會野ミサキ編 第2幕
窓を開ける。
吹きすさぶような風が吹いた。
狭い部室の中を攫うような空っ風。
また一人になった狭い部室のなかで、ミサキは少し着込む。
秋前に戻っただけなのに、どういうわけか、この狭い部室に浮くような風が吹く感じがする。
※
「まだ歩くのか?」
「もうすぐですよー」
海野ヒバリに連れられて田舎道を燈は歩く。
傍らの道路にバスが通り、乾燥した風を頬に受けながらアスファルトがでこぼこになってしまった道を歩く。
バス停を素通りした当たり、そこまで歩く距離というわけでもなさそうだが。
「ほら、あれっす! あの丸い屋根のヤツ」
「あー、めっちゃ公民館って感じだ」
「まあめっちゃ公民館っすからねー」
二人して公民館に近づく。『灰雪公民館(旧)』との立てかけ看板が見える。ちなみに『旧』の文字はあとから書き足したようにそこだけ新しい。
「ちーっす。こんにちはー!」
「失礼します」
靴を脱ぎ、座敷のようになっている屋内に足を踏み入れる。
中からは、「お~」とか「こんにちはね~」等々、中にいる人々の声が届く。
人数は30人ほどほとんどは老人であった。全体の7割が妙齢の女性であり、残りの3割のうち。半分くらいが初老の男、残りの半分が大学生くらいの男女混合班である。
どう見てもヒバリが一番年下なのだが、彼女が入っていくと密かに色めき立つような空気が跳ねる。
彼女がこの集団の中心にいることがその瞬間に見て取れる。
「今日から手伝ってもらう空白センパイです。皆さん、仲良くしてくださいね!」
「よろしくお願いします。――で、何をするんだ?」
※
この小劇団――『特に名前のない小劇団』(ちなみにこれが劇団名である)に依頼が舞い込んだのは先月のことだったらしい。
役場の人間がいきなりやってきて町のPR動画が必要なので用意してほしいといってきたのだ。
歌狩市は北国のどちらかといえば小さな市である。
もともとは市といえるのか微妙なほど小さな市だったのだが、そこにいくつかの町村が合併し今がある。
それは結構最近のことだ。もともとが歌狩市にいた空白にはピンとこない話なのだが、合併されるにあたってもともとあった町村のことを忘れないとか何とかでこの企画が生まれたのだとか。
そして旧灰雪町の企画が起き上がった。
だが実際の所、合併されるようなうらびれた町村に動画を作るような人間はおらず、魅せるものもない。企画が、さまざまな組織をくるくると転々した後、老後の趣味で作られたような劇団にお鉢が回ってきたのである。
「で、実際の所どこまですすんでるんだ?」
「これが全然進んでないんですよ~。一応、ざっくりとしたコンテ? 見たいのは作ってるんですよ。主演の人がこの元灰雪町のざっくりと歩き回るっていう」
「どこら辺を歩くの?」
「さぁ……? ほとんど畑っすからね~とにかく沢山素材を取っていい感じのカットをつなげていく感じで動画を作るつもりですけど……この劇団の皆さん、引き受けたはいいけど公民館の小さな舞台でちょっとした演劇をたまに趣味でやるお年寄りが多いじゃないですか? だーれもカメラなんか扱えなくて、親戚や関係者の若い人を集めて形を作ってるって感じっす」
「へぇ~」
「ちなみに期限は来月っす」
「早いんだね」
「はい! 因みに主演は本劇団の一番美人さんのナギサさん(76歳)です」
「よろしくねぇ~」
「よろしくお願い……あれ、貴女は―――――……」
「とりあえず撮影行きますよ。はい、センパイはこれ持ってください」
何やら丸い白いいたみたいなものを持たされる燈。
こうして海野ヒバリとその他数名とともに撮影が開始された。
※
雨が降っている。まもなく冬が来る。そういう季節は雨が増える。
硝子の向こうに見える薄暗い雨粒をぼんやりと眺めている。
「會野さん。補習の真っ最中ですよ」
「あ、はい……」
諦めて補習用のプリントに向き直る會野ミサキであった。
さっさと先のテスト分の補習を終わらせたミサキ。もうとっくに夜の気配がある。
このまま直帰するのが筋なのだろうが、だろうが……。
「……」
なんとなく、彼女の足は上の階に向いた。
カツカツ、と。
だれもいない廊下を自分一人分だけの足音がなる。
ひどく肌寒い。
やがて。
扉の前に立つ。
鍵を鍵穴に差し込む。
