第6話 形だけの誠意

「ほら座って座って、さっさと話を始めよう」


 その女は、さっきまでソファに腰を下ろしていたとは思えないほど素早い動きで二人の後ろに回った。かと思えば背中をぐいぐいと押してくるので、二人は言われるがまま部屋の中に押し込まれてしまう。


「何でこういう時はいるんですか……」

「こっちから呼んだんだから、出迎えるのは当然だろうよ。楽にしときなよ」


 二人が流される気質の人間であるとすれば、この女は嬉々として人を流そうとする気質の人間だろう。


 楽にしろと言う割には、随分と無理矢理に座らせてくる。肩をがっしりと掴んで、それを圧迫するかのような。とにかく、有無を言わさない感じだ。


 見た目は説明するまでもないのではないか、そう思わせてしまうほどに「研究職」という外見だ。何の変哲もない白衣に、黒のスラックスを履いている。靴はスニーカーだろうか、ただそれだけ。


 茶色の長髪がパーマをかけているのではないか、というほどにところどころでくるりと回っているが、一際目立つのはその体だろう。


 男である伊坂よりも高く、百七十センチ後半……いや、百八十センチはありそうなものである。


「じゃ、始めようか」

「お茶は出してくれないんですか?」

「言っただけだよ、ここに茶葉とかないし」

「なら初めから言わないでくださいよ……」

「社交辞令ってものがあるだろう」


 伊坂とその女は親しい仲とはいかずとも、会話における遠慮のなさなども見ると、そこそこ長い付き合いであるように見える。


 既に慣れて……いや、諦めているのだろう。


「で、君だよ、君。蕾くん、君のことだ」

「私をここに呼んだのは貴女ですか?」

「その通り。私は神谷かんだに 陽子ようこ、カルトロンの研究をしている。好きに呼んでくれ」


 そう言ってまたにやりと笑う。その度に空間が歪むような感覚が襲ってきて、ペースに呑まれそうになる。油断しているとすぐに口車に乗せられてしまいそうな感じだ。


「私は以前の自分に関連する記憶が一つとして無いのですが」

「知ってるよ、そりゃ勿論知ってるさ」

「聞きたいことがあります。一つは私の過去について、もう一つは──」

「っと、少し待ってくれ」


 ばっと手を前に突き出し、話を中断させる。そして、その手を伊坂に向けて指をさし、指先をくいっと曲げたかと思えば、彼女は伊坂にこう言うのだ。


「功、ちょっと出ていってくれないかな、ここは一旦プライベートということで。いやあ、すまないね」


 そうは言うが、全く悪びれている様子はない。タイミングといいジェスチャーといい、邪魔な埃をはらうような感覚で言っているのだろう。


 どうした行かないのか、そう言うかのように今度は本当に埃をはらうかのようなジェスチャーを始めた。遠慮がないというのか、単に失礼と言えばいいのか。


「……はあ、分かりました」

「十分ぐらいしたら戻ってきてもいいよ、その後ならいくらでも話を聞こう」


 彼女に会った時からそうだったが、明らかにテンションが低くなっている。彼女のような人間が苦手なのだろう、露骨に嫌そうな顔をしている。そして、不服そうな感じも。


「何だ嫌なのか、聞きたいことがあるんだろ?顔を見てると分かる。分かりやすいね、君は」

「……」


 これ以上話していてもストレスが溜まるだけだと思ったのかもしれない。嫌味やため息こそ吐かないが、明らかに引いている顔だ。


 とにかく、尻尾が床についているのではないかと言うほどの気分の落ち込みようである。そして、そのまま尻尾を垂らして部屋から出ていった。


 出ていって数秒後、それまで溜めたストレスが全て吐き出されたのではないかと言うほどの大きなため息が聞こえたが、陽子は依然にやりとした笑みを浮かべたままだ。


「さてさて、まずはこっちの話を聞いてくれ。大丈夫だって、ちゃんと蕾くんの質問にも答えるさ」


 最初に喋りだした時からそうだが、陽子はこれといって不思議な声をしているわけでもないというのに、喋り方がどこか胡散くさい。


 胡散くさいとはまた違うかもしれない。ベテランの歌劇俳優のような、一挙手一投足が芝居がかった感じ──上背があることも関係しているのかもしれないが、とにかく全てにおいて迫力のある人間だ。


 陽子は改めてソファに腰かけ、太ももの上のあたりで手を組んでから蕾を見つめる。伊坂の誠実な瞳とは変わって、見ていると吸い込まれそうになるような瞳。


「暫くここで働いてもらいたいんだ」

「働く。私がですか」

「そう。仕事は功が教えてくれるだろうし、私もある程度は教える。蕾くんはしばらく研修期間ということで」

「それは構いませんが、過去の記憶を持たない部外者にできるような仕事があるのですか?」


 蕾がそう言うと、陽子は突然大きな声で「ははは!」と笑い出した。落ち着いているのか活発なのか忙しい人間で、一通り笑うとすんっと真剣な顔に戻るのだ。


「安心してくれ、ここには君みたいな子しかいないよ。特に君がこれから関わっていくはね」

「はあ。そのと言いますと?」

「そこなんだよっ」


 蕾の問いを聞くなり、陽子はそれ来たと言わんばかりに膝をぱん、と強く叩く。


「それが君の出自に大きく関係しているんだ、本来なら君はここにいるような人間じゃない」


 そう言うなり、陽子は二人の間にあるローテーブルの上にいきなり一冊の本を置いた。手に持っていたわけでもなし、本棚があるわけでもない。


 部屋はこれまで見た研究所の印象と同じくとにかく殺風景、ソファ、机、ソファ……それを囲む無機質な白い壁しかないというのに、どこから本を出したのか。


「勘違いしないでくれよ、私は秘密主義なところはあるけど、差別主義ではない。ただ事実を話したに過ぎないんだ」

「その本はどこから──」

「蕾くん。君はここに来るまでに、監禁されているやつらを何人か見ただろう。あれは少し特殊な力を持った人間たちでね。私たちはそれをまとめてと呼んでいる」

「フォリア、ですか」

「見た目は殆ど普通の人間と変わらないんだけども。ただ、彼らの遺伝子にはカルトロンと似た部分も多くあって……いや、それはいいか」


 陽子は何事もなかったかのように、そう言いながら本のページをめくっていく。数ページほど開いた後、指でとんと見出しを叩くと、それを元に有無を言わさず話を進めようと口を開くのだ。


 たまに咳払いを挟む時はあるが、だからと言って彼女の話を止める隙は全くと言ってない。


 寧ろ、その咳払いすらも演出のようなものに見えてしまう。落語家の使う張扇に似ているかもしれない。


「通常、フォリアは生まれた瞬間からなんだ。個人差はあるけど、人間で言うと──最低でも、中学生くらいに成長して生まれてくる。で、隠してもしょうがないから言ってしまうけども」


 そう言って蕾を指さすと、陽子は相変わらず芝居がかった声でこう言った。


「君もフォリアなんだよ、蕾くん」

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