生塩リラ編 第3話 言って

「生塩さん、今日はなんだか機嫌がいいですね? 何かいいことでもありましたか?」

「そう見えますか?」

 同僚の銀行員からの言葉に少し驚いてしまう。

 もう少し、自分の感情を隠すのは得意だと思っていた。

「もしかして、彼氏さんですかぁ~?」

「違いますよ。つい最近、旧友と再会して、また会う約束が出来たんです。それがうれしくてついつい……そんなに顔に出てしまいましたかね?」

「ええまあ、少なくとも桑名さんが焦りだす程度には、ね?」

 そういって同僚女子は後方を親指で差した。

 汗水たらしてワタワタしている桑名さんがうつる。

 彼は今日も仕事に熱心だ。

 彼が私に対して少なからず好意的な感情を抱いているのには気づいているけれど、残念ながら私にその気はないので……。

 

 南無……と思いつつ。私は仕事に戻る。

 ふと、頬が綻んでいることに自分で気づいてしまう。

 ……これは、とても困ってしまいました。






 雪道の歌狩市。

 まだ十代の男女がふたり。手をつないで歩いている。

 ふと、道の端に屋台が見えた。

『やきとり』と暖簾には書いてある。

 つまりは焼き鳥屋の屋台である。

「買っていかない?」

 少年がそう提案する。

「空白くん、もう少し花のある提案はできないんですか?」

「嫌い? やきとり」

「好きですけど……」

 そういってしぶしぶといった感じにリラは燈に付き合う。

 二人してタレのももを一本ずつ買った。

 ほんとはちがうものを買ってシェアしようかと考えたのは内緒。

 だってそんなことしたら、ほら、間接キスみたいになっちゃうから。

 やきとりで間接キスは、少し、いやだ。

「空白くん」

「うん?」

「その、えと……」

「なに? 生塩?」

「……そうですね。私たち、もう結構仲がいいと思うのです」

「うん。まあ確かに、こうして帰りはいつも一緒だ」

「ですので、もう私のことはリラと呼んでもいいんですよ?」

 空白くんが言葉を喪っている。

 少し、責めすぎてしまっただろうか? そんな考えが鎌首をもたげ、心臓が早鐘を鳴らす。

 大丈夫でしょうか? 私は、余裕の笑みを崩せずにいるでしょうか。

 つないだこの手は、ひどい汗をかいていないでしょうか?

 私、彼に好意をちゃんと向けてもらえているのでしょうか?

 告白、してもいいのかな?

 こわいな。

 出来れば、貴方のほうから告白してほしい。

 そうしたら、私は――。

「うん。そうだね、リラ」

 リラ。私の名前。

 彼の呼んだ私の名前。

 胸が痛いくらいに熱い。

 血流が、ぎゅっとなる。

「では、私も、燈くん、と」

 そう呼んだ。

 初めて、彼のことを下の名前で。


 雪が降っている。

 寒い雪国の中において、私の頬も体も、どこかぽかぽかと温かかった。







 そんないつかを回想する。

 思い出すだけで、甘くほろ苦い味がする。そんな記憶。

「しっかしこんな偶然もあるもんなんすねー、ワタシも生塩センパイに再会できてうれしいっすよ」

「そうですね。私もヒバリさんに再会できてうれしいですよ」

 その日の業務を終えて、よくの休日。私は『喫茶軽食 スタンダード』に来ていた。

 彼との約束をしていたので。それまで待ってようかな、待っていたいな、と。そんなことを思っていたのだ。

 空白くんの上りは15時を予定している。

 それまでの少しの時間、店に居座って、圧をかけてみてもいいかなとそんな風に訪れたのだけれど(面倒くさい女に思われるだろうか?)そしたら本日はやめに上がったというこれまた古い知人、海野ヒバリに遭遇してしまったのだ。

 海野ヒバリ、学年は一つ下の後輩。

 特定の部活動に所属しているわけではなく色んな団体やら集団なんかにちらほら顔を出す、神出鬼没の根無し草。生徒会時代もなにかとマークされていた問題児だけれど、今はこうしてフリーターのバイト戦士になっているそう。

 なんというか、不思議な納得がある。

 そして今現在はこうしてここでバイトとして働いているらしい。

 ……彼の旧知が自分のほかにいることに思うことがないではないのだけれど。

「で、生塩センパイ、今日はセンパイとデートですか?」

 この場合のセンパイというのが空白くんと推察できる。

「……男女が二人で出かけて夕食をとるのがデートというなら、そうですね」

「はは、生塩センパイは変わってないんですねー」

 へらへらとした笑みを浮かべる海野ヒバリ。彼女もまたあんまり変わってない。

 

