生塩リラ編 第2話 銀色、遥か

 学校への通学路、

 ひどく肌寒い。

 空っ風が吹いている。

 ふと、後ろから誰かが近付いている気配。

 ……この足音を私は知っている。

「や」

「おはようございます。空白くん」

「ん、生塩も。今朝はずいぶん冷え込むね」

「そうですね。私ももう少し厚着してくるべきでした。想定よりも冷え込んでいます」

「そうなん? 生塩、今日は結構もこもこにみえるけど」

「どう着込んだところでスカートは寒いんですよ根本的に」

「中にジャージ着ればいいのに」

「…………ふふ、冗句が上手ですね空白くんは。これは女の子としての私の見栄でこだわりです。私が空白くんから言われる分には構いませんけど、他の女の子に言ってはいけないですよ」

「ふぅん、そんなものなのか」

「そんなものです」

 二人、歩く。

 

 二人が出会った一年の頃の入学式から半年ほどたった冬の入り口。

 変わらず二人は歩いている。

 何かと絡む縁が多くこうして何とも近いようで近くない、遠くはない距離感を維持している。

 というかつまり男女では一番仲がいいと思う。

 

 何でもないような会話を続けていると学校に到着する。

 二人が所属する一年の教室は階段を上った先にある。

 下階のほうが学年が上で、上階のほうが学年が下なのだ。


 二人して階段を上がる。ぼちぼち教室も近い、あまり仲良さげに話しているのが見れれても面倒だし、少しずつ口数を減らしていく。

 そういうのが、リラも燈も割かし得意でリラとしても嫌いではなかった。

 

「生塩」

「はい?」


 それは燈の声ではなかった。



 2人が2年の教室のある階の踊り場に上った時点でリラに話しかける声があった。

「あ。知田副会長」

「すこしいいか?」

「あ、はい。じゃ、空白くん、またあとで」

「ん」

 燈は軽く手を上げて階段を上り始める。

 その背中をリラは見つめていた。


 

「おはようございます、空白くん」

「早かったね、生塩。副会長との話だし、生徒会関連で長引くと思っていたけど」

「ええ、なんだか副会長の個人的な要件でサクッと終わってしまいました」

「そうなんだ」

「おかげで始業には間に合いそうです」

「まあ、うちの担任は間に合わなくても気にしなさそうだけどね」

「それもそうですが、やはり間に合ったほうが心持がいいですよ」

「うん、確かに」

「それに、こうして空白くんとの会話の時間も取れました」

「……今朝も話せたけどね」

「空白くんは私と仲良くするのは嫌ですか?」

「いやじゃないよ」

「ならよかったです」

 ふふ、とリラは微笑む。

 朝の陽ざしが窓辺から差し込む。

 少しだけ目を細める。それはどちらの眼差しか。

「生塩は、生徒会長になったりするの?」

「うーん。どうでしょうか? あんまり重責を背負いたくはないですね、私は怠け者なので」

「そう? オレは生塩が結構な頑張り屋だと思っていたけど」

「そうですか?」

「うん。この間だってさ、先輩たちから面倒な書類整理やらされてずっと残っていたでしょ?」

「―――……だって、その時は燈くんが手伝ってくれたから……」


 そうだったっけ? なんて、そんな無意味なとぼけ方をするのですこの人は。

 朝焼けの空のした、冬のやさしい日光の差し込むなかで、穏やかに微笑む彼の貌が、瞬くようにきらめいて見えてしまう。

 だから少し、拗ねてしまいます。


 むう、と机に突っ伏して少し頬を膨らませる。

 彼はそんな私を見て、穏やかに微笑んでいる。


 ああ――

 ―――好きだな。


 私は、この隣の席に座っている男の子に、恋に落ちてしまっていたのだった。




 信号機の点滅音が鳴っている。

 歩行者信号は赤のまま。

 私は道路を渡れずに立ち尽くしている。

「………」

 昨日の晩のことを思い出す。

 一体何年かぶりだろうか。

 空白燈との再会、その衝撃を忘れられないでいる。

 

 結局、二人の間に会話はなかった。

 カイトの手前、私たちが昔話に花を咲かせてもなんだし、そもそも燈との昔話に花を咲かせれることが今の私にできるかわからなかった。

 どれだけ久しぶりに会うというのだろう。

 ずっと昔に別れた相手だし、けしていい形での離別ではなかった。

 彼のことが好きな気持ちをしばらく引きづっていたのは確かだけれどもだからといって年単位の月日が流れればそれは当然に忘却の彼方に行くわけで―――。


「あっ」

 不意に背中への衝撃。

 私の後ろで信号待ちをしていた人に押されたらしい。

 気が付くと、信号は青になっていた。

 

