小室ススキ編 第3幕 et toi
空白燈は走っていた。
地獄の中で走るかの如き姿だった。
足がもげても構わないと思った。
病院に飛び込んで、受付で話を聞いて病室に飛び込んだ。
ベットに横たわり、口にはホースが繋がれた小室ススキの姿があった。
明るくて喧しい彼女の姿はどこにもなかった。
「ご家族の方ですか?」
いつのまにか病室にいた男が聞いてきた。燈は違うと首を振った。
「恋人の方ですか?」
燈は違うと首を振った。
「ご友人?」
燈は、どうすればいいのかわからなかった。
男は怪訝な顔をしたが。
「……どうあれ小室さんのお知り合いのようですので話だけでも聞いていただけますか?」
燈はようやく首を縦に振った。
小室ススキの父親は既に逮捕されたこと。
それによりススキは天涯孤独の身になったこと。
ススキの脊髄には修復不可能な傷がついていまい、今後一生首から下を動かすことが出来ないこと、呼吸器をつながなくては呼吸すらままならないこと。
彼女を生かすためには莫大な金がかかること。今は彼女が持っていた100万円と保険でどうにかなっているだけのこと。
そんな、どうしようもないことばかりを聞かされた。
視界がぐわんぐわんと歪んでいる。
※
「燈君……」
溌溂とした発声はない。喉が潰れているのでひどく声がゆがんでいる。
それでも燈が言葉を聞き取れたのは、誰よりも彼女の声を聴いてきたからだろう。
「センパイ、……」
なにか明るい冗談を言おうと思っていた。
そうすればいつもの明るい意味にない会話が出来そうだと思っていた。
人間の、そんな目を初めて見た。
絶望だけに染まった人間だったものがする目だった。
彼女は自分の惨状を医師から既に聞いていた。
「ころして」
そんなことを彼女は言った。
※
「また。映画を撮りましょうよ」
とらない
「カラダが動かなくても映画は撮れます。そういう人はいます」
いみがない。
「意味なんてそんな」
わたし別に映画なんて好きじゃないんだ。
ただ、おとうさんにふりむいてほしかったの。
映画を撮れば、振り向いてもらえると思っていた。
けど違った。
その結果がこれ。
だからもう映画をとるいみなんてないんだ。
ばかみたいね。
わたし、
わたし、
ぜんぶ、なんのいみもなくなっちゃった。
※
学校を卒業した。
※
バイトをして、父親の介護をして。ススキの見舞いをして。時間が流れた。
※
何も変わらない。なんの意味もない時間が変わらない。
※
不法駐車の紅い車も変わらない。
父親がわめいている。感情が動かない。
燈は家で映画を観た。
ススキと、一緒に取った映画だ。
死体が歩いていた。
それは生きていない人間だった。
心の器が壊れている、人間のカタチをした人形だった。
自分はただ、この欠けた心を埋める何かを探して、たまたま小室ススキと出逢っただけだったのだ。
※
「こんにちはー。センパイ、元気ですかー? 最近バイトにも出てこないですね」
聞き覚えのある声がした。
海野ヒバリだ。
彼女はいつの間にか家の中に入っていた。
どういう経緯でこうなったのかあまりよく思い出せない。
「ふーん、なるほど」
父親のことも含め、ヒバリは空白家の中を一通り見渡した。
「酷い匂い」
そうぽつりとつぶやいた。
「……何しに来たんだ」
「ねえセンパイ」
ヒバリは燈の疑問には答えなかった。端からそのつもりはなさそうだった。
「あの男、ワタシが代わりに殺してもいいですよ?」
「へはっ」
変な声が出た。
その日の晩。
空白燈は自分の父親を殺害した。
男は最後まで何かをわめいていたが、何を言っていたのかはわからなかった。
やせ細った体で、抵抗することもできなかった。
絞め殺すのに、時間はかからなかった。
ふらふらと燈は家の外に出た。
不法駐車の紅い、からっぽの車はまだあった。
だが、今晩はなんだか様子が違うように見えた。
乗ってくれる
※
病院の警報音が響いた。
ススキは目を醒ました。
視線を少しずらすと、知っている顔があった。
後輩の、空白燈だった。
白い光が彼に差し込んでいる。
彼は酷く穏やかな貌をしていた。
「センパイ。小室ススキ先輩」
うん。
彼は片手に持った注射器を見せた。
「安楽死の薬だそうです。これを注射すると楽に逝けます」
そうなんだ。
「センパイがそれを望むなら、ぼくがこれを貴女に注射します。望まなければ、しません」
そうなんだ。
考えることはなかった。
どうあれ自分が長くないことはわかっていた。
あの日掴んだ栄光の100万円は容易く塵に消えた。
これ以上、なにも、ない。
けれど――。
「どうして、きみがそこまでしてくれるの?」
そう聞いた。
「それは―――」
オレも貴女と同じだからです。
よく、わからないことを彼はいう。
ああ、けど。
それも悪くないかなと、天井を見上げながら彼女は思った。
「いいよ」
その言葉を最後に彼女は彼の手によって眠りについた。
※
けたたましい音が響いた。
空白家の前に止めてあった車のカギを燈は破壊した。
強盗対策の警報音が鳴った。
構わずに彼は車に乗り込むエンジンキーを回した。
アクセルを踏む。
車は動き出した。
全開でアクセルを踏んだ。
爆音を上げながら車は走り出した。
風が切断される。
けたたましいクラクションの山。
目的地は一つ。
歌狩市のはずれ、地元の人間から『奥山』と呼ばれる山がある。
市を横断する国道から外れ、突き当たるY字路の間の部分。
山全体がぐるりとフェンスで囲まれている、ちいさいながらも鬱屈鬱蒼とした小さな山だ。
そのY 字路に燈は来ていた。
燈は笑っていた。
もしくは泣いていた。
ないているのかわらっているのか。それは本人にもわからなかった。
アクセルと踏んで、Y字路の真ん中に車が突っ込んんだ。
フェンスを突き破り、
鬱蒼鬱屈とした山の中へ空白燈は突き進んでいった。
そして―――。
〈了〉
恋未満。 葉桜冷 @hazakura09
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