている可能性がある。
シートの裏側にある収納部から箱を取り出し、そこから機体のバックアップストレージと拳銃を取り出す。
小さい拳銃で頼りないが、これでも無いよりはマシだ。
あと、手の平に載るほどの大きさをした立方体は「ホーネット・ナイト」の蓄積データと図面、わたしの戦闘データが詰まった記録媒体だ。
これさえあれば、違う場所のタワーであっても全く同じ機体を組み上げることができる。
つまり、オトコに渡すわけにはいかない。技術力や設備が無かったとしても、そういった情報資源を守るのがオトコの勢いを抑えることに繋がるのだ。
ヘルメットのバイザーが降りているのを確認し、コクピットハッチの開放作業へと移る。
機体の電源が無ければ開くことのないハッチ、これを開けるには炸薬で吹き飛ばすしかない。
コクピットシートの足元のパネルを外すと、そこには炸薬点火用のプラグが入っている。
小さな棒状のそれは、ネジを締めるためのドライバーに酷似していた。
――ブルー、ごめんね。機体を台無しにしちゃって……
タワーで待っているだろう彼女に詫びつつ、プラグを指定の穴に差し込む。
すると、大きな音と共に目の前にあったはずのメインモニターとハッチが吹き飛んだ。
そこから見えるのは灰色の空、砂の粒子が勢い良く流れていく光景。
何も聞こえないくらいの風音、その風量で流される砂が装甲を削って妙な音を立てる。
それはまさしく、死の世界だった。
そこで生きているわたしは異物で、いつか死と同化させられるのだ。
――まだ、決まったわけじゃない。
這い上がるようにしてコクピットから脱出を試みる。
シートからハッチまでは3人分の身長ほどの長さ、機体が仰向けに倒れているのでその長さの縦穴になっているということだ。
装甲を厚くするためとはいえ、もっと楽に出られるようにして欲しいものである。
外界に身を晒すと、強い突風に身体が押された。
倒れそうになるのをこらえていると次第に風が弱まり、周囲を覆い隠すように舞っていた砂塵も穏やかになる。
すると、想像していたように〈トカゲ絵〉はいた。
そして、想像以上に近くにいる。
目と鼻の先――とまではいかないが、機体のディテールがわかるくらいの近さだ。
ヘルメットのバイザー越しに、わたしはあの〈トカゲ絵〉を見た。
やはり、実在の動物とは思えない。
爬虫類のような見た目に、翼のある腕――もしくは前足というのがよく分からない。おまけに鱗もありそうな印象、あのような生き物は本当にいるのだろうか。
自分の機体から降りて、〈トカゲ絵〉に近付いていく。
すると、胴体部にあるコクピットハッチが気になった。
よく見ると、ハッチがわずかに開いている。
――しまった、パイロットは脱出済みか!
拳銃の安全装置を外し、発射可能な状態に移行。
周囲を見回し、パイロットの姿を探す。
銃を構えながら、全方位を確認――パイロットの姿は無い。
ゆっくりと後退っていると、どこかから声が聞こえた。
『――銃を捨てろ、殺しはしない』
拡声器のような装置で出力された音声。
その声には聞き覚えがあった。〈トカゲ絵〉のパイロットだ。
「――殺せッ! オトコの奴隷なんかになるものか!」
わたしは思わず叫んでいた。
それが強がりであることはわかっている。自分が明らかに不利で、〈トカゲ絵〉を探し出しても生き残れるわけではない。
ならばいっそ、〈トカゲ絵〉を殺してから死ぬのも悪くないはずだ。
『銃を捨てるんだ』
「黙れ!」
わたしは〈トカゲ絵〉の機体、そのコクピットハッチの隙間に狙いを定めて発砲した。
おそらく、機体の外部拡声器を通じて話し掛けている。
つまり、まだコクピットの中にいるはずなのだ。
発射炎と破裂音を手で受け止めながら、数発をコクピットへ撃ち込んだ。
たしかに銃弾はハッチの中に命中したが、手応えを感じられない。
狙いを定めたまま位置を変え、再度発砲しようとした矢先。
手元に強い衝撃を受け、拳銃を手放してしまった。
それは発砲の反動ではない。
「両手を挙げて、膝を着くんだ」
もっと近くから声がして、わたしは敗北を確信した。
機体の拡声器は欺瞞、パイロットは何らかの方法で機体のシステムを使って拡声器を使っていただけに過ぎなかったようだ。
そして、手元から離れた拳銃は明らかに損傷している。拾っても使えそうにない。
声をした方に向くと、防護服のような格好をした人物がいた。
両手で構えるそれは、見るからに自動小銃。それでわたしが持っていた拳銃を撃ち抜いたのだろう。
「どうした、早く殺せ」