 私以外のみんなが当たり前に歩き出している。


 私は――。





「生塩さん、どうかしました?」

「どうって、私、体調が悪いようにでも見えますか?」

 私の働く銀行の裏方。

 頭の中がこんがらがってしまうような衝撃的な出来事があっても仕事はあるわけで、結局こうして仕事に出て、廻らぬ頭で仕事をしている。

 でも結局こうしていらぬ心配をかける羽目になったようだ。

「その、今日は仕事の進みが遅いように見えますので……」

「そう……ですかね?」

 桑名さんにまで心配をかけているようではかなりまずい感じと見える。

「そうですよ、ずっと心ここにあらずって感じです」

「うーん、少し色々考え込んでしまうことがあったせいですかね? あ、でもご心配なさらずに仕事はきっちりこなしますよ」

 そうして、どうにかこうにか仕事を片し定時になる。

 が、

「残業よろしくね」

 上司から無慈悲な宣告が下りる。

 

 ボンヤリとしていたせいだろう。うまい事躱せなかった。

 仕方がないので残業をする。

 結局、その日の業務が終わったのは8時が近づくころ。

 ……思いのほか早く終わった、というよりも単純に昨今の働き方改革なるものの波が押し寄せた結果どうあれ8時にはビルの明かりが全部消えるせいでもある。


 学生時代はもう少し遅くまで残ることもあったっけとか、そんなことを思う。

 概ねそういう時は父が学校まで迎えに来てくれたりもしたのだけれど、……冷静になると今なら考えづらい話でもある。あの田舎の高校は今どうなっているのだろうか。

 たまに、空白くんが送ってくれたこともあったっけ……。


「……」

 そうだ、ずっと昨日の再会のことが頭で渦を巻いている。

 たまたまの再会、何だったらそっくりさんかもしれない。ろくに会話もできていないのだ。

 だというのに、どうしてか忙しない。

 落ち着かない心と頭。

 まるで乙女のようにふわふわとしている。まだ若いけれど、流石にそこまでの年齢ではないというのに。

 カツカツと速足が夜道に響く。普段のリラの1.5倍くらい早い足取り。

 だというのにそのあて先はふらふらしている。

 迷いが、私の中で振り子のように揺れている。

 なにを迷っているのだろう。何を悩んでいるのだろう。

 そんなのは決まっている。


 リラの足は帰路とは違う道に向かっていた。

 

 もうとっくに閉店時間だろうし、そもそも今日も彼がシフトに入っているかわからない。大体、ほんとうに彼かもわからない。でも、あの反応は――。


 ぐるぐると、やはり思考が廻る廻る。そして霧散してまとまらない。

 そのまま先の喫茶店についてしまった。

 時刻は九時。


 店先には一人の青年の後姿、あの時より大きく見える背中。

「……燈くん」

 私は言葉を零す。

 彼に投げかけた言葉というよりも、思わず口から零れてしまったような、砕けた硝子のような言葉。

 

 それに、彼は振り向いてしまった。

 知っている顔だ。随分と雰囲気は変わったように思えるけれど、それでもいつかの面影があって。


「―――――リラ」


 私の名前を呼んでしまった。


 ああ―――泣きそうになってしまう。

 私はいつから、こんなに弱くなってしまったのだろう。



『喫茶軽食 スタンダード』『closed』

 

 表にはそうかけてある。

「じゃあ空白くん、鍵は掛けておいてね」

「はい。ありがとうございます、保澄さん」

「いいよ。きみにはいつも世話になっているからね。それに、大事なお客さんなんだろう? なら丁寧にもてなしてあげなさい」

 店の奥で燈と初老の紳士が会話をしている。

 聴くに、長い付き合いの様子ではある。

 しばしの会話の後、燈は裏から出てきた。

 リラはコーヒーをすする。あっさりとしたアメリカンコーヒー。

 リラは昔から薄い味のコーヒーを好んで飲んでいた。

「好みはあんまり変わってないんだね」

 リラの座る椅子の机を挟んだ正面に対し、些か斜めの所に燈は腰を掛けた。

 片手には彼の分のコーヒー。白く濁るカフェオレ。きっと私には甘すぎる。

「ええ。でも、昔は好きでなかったものも飲食できるようになったりもしましたよ。今ではもう濃いブラックコーヒーも平気で飲めますよ」

「そうか、成長したんだね生塩は」

「……ええ、空白くんも背が伸びました」

「そうだね。あれから何年もなっているし、少しぐらいは背が伸びたかもしれない、……もっとも成長期は特に終わっちゃったからもう成長の見込みはないの残念ではあるけれどもね」