がちゃりと扉が開き、いつもの部室――ウナギの寝床。
当然――誰もいない。
ただ、夜の闇のように真っ暗な部屋があるだけ。
「……帰ろ」
扉を閉めて鍵をかける。
カツカツとリノリウムの床を足音が響く。
雨が降っている。
因みに今回は傘を持ってきているので問題なく帰路につける。
ビニール傘の透明の向こう側は闇空。
一人、歩く。
やけに寂しい。
つい先日の、二人で帰った日を思い返す。
「……」
冷静に振り返ると相合傘だ。
一つの小さな傘の下で、センパイと二人。
微かに開いた隙間を伝う体温――。
「―――」
思い出すものを振り払う。
何だが柄にもない熱を感じるが気のせいと思うことにする。
早く帰ろう。
ミサキは祖母と二人暮らしである。
学校から公共バスに乗って、3つくらいのバス停で降りる。
歩いて通うことも考えないではなかったが、結局バス登校を選んだ。
祖母が是非そうしてというし、あんまり歩くのもめんどくさかったから。
まあ、バスのタイミングが合わなければ歩くこともやぶさかではなかった――例えば、センパイとの帰り道とか……。
「…………はぁ」
どうにも熱に浮かされている。
あの人は、まあ顔も悪くないし背も高いし性格もやさしいし誠実そうだしいやでもなんか女殴ってそうな雰囲気あるくない? あんまりそんな風に意識してもどうかとおもうほらだって生徒会のあの副会長となんかめっちゃ仲良さげだったし云々。
肌寒い気温だというのに全く頭が冷えないでいる。多分、補習に頭を使ってしまったせいだ。脳みそがショートしているのだ。
そんなこんなでいつの間にか家である。
「ただいまー」
「「おかえりー」」
がらりと戸を開ける。
ふと怪訝に眉を顰める。
見知らぬ靴がある。
いや、でもどこかで見たような靴だ。
それと先ほどの『おかえりー』の声。
なんだか二重に重なって聞こえた。
廊下を進んで、居間に入るとその客人の姿を目撃する。
「……なんでセンパイがここに?」
体の力が抜けそうになる。
そこには祖母の會野ナギサとともに鍋をつついている空白燈の姿があった。
※
「で、結局それからどうなったんですか?」
「ああ、今のやり方はよくないなって結論になったんだよ。素材をたくさん用意しててきとうにつなぎ合わせるやり方は非効率的だし、何より主演の會野さん……ああ、お婆さんのほうね」
「もう、燈君ったら、ナギサでいいのよ」
「ええ、はい。――で、ナギサさんも年齢的にきついものがあるからね。もう少し効率化を図ることにしたんだ。具体的に言うとある程度設計図を考えてから撮ることにしたんだ」
「ふむふむ。あ、センパイそっち側にあるお肉とってください」
「ん? はいよ」
燈は傍らの菜箸を手に取り、鍋をから肉の断片を向かい側に座るミサキの器に取り分けてやる。
「センパイ、手、長いんですね」
「ん? ありがとう」
「別に……ほめるつもりで行ったわけじゃないです。それで、話の続きです。設計図を先に作るんでしたよね」
「うん。でないと来月までに間に合わない感じだったしね。で、そのために映像づくりに慣れている人を招集することになってね、小室先輩を呼び出すことに成功した」
「だれですか、それ?」
「ん? 知らないか、結構有名人だと思ったんだけどな。ほらうちの学校のただ一人の映画研究部、ミス・ エキセントリカル。よく学校内外で暴れてるから割と有名だと思ってたんだけ……」
「知りません。というか、女性の方なんですか」
「うん。そうだよ」
「……センパイって、やっぱり女子と仲いい人が多いですね」
「別段そんなことは……あるね。うん。あるわ」
「認めちゃうんですね」
「あんまり男友達が出来ない
燈は白菜をほおばる。基本、野菜を好む人間ではないのだが、どうにも鍋の白菜は無限に食べれる気がする。
「小室先輩とは高校に入ったばっかりだったこと縁があってね知り合ってね。頼んだら快諾してくれたんだ。あと他に音楽を付けてくれるあてもヒバリが用意してくれるって言ってたな」
「……センパイ、ヒバリちゃんとはもうとっくに仲良しですね」
「そうかな?」
「ええ、そう見えます。まあ、別にいいですけど」
「……? ? ? うん……?」
なぜか機嫌が悪いように見るミサキ。
彼女と久々に顔を合わせられて内心浮ついていたのは自分だけだったのだろうか?