「君を殺す理由は無い、それにこのままだと君は野垂れ死ぬことになる」
「――オトコに卵を植え付けられて慰み者になるくらいだったら、そっちの方がマシ」
オトコは小銃を下げ、大きく溜息を吐いた。
それが何かの意思表示のように見えて、わたしの苛立ちが募る。
「どうした、オトコは女に卵を産み付けたくてたまらないんだろう? さっさとしたらどうだ?! それとも貴様にはそれもできないようなオトコなのか?」
「……君の言ってることは根本的に間違っている、けど一部は――合ってるかもね」
〈トカゲ絵〉に隙は無い。
銃を下げていてもその立ち姿や間合いの取り方、歩く姿勢にすら余裕がある。
それだけじゃない。この場でわたしが襲いかかっても、柔軟に対処される――場数を踏んだ、経験者の完璧さが〈トカゲ絵〉に感じられた。
「どうして殺さない?」
「逆に聞くけど、どうして殺すと思うんだ?」
――戦っているからだ。
不意にそれを言いかけたが、どうにも妙だった。
タワーを奪うにしろ、我々女を捕虜にするにしろ、オトコのやり方というのはどこか規模が小さい。
これまで機動兵器ごと拿捕された人員は数知れない。
だが、そもそもオトコたちの戦い方はどこか消極的だ。
兵器や装備の数を出せば、もっと戦局が有利になるし。タワー同士の連携を断てばもっと楽になる。
オトコたちは組織的な攻撃をしているようには思えなかった。
これまでは、オトコにはそれができるほど知能が無いと考えていたが……
「……産ませるためだろ」
「それは君らの言い分だ」
〈トカゲ絵〉が近付いてきた。
わたしはいつでも飛びかかれるように体勢を整える。
深呼吸をして、全身に力を入れる。
1秒あれば、好きなように痛めつけられるはずだ。殴打、拘束、そこから銃を奪ってもいい。腰に付けているナイフを奪うのもありだ。
頭の中で〈トカゲ絵〉を13回殺すシミュレーションをしていると、当の本人は背負っていたバックパックを降ろしていた。
そして、それをわたしに手渡す。
「――き、貴様……!?」
「中にコンパスが入ってる。おそらく、南の方向に向かえば戻れるはず。あとは食料と飲料水、あとはスコップくらいかな」
「何のつもりだ?」
バックパックを寄越してきた瞬間に襲えばよかったのだが、まさか押し付けてくるとは想像もしていなかったので対応できなかった。
すぐにわたしと距離を取られてしまったため、奇襲するのは難しい。
「……無駄死にはしたくないだろ」
「――そうだ、わたしは死ぬわけにはいかない」
――ブルーが、待ってるんだ。
バックパックを盾にするように構え、改めて〈トカゲ絵〉と対峙する。
銃撃を防げるとは微塵も思えないが、無いよりマシだと思うしかない。
「それに、君と違って僕は1人でも生きて帰ることができる」
「大した自信だな、オトコというのは環境汚染に耐えられるように遺伝子変異でもさせたのか」
「違うよ、僕が他の人より外で長く活動してるだけさ」
〈トカゲ絵〉が銃の構えを完全に解き、自然体になった。
わたしが奇襲しないとでも思っているのだろう。舐められたものだ。
「君たちの機体にサバイバルキットが無いことは知っている。だからそれを譲ったんだ」
「サバイバル? わたしたちにそんなものは不要だ」
わたしがそう言うと、〈トカゲ絵〉は鼻で笑う。
「どういうつもりだ?!」
「――いや、こっちの食事が君の舌に合うかなって心配になったんだ」
「オトコの施しは受けない、こんなものは不要だ」
バックパックを〈トカゲ絵〉に向けて放り投げる。
その隙に殴りかかってもよかった。
だけど、不思議とそうする気にはならなかったのだ。
〈トカゲ絵〉はバックパックを拾い上げると、同じようにわたしに放ってきた。
「……絶対に必要になる。いくら男が嫌いでも、これだけは信じて欲しい」
「中に爆発物でも――」
「――そんなことするくらいなら、今すぐ撃った方が早いだろ」
〈トカゲ絵〉が小銃を構える。
その動きに無駄は無く、もし手元に使える拳銃があったとしても先に撃つことはできなかったはずだ。
〈トカゲ絵〉は強い。
それだけではなく、長く生き残ってきたという経験を感じさせた。
「……生きて帰れ。君にも帰りを待ってる人がいるんだろ」
その言葉は、わたしの闘志を打ち砕いた。
オトコに対する憎悪も、目の前にいる〈トカゲ絵〉への殺意も、全てが消え失せる。
「な、なんなんだ……貴様は」
わたしの言葉に応えるように、〈トカゲ絵〉は小銃を下げた。
「君と同じ。人間だよ、性別は違うけど」
――そんなはず、オトコと女は違う。オトコの妄言だ!
