第4話 芽の行先
青年は少し驚いている様子だった。同時に、ほんの少しの馬鹿馬鹿しさも。自らの護衛対象がやけに落ち着き払っているので、今の今まで焦っていた自分がおかしいのではないかと感じているようだ。
「え、ええ。それは勿論です、これからご案内しますよ」
「ありがとうございます」
「──あっ。僕は
「大丈夫です。現在こうして生きていますし」
そう言って、申し訳なさそうに蕾の右足に視線を向ける。彼にとっても急な事態だったのだろう。仕方がないというわけではないが、彼を責めようという気には、蕾はならなかった。
「案内といっても、あとはこの先を少しだけ直進するだけで……あっ 」
「どうかしましたか?」
「──お名前を伺っても……?」
「蕾、それが私の名前です」
「蕾さんですね、ありがとうございます! それじゃあ行きましょうか、蕾さん!」
それからはあの怪物に出会う前のように鬱蒼とした森を暫く歩き続けていたのだが、今は少しでも知っていることを増やすべきだと思い、蕾は伊坂に話を聞いてみることにした。
「自己紹介をしたのは今のもので二回目です」
「えっ、は、はい」
「随分と情報のやりとりに気を配っているんですね」
「はぁ……ありがとうございます……? 」
「先程の怪物について教えていただいても?」
彼が驚いたような顔をしたのが見えた。まだ何かを分析できるほど長く共にいるわけではないが、彼は顔に出やすい性質なのだろう。
献身的な感じといい、表情がころころと変わる感じといい、どこか犬のような雰囲気がある。それでいて紳士的であり──とにかく、悪い印象は受けない好青年だ。
身長は蕾よりも十センチは高そうである。百七十センチ後半といったところか。よく見てみると瞳の色は真っ黒で、髪も同じく真っ黒だ。二重のまぶたがきちんと開かれているので、どことなく活発な感じがする。
前髪はアシンメトリー気味、青白くなったりと忙しかった肌も今となっては実に健康的な色合いである。逆に人形みがあるかもしれない。
「先程の怪物はカルトロン、数十年前から現れ始めた正体不明の生き物で……先程のものはそこまで手強い種ではありませんでしたが、一様に人間に敵意を持っていることが分かっています」
「なるほど」
先程は間一髪避けることが出来たが、もし気づかなければ蕾は今頃足を切り落とされていただろう。
「小型のカルトロンであれば、一般的な拳銃でも十分に倒すことが出来ます。ただし、正確に中心を狙い、そこにある核を破壊することが大事です」
「ふむ……先程は、カルトロンの姿は見えていない様子でしたが。随分と良い腕前ですね」
「拳銃の腕とカルトロンを察知する能力には自信がありますので!」
自慢げにしているところが、投げられたボールを持ってきて飼い主に撫でてもらうのを待っている犬のようである。
「今から行く『施設』というのは?」
「本当に何も聞いていないんですね……」
「おかげさまで。私が無知であることが問題なのでしょうけど」
「いやいや、蕾さんは悪くないですよ。あの人は少し秘密主義なところがあって──」
と、そこでいきなり青年が立ち止まった。
「……何か問題でも?」
「いえ、説明しておいた方がいいかなと」
「説明」
「正面に木が見えますよね?」
青年がそう指さすので、蕾はその木をじっと見つめている。半開きのままのまぶた、そのくせやたらとまっすぐな目。言動の節々から見られる少し突っぱねた感じがどうにも独特の気配を出している。
青年が犬だとすれば、蕾は猫と言えるかもしれない。猫はじっと木を見つめながら、あの運転手に聞いたことを思い出していた。
──降りたらまっすぐ進んでください、木にぶつかりそうになってもまっすぐに。
わざわざ「木」を指定することがあるだろうか。少し避けてもう一度まっすぐ進めばいいだけのはず。
「あの木に向かって進めばいいのでしょうか」
「おお!そうです、ぶつかる!と思っても避けないでくださいね。某映画の駅にあるあれみたいな感じです、だーっと行っちゃってください!」
青年の言う某映画について蕾はいまいちピンと来なかったが、何にせよまっすぐ進めばいいのだ。
地面を蹴って、木に向かって疾走する。その先の景色が想像できないがために、瞬く間に眼前に近づいてくる木が、今や門番のようである。
しかしこれはスタートライン、この門を通ってこそ自身の謎を解く第一歩につながるのだ。勢いは緩めず、そのまま木にぶつかりそうになったところ──
想定していた衝撃はとうとう想定のままとなり、先程から自身がいた鬱蒼とした森は影も形もなくなっていた。見えるのは恐ろしくタイトで最早息苦しく見える純白の……絵に描いたような、誰もが思い浮かべる研究所のような施設。
地面も雑草だとかそう言う類のものは一切生えておらず、完全に舗装されきっている。後ろを見てみると、先ほどからあった森は西洋風の門を境に一寸先が見えないほどの暗闇となっていた。
研究所を囲むように四方に高いフェンスが設置されていて、完全に人の手から外れた自然そのものの森が、反対に完全に人為的なもので構成されている。
ここまでくると異世界に来た感覚すら覚えてしまいそうになるが、後ろから追いかけてきた青年の声で意識は現実に引き戻される。
「躊躇なく行きますね……僕なんて、初めて来た時は恐る恐る手を出して──みたいな感じだったんですよ」
「ここが『施設』ですか?」
「……はい。カルトロンを研究し、対策する。厳密にはそれだけではありませんが、それがこの施設、ジトラステアです」
ジトラステア、それが自分を招いた者のいる場所。蕾は無機質な研究所を眺めながら、これから先の未来にある自分の姿を想像した。
それは何処かで誰に見つかることもなく、呆気なく枯れてしまう一輪の花のようなものであるかもしれない。しかし、確かにそこに花は咲いていた。
蕾には記憶がない。この先どの道に進んでいくとしても、目指したいものが、進むべき道がどこにも無い。
それを探すために生きること。一先ずはそれを目標としたのだった。
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