小室ススキ編 第1幕 或る監督の話
玄関先に車が駐車してあった。
見覚えのないピカピカの紅い車だ。
当然、空白家のものではない。燈は免許を持っていないし、彼の父親はアクセルもブレーキも踏むことが出来ない。車には無縁の家だ。
中を見る。
誰も乗っていない。扉には鍵がかかっていて開かない。
不法駐車の車が玄関の門を塞いでいる。
中をまじまじと観察する。まるで人が乗っていたような気配が見えない。限りなく新車に近い状態だ。そしてエンジンキーが刺さったままになっている。不可思議としか言いようのない違法駐車だった。
あまりにも綺麗で空っぽなその車は、さながら棺桶のようにも見える。
とはいえ、幸いにも人一人通る間隔くらいは隙間として存在しているので家からの出入りに困ることはないだろう。
空白燈は不法駐車のその車を一瞥するとそのまま歌狩高等学校へ向けて歩き出した。
雪が些かに積もっている道はぎしぎしと軋むような音をたてる。
空白燈は歩いている。
路の曲がり角、
「やあやあ、後輩君! お早う! 今日もいい天気だね!」
「どん曇りですよ、ススキ先輩」
「むふー、やだなー! 曇りのほうが自然光の扱いが楽で撮影が容易いじゃないかー! 燈君もそう思わない」
そういって小室ススキは空白燈の肩を抱く。
空白燈は表情一つ動かさずに、「はいはい」と生返事をした。
空白燈が小室ススキの所属する映画研究会に入会して一年が経とうとしていた。
高校3年の春、浪人して同級生となった彼女に対し憐れみを覚えたのだ。
それは、自分自身もある種彼女と同類になりそうな気配を感じ取って傷をなめあいたかったのかもしれない。
刹那のような秋が終わり、冬の兆しが見えてくる。
受験気が始まり、もしくは進学が始まり、それどころではない同級生たちはみんな二人から距離を置くようになっていった。
だから、これから二人が向かう先は学校ではないのだ。
「もうすぐですね映画祭」
「うんうん。札広映画祭。アマチュア短編映画の祭典! 最優秀作品には賞金100万円!」
二人、通学路からそれていく。
今日の撮影があるのだ、
学校にも行かずにこんなことをしている。
「あ、ヒバリちゃんだ! おーい、ヒバリちゃーん! 今日も手伝ってくれる―⁉」
向こうから歩いてくる人影。海野ヒバリの姿だ。
根無し草の渡り鳥のような彼女はわりと映画撮影を手伝ってくれる。
実際、次の映画のヒロインは彼女であるとススキは言った。
それに対し、海野ヒバリは。
「いいですよ。ワタシもう進路決まって暇なんで」
「シンロ?」
「フリーターです!」
とのやりとりを経て、既にOKをもらっていた。
3人、合流する。
昨日の時点で小室ススキは「見に行きたいところがあるんだ」ということを言っていたのでこれからその地点に向かう。
道中、
「今回は、きっと……」
そう、彼女がつぶやいたのを、燈は聞こえないふりをした。
※
歌狩市のはずれ、地元の人間から『奥山』と呼ばれる山がある。
市を横断する国道から外れ、突き当たるY字路の間の部分。
山全体がぐるりとフェンスで囲まれている、ちいさいながらも鬱屈鬱蒼とした小さな山だ。
「ここは自殺の名所なんだって」
そんな物騒なことを小室ススキは口にした。
小ぶりだがひどく鬱屈としたこの奥山は死体が転がるのにもちょうどいいらしい。
ススキはカバンから安ぽいビデオカメラを取り出し、それからさらにごそごそと奥のほうをあさる。
「はいこれ」
ばさりと厚い紙の束が音を立てた。
次の映画の脚本だった。
普段さくさく脚本を仕上げてくるしススキにしては随分と時間がかかった代物だった。
フェンス沿いに3人は座り込み、脚本を読む。
それは二人の少女と独りの死体の話だった。
二人の少女が死体を埋めに行くが、どうもその死体は喋っている。
スイスアーミーマンのような話なのかと思いもしたが、どうにも話自体は重苦しい。
結局のところ、死体を埋めに言った二人もまた死体だったのだみたいなオチ。
ゾンビみたいな話だ。エンタメというよりも原典に近いタイプの。
「どう?」
ススキが訪ねてくる。
「面白くは、ないですね」
「だよね。でも批評家受けはよさげじゃない?」
そうかなぁ。
「よし! じゃあ今日は此処からクランクインだ!」
慌ただしい撮影が始まる。
道路の真ん中にカメラを立てる。
田舎のはずれなので車はほぼ来ない。
ああでもないこうでもないと様々にアングルを試して撮影が続く。
燈が死体の役。
死体の分際で歩いている。
ススキとヒバリが死体を埋めに行く少女の役だ。
因みに二人のキスシーンもあるらしい。
ということでキスをする二人。撮影のためと割り切っているススキと存外にノリノリなヒバリを見ている。
ぼんやりと、死体らしく間抜けな顔をして。
※
今日の分の撮影が終わったとススキは言った。
既に日は落ちている。
ヒバリはここで離脱。
ススキと燈は二人して歌狩高校へと向かった。
もちろん、授業を受けるためではない。
コンピュータ室を占拠するためである。
あらかじめ開けておいた窓から校内に侵入する。
田舎の高校のセキュリティなんてそんなものだ。
コンピュータ室の鍵が開く。