急に強い風が吹き、倒れそうになった。
ぎりぎりのところで踏み留まるが、風で砂塵が舞い上げられる。
また視界不良になってしまうだろう。
すると、〈トカゲ絵〉は歩み寄ってきた。
だが、不思議と敵意は感じない。
〈トカゲ絵〉はわたしの両肩を掴み、顔を近付けてきた。
ヘルメット同士がぶつかり、固い音がする。
「行きべき方位は南。方位がわからなくなったらコンパスを使うんだ」
オトコに触れられている。
その事実に、わたしは頭が真っ白になっていた。
「しっかりしろ。このままだと死ぬぞ!」
〈トカゲ絵〉の言葉に、思考が引き戻される。
このオトコが寄越してきた荷物、それがあればわたしは生き延びられるらしい。
「途中に廃墟や残骸がたくさんある。そこを使えば安全に休憩できる――わかるか?」
「き、貴様にそんなこと言われなくても!」
わたしがそう言うと、〈トカゲ絵〉が離れた。
再び小銃を手にして、距離を取られる。
風が強まり、視界はどんどん悪くなっていく。
〈トカゲ絵〉の言うとおり、このままでは周囲の地形を判別できなくなり、方位もわからなくなるだろう。
こちらに背を向ける〈トカゲ絵〉、あのオトコにも戻ったら――待っていてくれる人がいるんだろうか。
それはオトコ? それとも捕虜になった女?
あの〈トカゲ絵〉の顔も名前も、年齢も知らない。それなのに――
――なんで、気にしてるんだ?!
初めて触れられたせいで、混乱しているだけだ。
もしかしたら、オトコには未知のウィルスがあって、それがわたしに悪影響を及ぼしているのかもしれない。
そうだったとしても、わたしは〈トカゲ絵〉の背中を黙って見送る気にはならなかった。
「待て、貴様!」
わたしの声に足を止め、振り返る〈トカゲ絵〉。
束の間、言うべきことを何も思いつかなかったことに後悔する。
だが、静寂の数秒間に脳裏を過ぎったのは――〈トカゲ絵〉、乗機に描かれた謎の生物のことだった。
「――機体に描かれたあれは何だ? あんな動物は見たことが無い!」
わたしがそう言っても、〈トカゲ絵〉は反応を返さない。
風の音で聞こえなかっただろうか。そう思い、もう一度言おうとすると――〈トカゲ絵〉が駆け寄ってくる。
そして、わたしに手を伸ばしてきた。
頭では避けるべきだとわかっていたのに、わたしの身体は反応しない。
「また会えたら、教えるよ」
〈トカゲ絵〉はわたしの頭――ヘルメットの上に手を置いた。
トントン、と叩く音が心地良い。
顔は見えなかった。
だが、ヤツはきっと笑っていただろう。
そして、すぐに背を向け去って行った。
〈トカゲ絵〉がわたしをどう思っていたかなど、微塵も知りたくはないし。考えたくもない。
それでも、わたしは〈トカゲ絵〉の姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
どうしてそうしていたかは、自分でもわからない。
単に、そうしていたかっただけかもしれない。
砂塵の濃度が強まり、視界はどんどん悪くなっていく。
〈トカゲ絵〉が言っていたように、わたしはバックパックからコンパスを取り出した。
それは旧世代のシンプルなコンパス、浮いた棒状の金属がゆらゆらと揺れて北を指し示すものだ。
――オトコに従うのは癪だが……
クイーンや仲間からすると、オトコというのは狡猾で残忍。おまけに理性が無い。
しかし、〈トカゲ絵〉はそうじゃないような気がした。
何故か、この場においては……クイーンの言葉よりも、あの〈トカゲ絵〉の助言の方が信じられるような気持ちになった。
まだ、生還できると決まったわけではない。
もしかしたら、食料ではなく毒物が入っている可能性だってある。
――どうにでもなれ。
わたしは南に向かって、歩き始めた。
多分、タワーまでは途方も無い距離なのかもしれない。
汚染された大地では常に砂塵による視界不良が続く。
おまけに防護装備無しでは生きられない。
〈トカゲ絵〉の言っていた廃墟を利用する必要もある。
考えることはたくさんありそうだ。
何も見えない砂漠を、わたしは進む。
風で何も聞こえない。耳が痛くなりそうな中、ずっと〈トカゲ絵〉の言葉が頭から離れなかった。
『――また会えたら、教えるよ』
「――次は、絶対に殺す」
別に〈トカゲ絵〉のことなんか思い出したくない。
あの絵のことについても、知りたいわけじゃない。
それなのに、わたしは〈トカゲ絵〉の声を思い出し。
あのオトコの本当の姿を……想像していた。
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