第5話 蕾
伊坂に案内されるがまま、研究所を進む蕾。
彼だけならともかく、銀髪の見慣れない人形を不思議に思っているのか、すれ違う職員は殆ど全員が蕾を一度は見て通り過ぎていく。
単純に知らない存在が気になるというのもあるのだろう。白のブラウスをピンク色に汚していることもあり、色々と目につくというのもあるだろうが。
にしても、いかにも研究所という場所である。外見と同じく殺風景で飾りげもなく、薬品を運んでいく職員や、所々にある「〇〇室」といった扉以外に目につくものは何も無い。
──ここで何をしろと。
「普段なら応接室に案内するのですが……」
蕾がそう考えているうちに、伊坂がいきなり立ち止まる。そう言いながら、なんとも言い難い表情で周りを見渡して……見渡すほどその廊下は広くも無いが。
「伊坂 功です、通していただけますか」
壁に片手をつけてそう話すと、彼の片手がそのまま壁の向こうに吸い込まれていく。かといって焦る様子はなく、蕾の方へ視線を向けると
「このまま着いてきてください、大丈夫です、ちゃんと通れますよ」
といって完全に壁に呑まれてしまった。立ち往生するわけにもいかないので、蕾も彼に続いて壁に手をついてみる。
ひんやりと硬い金属の感触、その温度が手に伝わってくる。しかし、その感覚もほんの一瞬である。
手の温度が壁に奪われていく前に壁はぐにゃりと変形して手を呑み込み、徐々に全身を呑み込んでいく。
目を閉じていると、いつの間にか先ほどの廊下とは雰囲気の違う別の廊下に移されていた。先ほどの廊下は殺風景であるが故に堅苦しい印象を受けたが、この場所は一風変わっている。
どろどろとした瘴気のようなもの、立っているだけで体が嫌な寒気を、危険信号を伝えてくる。得体の知れない気味の悪さだ。
とはいえ、廊下自体は殺風景であることに変わりはないはずなのだ。ただ、正面にある曲がり道。そこから異常な気配が次々と押し寄せてくる。
異臭はしないのに鼻を摘みたくなるような、酷い息苦しさだ。
「一見何も無い場所に入り口を作るのがお好きなようですね」
「悪趣味なんですよ、色々と……それより」
伊坂がいきなり雰囲気を改めて蕾を見る。この場所の雰囲気に当てられてもびくともしないので、恐らく彼は既に慣れてしまったのだろう。
「この先はもっと酷いものがあります。目的地に着くまでは目を隠していただいても──」
「けっこうです」
蕾がいやにはっきりと断ってくるので、伊坂はギョッとして詰め寄ってくる。冷静に振る舞っていても、やはり犬っぽさは拭えない。
「そ、そうは言ってもですね……聞いていて気持ちのいいものでもありませんし、せめて耳は聞こえないように──」
「お心遣い感謝致します。ですが、それは私には必要ありません」
「そんな……」
「私はこの身で感じ取れることを可能な限り多く体験しなければいけません。ですのでお気になさらず」
伊坂はそれを聞いてすぐには納得がいかない様子であったが、どうしたものか考えて唸っている間に、蕾は首を少しだけ傾げている。
「──分かりました、ついてきてください」
どれだけ止めようと、本人がそう言う以上止めようが無い。渋々と言った様子で伊坂の進んでいくその先は、常人ならば目を疑う光景が次々と覗いていた。
ガラスの張られた真っ白な部屋に一人で入れられた、部屋の隅で体を丸めている痩せ細った人間だとか、時折聞こえる黒板を引っ掻いたような嫌悪感を催す金切り声だとか。
片腕が半分なくなって包帯でぐるぐる巻きになっていたり、自分からガラスに頭を打ちつけていて、それは見るからに血液だけじゃない何かが出ていたりと、下手なお化け屋敷とかホラー映画よりも気味が悪く、恐ろしい光景だ。
興味深いものもある。時折担架で運ばれていく職員らしき人々。彼らは悲鳴をあげながら「治療室」に運ばれていくのだが、聞けば聞くほどに痛々しいものである。
ただ、それらの人たちはしばらく時間が経つと何事もなかったかのように治療室から出てくるのだ。もとよりあった怪我すらもなかったかのように。
蕾は、それを横目で見ては前を歩く伊坂の背を見ると言うことを繰り返している。当然迷うことなく進んでいくのだが、表情には何処となく迷いというか……
まるで、ここで起こっていることの全てが自分のことであるかのような感じだ。
「とても、カルトロンの研究をしているようには見えませんが」
「……僕は、ここに入る前に『厳密にはそれだけではない』と言いましたよね。少ししたら説明します」
そうして時折気になったことを口に出す程度に会話をしていくうちに、いつのまにか行き止まりに来てしまっていた。
道を間違えたのかと思ったが、伊坂がそのまま進んでいくので、蕾はこれまでのように「門」のようなものがあるのだろうと何となく分かっていた。
「着きましたよ」
ここに自分を呼んだ人物がいるのだろうか。だとすれば、少しでも多くの情報を聞かなければならない。
「あの人のことです、どうせまだ来ていないでしょう。先に入って待っていましょう」
そう言って壁に手をつくので、また先ほどのように吸い込まれていくのかと思えば、今度はそのまま横に──要は、ただの引き戸であった。
「どういう基準であれを設置しているのですか」
「それは……僕にも分かりません」
そうして部屋に入ろうとした彼が、中の様子を見て足を止めたので──「うわっ……」という小さな声も出していたが── どうしたのかと思い、後ろから顔だけ覗かせてみる。
すると、その部屋にはソファに座って自分たちを待っていたであろう女性の姿があった。その姿は自信に溢れているようで、いかにも自分が、という表情をしている。
「人がいないからと言って好き勝手言ってくれるじゃないか。傷つくよ、流石の私でも」
言葉とは裏腹に、にやりと笑ってその女は二人を出迎えたのだ。
「入って、お茶くらいなら出すよ」
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