「べつに」
ミサキのことば。
「べつに。センパイが誰といちゃついててもいいですけど」
「おぉ……うん」
「それより、どうしてうちに来ていて、一緒に鍋をつついてるのかを聞きたいんですけど」
「ナギサさんに誘われてね、良かったらどうかって?」
「そうなのよ。一緒の劇団の田中さんから白菜たくさんもらっちゃってねぇ……燈くん色々やってくれてみんな助かっちゃってたし」
「別におばあちゃんには聞いてないし……」
「まあせっかくだしご相伴に預かろうかなって。そういうことなんだよ……っと」
「あ! アタシが育ててた肉!」
わちゃわちゃ。
話べきことを話し終わったしと鍋をつつき、他愛のない談笑へと会話は移行してく。
ナギサとご近所さんとも微妙な距離感の話とか(仲が悪いわけではない)。
最近あったテストの話とか(補習については全力で話題を逸らすミサキ)。
校長の頭髪の交代とか(後退ではない)。
生徒会長の性格がどうとか(これには燈もミサキも久々に談笑に花が咲く)
副会長(生塩リラのこと)と燈との関係性とか。
「―――で、結局副会長とはそういう関係じゃないんですね?」
「うん。生塩とは単純に友人なだけだよ。クラスが二年連続で一緒なのもあってよくつるむことが多いんだ」
「ふぅん……」
ふたりしてガチャガチャと食器を洗いながら、他愛もない話を続ける。
否、ミサキからしてみるとあんまり他愛のない話でもないんだけれども。
ふと、自分の中にあるぐずついて絡まった糸のような感情について思いを馳せる。
考えれば答えはわかるような気がするけれど、答えを出したくない気持ちのほうが強くなる。
そうこうしているうちに食器を洗い終え、燈は帰り支度を始めていた。
「……送りましょうか?」
「いや、いらないよ。もう暗いし、きみに送ってもらったら君の帰り道もオレが送らなくっちゃいけなくなる。堂々巡りになるからね」
「……そうですね……センパイは明日も劇団のお手伝いですか?」
「うん。そうだよ」
「そうですか」
そうですか。
コートを羽織り、靴を履く燈。
その背中を見てる、ミサキ。
「センパイ」
ふと、そんな言葉を彼女は吐いた。
「たまには、部室に顔。出してほしいです」
※
要するに寂しかったのだ。
だれもいない部室。電気もつけず、月明かりが見えている。
ミサキは一人、何かを待っている。
昨日からこっち、自分の心の糸くずを紐解いたら『寂しい』という簡単な言葉が出てきた。
そんな簡単な話に納まってしまうことが、なんだかひどく悔しくて嫌だ。
唇を噛み、滲みでてきてしまいそうな何かをこらえている。
「……………………ばかみたい」
そんな悪態を吐いて、帰ろうとしたとき扉が開いた。
「や」
会いたかったひとに会えた。
「……もうかえるところですよ」
「ごめんって」
「まあ、いいですけど」
ミサキは今一度腰を落とす。
「ほら、センパイも」
自分の隣の床をポンポンと叩く。
「少し、お話をしたいので」
そうして、二人。部室に並んで座る。
窓辺に差し込む月がふたりを見ていた。
「アタシ、実は役者だったんです」
「子役?」
「そうです。東京で両親のもとにいた時、子役として舞台に挙がってたんです。それなりに人気だったんですよ。学校に行かず、練習して、舞台に立って。お金を稼いで。
それから、まあ年齢が上がるにつれて仕事も減ってきて、両親が不仲になってアタシの――わたしの親になるほう、母さんが心を病んでしまって――。
これはお婆ちゃんから聞いた話なんですけど、母さんも昔は子役だったんですって。でも人気がなくて2年ほどでやめてしまったそうです。お婆ちゃんは幼少期のちょっとした経験、失敗談くらいに考えていたそうですけど母さんはそうじゃなかったんです。
そういうの、もっと早く言ってほしかったですよね。……ま、だったらどうということはないですが。
父親も父親で、子供が大きく成っただけみたいな人だったので、結局、わたしは祖母のもとで暮らしてます。
両親とはもうずいぶん会ってないです。
今の暮らしに問題はありません。現状に満足してます。
さびしくも、ないです。
さびしくなかったはずなんです」
言葉が途切れる。
「そう」と燈はぽつりとつぶやくような言葉を零す。
「すいません。すごい唐突な自分語りを始めてしまって」
「いいよ別に、オレもきみの話を聴けて良かったと思ってる。それが、撮影手伝いをしたくなかった理由?」
「まあ、はい。そういうことです。もう演劇とかに関わりたくなくなってしまっていたんですね、わたし。でも……」
言葉が止まる。
けれどそれは相手の言葉を促すものではなく、自分の中にある重たい言葉を口にするのに必要な時間だった。
「でも、寂しいと感じてしまいました。それはきっとセンパイのせいです」
ミサキは燈の袖をつまむ。
月明かりが照らす彼女の横顔はどこか穏やかだ。
引いた海のように凪いでいる。
「わたし、手伝いに参加しますよ」
「いいの?」
「はい。だってセンパイと一緒じゃないと寂しいです」
そんなことを、彼女は言った。
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