生塩リラ編 第5話 初恋のあなた

 どうして私はこうなのだろう。

 昔からそうだったのかもしれない。

 ずっと自分ばっかり。

 いい気になって何様だ。

 私の言葉はずっと薄っぺらい。

 こんなにも、独りよがりで薄っぺらい。

 いつだって自分のほうしか向いていない。

 てきとうなことばかり。

 他人を当てにして、だというのに尊重できてなくて。

 いつだってその場しのぎで向き合えていなくて。

 私は、私は――。


「燈くん………………あなたが、すき………」


 けれど、ずっと言えなかったこの言葉だけは、真実だと思うから。



 ――少し前、


「いいのかい? あそこまで全部話しちゃって。燈君も話さなかったことを」

「いいんスよ、センパイはそのほうがいいんです。一番、長い付き合いのワタシが言うんだから間違いないんです」

「そうなの?」

「はい。だいぶ、擦れちゃってたけどワタシの知ってる生塩センパイはちゃんと人に寄り添える人ですからね、ワタシと違って。いいタイミングで現れてくれましたよ。あのままだったらセンパイ、なんか失踪しちゃいそうでしたし。死期を悟った猫みたいに」

「きみが彼を引き留めてくれればよかったのに」

「無理でーす。ワタシ、見ての通り根無し草の性質なんで、誰か特別な何か、誰かに向き合うなんてできないんですよ。多分、親しい誰かが目の前で自殺しても見届けちゃうタイプ」

「そんなものかい」

 喫茶軽食スタンダード、もうすぐ閉まる誰もいない喫茶店。

 老紳士と若い女子。二人の会話が響いていた。

 そこに。

「すいませーん」

「おー、カイトくん。来たねぇ、今日はセンパイはいないからワタシが勉強をみてあげよー」

「え⁉ いいんですか?」

「ふふ、センパイの言った通り、ワタシのほうが嬉しそうだ」

 少年は顔を真っ赤にする。

 もう少しだけ、時間がありそうだ。


 

 空白燈の話を聞いてから、呆然とした夜を生塩リラはすごいしていた。

 頭の中でリフレインするものがたくさんあって脳の処理が追い付いていない。

 彼のことについて考えている。

 それは青い日の記憶。

 

 だというのに、その記憶の中の自分はいつだって自分勝手に彼に突っかかって。

 かと思えば自分勝手に彼との距離を置いてる。


 いつだって、誰かと仲が悪くなることを怖がって踏み込まない。

 卒業式の時だって、そうだった。


 私は、ほんとうはどうしたいんだろう。

 どうなりたいんだろう。

 私は―――、燈くんをどう思っているんだろう。

 

 それはきっと勢いとかそんなんじゃなく。

 同情とかそんなんじゃなく。

 ただ、本当が、ほしい。



「生塩さん」

「え? あ。桑名さん、どうしました?」

「それはことらのセリフですよ、どうしたんですか今日はずっとぼんやりしている」

 結局、一夜を徹してしまった。

 それでも今日も仕事がある。休みたいが、どうにも性分で放り出すことが出来ずにいた。

「……だれか、気になる人がいるとか?」

「え?」

 だから、そんな風な桑名の不意打ちに対応できなかった。

 そして呆けたようなリアクションをして、今の自分の間抜けさに気が付いてしまった。

 桑名は優しく微笑む。

「なんとなくそんな気はしていましたよ」

「……すみません、私、私……」


 それから、ぽつぽつと言葉を零した。

 昔好きだった人と再会して、多分今その人は苦しんでいて、自分にはどうしていいかわからなくて。

 脈絡もないそんな言葉を桑名さんは穏やかに聞いてくれた。

 そして、

「なら、走れ。生塩」

 そう、言ってくれたのだ。



 そうして今、私は駆けだしてここにいる。

 明るい空の下に雨が降っている。

 燈くんとの距離は10メートル。

 少しずつ、近づいている。

 昔、彼に触れた時、その時はいつも彼からだった。

 私は嬉しくてそれを受け入れて。


 今度は、私から抱きしめた。

「リラ、どうして……?」

 燈の言葉。

 泣きそうな、少年の言葉。

「私が、きみの傍にいたいって思ったからです」


 

 喉の奥が震えているのを、燈は感じていた。

 ああ、この人は、オレが苦しい時に傍にいてくれるのだ。

 だから、ずっと、


 少年は少女を抱きしめる。

 ずっと昔から、そうしたかったんだ。

 天気雨。

 まもなく雨はやむ。

 そんな当たり前に流れていく天気の下。

 当たり前に過ぎていく時間のなかで、普通の二人が抱きしめあっていた。



「ふむ、フラれてしまったか」

 知田は仏頂面のまま事実を口にした。

 まるで感慨深そうではない。

 まるで普通のことのように事実を受け入れている。

「まあ、いい。仕方がない。もう少しだと思ったのだが、鳶に油揚げを攫われてしまったようだ」

 なかなかどうして言いえて妙なことを言う。

 言いえて妙というか。

「精々、鳶によろしくいっておいてくれ」

 そういうと知田はその場を立ち去った。

 もう私には目もくれない。

 ……やっぱり、この人とどうこうなるのはなかったなー。

 と、私はぼんやりとそんなことを思う。

 いままで奢ってもらった分のお金は「別に返さんでいい」と一刀両断されてしまった。

 そして何となく、もうこの人と会うことはないのだろうなと考える。

 そんなことを思いながら知田さんの背中を見ていると、初めて彼は振り返った。

「ではね。きみの幸せを願っているよ」

 らしくないことを言った。

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてしまった。


 

 最近、桑名さんは婚活を始めたらしい。

 同僚たちは、先に仕事を覚えてくれといっているけれど彼はだいぶ仕事を上達させている。

 私という補助輪が外れるのも時間の問題だろう。

 なんだか、色々と吹っ切れた顔をしているのが印象的だ。

 きっと、いい方向に向かうことを願う。



 カイトの受験はうまく行ったらしい。

 禁断の高校浪人二度打ちにならなくて何よりだ。

 この春から高校生になり、実家に戻ることになった。

 部屋の中ががらんとしてしまった。

 けどこれが普通なのだろう。

 とはいえ、かの少年が私の家に遊びに来ることは今後もあるのだろうと思う次第だ。

 どうにも好きな相手がいらっしゃるらしい。

 相手の見当がついていないわけではないのだけれど、正直半信半疑だ。

 とはいえ、彼もまたまだ若い日々を生きている。


※ 


 軽食喫茶スタンダード、閉店。

 保澄氏は田舎に引っ込んで余生を過ごすらしい。

 海野ヒバリの姿はない。

 まだ札広のなかにいるらしいのだが自分のあずかり知ることではないなと燈は考える。

 ふと、遠くから見知った人影が見えた。

 彼女の陰に近づく。

 桜の匂いがする。

 二人、道を歩いていく。

 あなたと歩く世界はきっと、幸福なものになると、そう信じて。

 

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