 ふと、時計に目をやる。時間をいくばくか廻っていた。

 まだ少し仕事が残っているのかと考えると店の奥からいつか見た老紳士がひょっこりと顔を出した。

「あ、やっぱりいたね海野くん。ちょっとだけ話があるから来てくれる?」

「んー。いいっすよー」

 そうして、海野ヒバリは店の奥に姿を消した。

 一人取り残される。

 時間帯的にもう少しお客がいてもいい気がするが、店の中はすいている。

 個人経営の小さな裏路地の店だから、そうなのだろう。

 私はコーヒーを飲みながら、ゆっくりと待つことにした。

 店の中に静かに流れるBGM。

 昔流行った恋愛ソング。別れを詠う、失恋ソング。



――――another view


「もうすぐね、この店を閉めようと思うんだ」

 保澄という名のこの店のマスターはおもむろにそんな話題を切り出した。

「そうですか」

 燈はそう、感慨もないように答える。別に感慨がないわけではないけれど、ここでそんな様子を顔に出すのは不適切な気がしていた。

「あー、残念ですねー。ワタシけっこうここ好きだったんですけど」

 あんまり感慨深くなさそうに、海野ヒバリは答える。実際のところ、そんなに感慨深くはない。気質が根無し草なのだ。

「うん。私ももう年だしね、もともと趣味で始めた店だったしふたりには長いこと世話になったね。じゃあそういうことで」

 マスターは答える。そうして仕事に戻っていった。

 燈はもう今日は上がりだ。

 制服を脱いで帰り支度をする。

 このあとの予定は、ふるい知人と少しばかり散歩をして夕食を取るくだりだ。

 ふと、店のほうを見る。

 生塩リラの姿を確認した。

「……」

 こうしてこのタイミングで再会できたのは、なにか、そういう縁というかめぐり合わせなのかもわからない。

「……」

 同じことだ。おなじことなのだ。

 ふと、自分が脱いだ店の制服に目をやる。

 これが必要になるのも、あと少しなのだ。

「ここにいる理由も、なくなっちゃったな」


another view―――。


 空白くんの仕事が上がる。

 そう、海野ヒバリに告げられて、私は会計を済まし店を出る。

 その際、店主の老紳士にウインクを受けた。

 気さくな店主である。

 彼は店のある路地の先に待っていた。

 いつかと同じような眼差しに、胸の高鳴りを感じる。


 ふたりで他愛のない話をして歩いた。

 それから、普通のファミリーレストランに行って、当たり障りのない、高級ではない夕食を食べた。

 いつかのような時間だ。

 自分の今とかこれまでとか、好きなブランドとか弟の話とか、あとは、あまり覚えていられないような、自分の中にこんなに話したいことがあるんだとびっくりしてしもうほどに。

 相変わらず、彼は穏やかに話を聞いてくれる。

 時に少し変わった返しをして心が愉快になる。

 けれど、彼が自分の話をするとき――そのときだけは、私の記憶にない貌をするのだ。

 いや、多分、ほんとうは私は何度かそんな顔を見たことがある。

 優しい貌に差しこむ、月影のような昏いまなざし。

 そのまなざしを見せながら彼は自分のことを語る。

 高校卒業後、色々あってそのまま大学に行くことはなくそのままいくつかのバイト先を転々としながら今の喫茶店の店員としてマスターの保澄さんに雇われることになってそれからこっちここで働いているということ。

 単に事実だけ抜き取ると、彼はそういう話をした。

 だけど、その中には何か決定的な要因が欠けているような気がした。

 けれど、そのことに追及できない。

 それ以上踏み込みたくない。

 そうすれば、彼と私の関係はたぶん、決定的に変質してしまう。

 それを自分で決めるのは――。

 

 私は、





「僕と結婚を前提にお付き合いをしてはくれないか?」

 そういったのは知田だった。

 私と知田さんはいつかのようにおしゃれなレストランにいる。

 また食事に誘われて、こうしてプロポーズを受けている。

 

 先日、また彼からの誘いのメールが来た。

 いつもなら流れでOKをしたけれど、今回はどうにも答えあぐねていた。

 まるで、断る理由が出来てしまったような気持ち。

 理由それは一体なに?

 空白くん? 

 果たして、私は彼とそういう関係になりたいの?

 元カレでさえないかの青年に対し、私はまだ未練があるの? 

 未練が出来てしまったの?