 燈は穏やかに微笑わらう。

 懐かしい貌。

 夜にかけた月のようだと思う。

 いつかの夜道の時にみたものと近い。

 けれど、少し違うように感じるのはやはり年月の為すところなのだろうか。

「ねえ、生塩、カイトくんのことだけれども彼は――君の息子さんなのかい?」

 少し惑うように視線をくゆらせると燈はそう聞いていた。

 思わずコーヒーを吹き出しそうになってしまった。

 息子、息子と来たか。

「カイトくんの苗字を聴いたときからなんとなくそんな気がしていたんだけれども」

「ふふふ、違いますよ。面白い勘違いをしますね空白くんは」

「……違うのか」

「はい。それとも、私があの年ごろの子供がいる年齢に見えますか?」

「……いや、いや。……うん、失礼なことを聞いたね。ごめん」

「ふふふふふふふ」

 くつくつとした笑いがこみ上げてきてしまう。

「そ、そんなに笑うなよ……」

「ご、ごめんなさい、……でも、可笑しくて……ふふふ」

 少し困ってしまって頭の後ろを掻く燈。

 しばらくリラの笑い声が閉じた喫茶店の静寂の中に聞こえていた。

 それから。

「ごめんなさい、空白くん。でもあんまりおもしろいことを言うから……

 カイトは私の従弟です。カイトが高校浪人なのは知っていますよね? その所以でいま同居しているんですよ。あの子とは長い付き合いですけど、空白くんの思いえがくようなことは何もないですよ」

「そうなんだ。うん、少年に対して後ろめたいものが一つなくなってよかった」

「後ろめたいものですか?」

「うん。ほら、昔の知人の子供なのに親に挨拶もせずにこうして……変にいい付き合いをさせてもらっているから」

「いえいえ、こちらこそカイトがいつもここに来ているみたいで、ご迷惑をおかけしていなければいいのですけれど……」

「……、ほんとに母親みたいなことをいうんだね」

「もう、意趣返しですか? 私、そこまで老いてませんよ」

「うん。ごめん」

 彼は相割らず穏やかに微笑む。そこに微かな影と、かつての面影を見つけた。

 

 それから話をした。

 互いの近況。高校卒業後、それなりの大学を卒業し、いまは銀行員として働き、いとこのカイトと札広で生活している。カイトへの仕送り分とかも含めてそれなりに生活していること。

 燈はいま見ての通り、2年ほどまえから父の古い友人だった保澄という脱サラマスターのもとでこうして店員として働いていることを知った。他の店員には同じく高校時代の後輩だった海野ヒバリもいるらしい。

 燈の現状はなんとなく見て想定した通りだったが。

「高校を卒業してから店員さんになるまでの空白くんは、一体何をしていたんですか?」

 という質問には言葉を濁すばかりだった。

 あまり過去に詮索してほしくはないのだろうことを言外に彼は伝えてきた。

 聴いても答えてくれなさそうだし、何よりしつこい質問で嫌われたくなかったから、リラはそれ以上質問しないことにした。

 思えば、昔から彼は自分のことをあまり話したがらないところがあった。

 だから、それ以上は聞かない。


 それから他愛もない話が続く。

 最初はぎこちなかった空気感もいつのまに普通に話せるようになっていた。

 彼との会話は、心地がいい。

 気が付けば、いつか、少女だったころのように話がこんでしまって、夜が更けていってしまう。

「あ、すみません。もうこんな時間に……終電に間に合わなくなるところでした。空白くんは大丈夫ですか?」

「家は近所だから、問題はないよ」

「何よりです、では私はこれで失礼します。今夜は、貴方に会えて、話が出来てとてもうれしかったです」

 リラは荷物を纏めて店の出口に向かう。 

 その途中で、ふと立ち止まり、振り返った。

「あの……また、会えませんか?」

 そんなことをリラは言う。少しだけ、頬が熱い。




 夜道を生塩リラは帰る。

 思わず、スキップをしている自分がいて、嬉しくて、恥ずかしい。

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