第16話 《配信》門 3



 ガッッッッ


 口を閉じただけで、低く震える音が響く。


 ヴァランティスは先ほどまでいたところから数歩下がったとこにいる。


 一瞬の間に起こったため、多くの視聴者は何が起きたのか理解するまで時間を有する。けれど、そんなことはお構いなしに、一人と一匹の戦いは続く。


 ケルベロスが足を振り下ろし、ヴァランティスは腰に挿していた剣を引き抜く。そして、そのまま剣を足に沿うように当てる。


 飛び散る血。


 グルァ


 微かな痛みを覚え、声を上げるケルベロス。一瞬の隙。だが、それだけで十分だった。ケルベロスの体が宙を舞う。普通の獅子と比べれば明らかに、固く硬質な毛皮が何本か折れ、赤い血が垂れている。


「チッ、固いな」


 が、それはケルベロスに戦局が変わる決定的な傷を付けることはできなかった。腹に少し傷を負わすことはできたが、結局はかすり傷程度でしかない。


 ケルベロスはこのままこの程度の攻撃を受けようと、致命傷を負うような攻撃がないなら、待って相手の体力を奪い、気をうかがえばいい。どの程度、知能があるのかは知らないが、それぐらいは考えているだろうし、その前提で動いた方が良い、そう判断したヴァランティス。


 彼の見つめる先には、煩わしそうに、首を振り、唸る。口から垂れ落ちた涎で、地が溶けるような音を出した。先ほどは特に涎などなかったというのに、さては寝起きで口が乾いていたのだろう。もちろん、真偽のほどは知らないが。


 そんなケルベロスは、口を大きく開け、猛り吠えている。


 タンッ


 地面を踏みしめ、ケルベロスが疾駆してくる。先ほどより速くない。それを好機と見たのか、ヴァランティスは走り出す。


 影が交差すると同時に、片方のの影が傾く。


 地面に片膝をついたのはヴァランティス。右頬がまるで、炎に焼かれたかのように痛む。頬に触れれば、手に強烈な痛みが走る。配信を見れば彼の頬が無残に爛れていることがわかるだろう。


 毒。


 ヴァランティスはケルベロスと交差した時、爪の攻撃を逸らし、そのまま腕を切り裂こうとした。しかし、予想外のことが起こった。爪に付着していた液体が不運にも垂れ落ちた。避けることもできず、それは頬に垂れた。


 その毒は、体を溶かす。その毒は、血管を通り、彼の体を蝕む。現代の医療では治療など不可能。ただ、ヴァランティスの驚異の回復に期待するしかない。


 けれど、そんなことが果たして可能だろうか? 平時ならばいざ知らず、戦闘中に? 身体を癒しながら戦う?


 不可能とは言わないが、すくなくとも、今の彼の実力ではできないだろう。


 気合を入れ、力を込めれば、心臓が鼓動する。血が流れ、毒を体中に行き渡らせる。


 彼の死は、確実に、忍び寄っている。


 だが、幸か不幸か、彼はそのことを知らない。


 戦いは、終わらない。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 剣を振るう。


 ガキン、と金属にでもぶつけたかのような不快な音が響く。


 明らかにおかしい。


 ケルベロスは煩わしそうに、前足を振り下ろしてくる。それは、容易くよけることのできる攻撃、だったはずだ。


 実際はギリギリのところで、よける。


 ヴァランティスは思う。頭に体が追い付いていない。いや、体が、いうことをきかない。そして、最も重要なのは、体中に走る痛み。


 毒が、効き始めている。もはや、ケルベロスは彼をいたぶり楽しんでいる。必死に、戦う彼を嘲笑うかのようだ。


 もはや、勝負は決した。諦めていないのは、ヴァランティスだけ。


 そして、無造作に振られた、攻撃が彼を捉える。何も理解することが出来ず、壁に叩きつけられる。それでも、残った微かな力を振り絞るように、両足で彼は立つ。頬と右腕が爛れた痛ましい姿。満身創痍、とはまさにこのことか。


 けれど、そんなことは関係ないと、遂に飽きたのか、ケルベロスが右足を振り上げる。


 無慈悲な一撃が、彼に振り下ろされる。


 悲鳴一つ上がらない。


 ただ、ケルベロスの咆哮が上がった。それだけだった。


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