 

 結局、私は彼の誘いをまた断れなかった。

 今日もまた食事をするだけ。

 今までの分の代金も私が支払おう。

 それで、一度、彼との関係をフラットな位置に戻して、改めてお友達として……。


 ……そう思っていたのに。


「ええと、知田さん……?」

「僕と結婚を前提にお付き合いをしてはくれないか?」

 貼り付けたような仏頂面で告白する人というものを私は初めて見た。

 なんどか男性に(時には女性に)告白されたことはあったけれど、だいたい皆、それなりに平時とは違う感情が表情に現れるものなのに、この人はまるで変わらない。

 こちらもそれなりに思うことがあって、話すことがあるつもりで席に座ったのだけれど、着いた瞬間に真顔で告白されるものだから目が白黒してしまう。

 目の端では注文を取りに来た店員が困っている。とても申しわけない。

「知田さん……」

「はい」

「とりあえず注文を取りませんか?」

「……まだ返事を聴けていませんが?」

「でも、店員さん待たせてますし……、すいません」

 私が注文を取った。一番安価な(それでもまあまあ値ははるけれど)ものを注文する。

「知田さんもそれでいいですよね」

「うむ」

 そういうことで注文をした。

 それから品が届くまで二人とも無言だった。

 

 品が届いた。

 無言で食べる。

 何と切り出していいかわからない。

 自分は割と友人や同僚に恵まれているし、会話を続ける能力はあると自負していたけれど……そうでもなかったのかもしれない。

 そして料理に味がしない。

 味がしない料理を咀嚼して嚥下する。

 男女が無言でレストランの食事を貪るさまは傍から見ていたらさぞ面白かっただろう。

 残念ながら当事者なので別に面白くない。

 やがて食事が終了する。

 そのとたん、

「僕と結婚を前提にお付き合いをしてはくれないか?」

「コピペしてるんですか?」

 突っ込んでしまった。

 しかして私も答えを出さねばいけぬ段になり、

「……考えさせてもらえませんか?」



 これほどの自己嫌悪は久しぶりだった。

 情けない女にはならないものと思っていたのに、マジで情けない女だ。

 ふと、携帯を見るとカイトからの「今日は遅くなる」の連絡。

 溜息を吐く。

 ふと、彼に逢いたくなった。

 昔もそうだった。

 なにか辛いことがあったり、淋しさを感じたりすると何かと理由をこしらえて彼に逢いに行ったもので……

「着いた……」

『喫茶軽食 スタンダード』『open』

 扉を開く。

「おや、生塩センパイじゃないですか? いらっしゃいあせー」

「あ、はい。来ました、コーヒーを一杯」

「うい~」

 そういって、海野ヒバリは店の奥に行く。

 店内を見回した。見つけたかった人の姿はない。

「センパイなら今日はいないですよー」

「え?」

「ふふー、生塩センパイ、顏に書いてますよ。燈に会いたいって」

「そうですかね?」

「そーです。生塩センパイ、顏に出ずらいタイプに見えて、ちゃんと見れば考えてることなんてわかりますよ、というか、ほんとは察してちゃんなんじゃないんですか?」

「……ふふ、これは手厳しいですね」

「まー、そうすねー。でも、そんなんだからセンパイにフられちゃうんすよ」

 体がひっそりと凍り付くのを感じる。

「……私、別に空白くんとお付き合いしているわけではないですよ?」

「あれ? マジっすか? えー、学生のときから絶対カップルだと思ってたんですけどねー、――あー、でも納得かなー」

「納得、ですか?」

「ん~。そうですねー」

 海野ヒバリは口元に手を当てて、少し考え込む様子を見せた。

 ごくりと、生唾を呑み込む。

 私は、なにに、緊張しているのだろう?

「……センパイ、今、地元に戻ってるんですよ。しばらくこっちには戻ってこないっすよ」

 海野ヒバリはしばらく考えたうえで言葉を発した。

「それは、なにか実家であったとか、ですか?」

「いえ、この店を畳むんで田舎に引っ込む気なんですよ。だから、身辺整理だってセンパイは言ってたっす」

「……」

 畳むのか、このお店。そうか、仕事先がなくなるのならドタバタしてしまうのも納得か。

 けれど、なぜだろう。嫌な感じがする。

「まあ後は、墓参りでもするんじゃないんですか?」

「おはか? 誰のですか?」

「誰って、センパイとお父様のっすよ。ひとり親の墓参りです」

「―――。」

「その顏、マジで知らなかったッぽいっすね」

「……どうして、海野さんは空白くんに詳しいんですか?」

「そりゃあまあ長い付き合いですから。うーん、でもそっかー。確かにセンパイは自分の話を生塩センパイにはあまりしたがらないですよねー……よし! じゃあセンパイのはなしをしてあげましょう! 多分、生塩センパイは知っといたほうがいいので!」

 海野ヒバリは私の目の前に座った。

 業務はいいのかとか、空白くんに許可をもらわずに彼の話をしていいのかとかそういう常識が鎌首をもたげるけれど、それよりもずっと。

 私は、空白くんのことを知りたかったのだ。

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