いくらか前にひっそりと合鍵を用意していたのだ。
pcにカメラをつないでススキは編集作業に入る。
撮影と編集が同時進行で進む。
そんなに時間がなかっただろうかと考えて、そんなに時間はなかったなと思い返す。
燈はPCの使い方をよく知らないので見張りを行う。
もう教師も一通り出ていったあと。
二人しかここにはいない。
薄暗い燈の消えたコンピュータ室の中、煌々と一台のドットで形作られたPC画面が光っている。
その明かりに照らされているススキの姿は、なんだかひどく寂しく見える。
※
次の日も撮影。その次の日も撮影。
淡々と撮影が続いていく。
その日はススキだけのシーンが続く。
最初は燈がカメラを持っていたけれど、撮れた絵がどうにも監督的には不服だったらしい。
結局、台座にカメラを固定して、ススキが全部ひとりで撮ることになった。
その間、暇なので燈とヒバリは道路の縁石の所に腰かけてぼんやりと雲を見ていた。
腹曇りの空、青い貌を見せてはくれない。
「センパイは、」
不意に、ヒバリが燈に話しかけてきた。
「どうしてススキ先輩に付き合っているんですか?」
「どうしてって……」
考える。ふりをする。
理由はいろいろある。
家から逃げたいとか学校とか社会から逃げたいだとか裏切り続けた人間関係から逃げたいだとか。まあ色々あるがその中にせめてそれらしいことが言える
「なんとなく、ススキ先輩を見守っていたくなったから」
「憐れみってやつですか?」
痛いところをついてくる。
不自然に顔がゆがむのを感じる。
「……そういう考え方は可能です」
「ふーん」
興味を喪ったのか、実に気のない返事をヒバリはした。
「そういう海野は、なんで付き合ってくれてるんだ」
「えー、べつに。どんな映画になるのかが気になっているだけですよ。たとえ駄作でもね」
海野ヒバリはそんなことを言った。
向こうでは一人、空っ風にさらされながら小室ススキが苦心している。
※
その日の編集が終わり、後輩君と別れた後、ススキは自身の家に向かう。
ひどく安いボロアパートだ。
「ただいま」
消えかけのろうそくみたいに小さい声でススキは帰宅する。
家に入ってすぐに飲んだくれの父の寝姿が見えた。
「お父さん、ただいま」
小さい声。普段の彼女とはまるで違う態度。
父親が答えることはない。
眠っているわけでも死んでいるわけでもない。
ただ返事をしないだけだ。
男はかつて映画製作にかかわっていたらしい。
映画監督を目指していたのだとか。
結局、何やら理由があって今はこうして飲んだくれだ。
たまに仕事をしているらしいがそれがなんであるのかをススキは知らない。
少なくとも映画のことでも、真っ当な社会人の仕事でもないらしいことは確かだった。
ススキは寝室に戻る。現実ではなく映画のことを考える。
そうしていつしか眠りにつく。
帰宅すると父親が呻いている。
今日も漏らしてしまったらしい。
両足を亡くしてっからこういうことをよくある。
亡き腫らした後が顔にある。
齢45にして父はよく泣いている。
殺してくれとよく言っている。
かちり、と自分の中にスイッチが入るのを感じる。
最近はどうにもこのスイッチが入るのが早い。
ともすればスイッチが入っている状態のほうが多い気がする。
父のおしめを変える。殴られたりもする。屈辱に父は顔を歪める。
筋力が衰えた人間の拳は哀しいほど痛くない。
何やらぐちぐち言っている言葉も、もはや意味をなさない。
そして本日分の世話が終わる。食事をとり体を洗う。
自室にこもる。
ぼんやりと、からっぽの部屋で天井を見上げる。
つい先日、母親と再会した気がする。もう顔がぼんやりとしてきた。
実にどうでもいい。
空白燈は眠りについた。
ふと、携帯の着信音が耳に響く。
ススキ先輩のナンバー。すぐに電話に出る。
「やっはー。こんばんは燈君」
「こんばんは、センパイ。どうかしましたか」
「うん。急に取りたいシーンが出来たんだ、今から来れる?」
「明日ではなく?」
「うん、夜のシーンなんだ」
「分かりました」
それから燈は着替え、家を出る。
玄関先にはまだ不法駐車の車。誰かがとりに来た形跡もない。
燈とススキは合流し、ふたり夜を歩く。
外灯の明かりだけが頼りだ。
宙には、月も星もない。
撮影自体はすぐに終わった。
脚本にないシーン。死体と死体が寄り添う会う空虚なシーンだ。
後姿を写すだけ。これが映画に使われるのかはわからない。
終わった後、コーヒーを燈は買った。
ふたり、道路の縁石に座り込んでそれを呑む。
ふたりとも格好つけてブラックをのんで苦い顔をした。
しばらく黙り込んでいる。
ススキは、珍しく言葉を探している様子だった。
そして。
「燈君」
「はい」
「わたしのお父さんね、映画監督になりたかった人なんだ」
「そうなんですね」
「でもなれなくて、現実にへし折れて、わたしを無視しているの」
「そうなんですか」
「私が映画で賞とお金を取ったら、ふりむいてもらえるよね」
「頑張りましょう」
「うん」
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