49 終焉
昼も夜も、よくわからなくなっていました。僕は眠れるときに眠り、起きているときは兄や梓と話しました。たまに僕は暴れました。どうしようもなくて、縄で縛り付けられたこともありました。
食事も段々喉を通らなくなってきて、僕は痩せました。兄が管理してくれていたので、薬だけは何とか飲めました。シャワーを浴びるのも一苦労で、伸びた僕の髪を兄が洗いました。
そんな中、比較的調子が上向いてきました。僕は一日二食でしたが食事をとるようになり、体力も取り戻していきました。そんな様子を見て、兄も安心したのでしょう。
その夜は、兄は役者仲間と飲みに行くのだと言い、嬉しそうに出掛けていきました。僕は眠ろうと思いました。けれど、ソファで梓が肩を叩いてきました。
「お姉さんと、お話しよっか」
いつか見た、眩しい笑顔でした。死んでから、梓がそんな表情を浮かべたのは初めてでした。彼女は僕の隣に座りました。
「ねえ、あたしのこと、どれくらい好き?」
懐かしい話をしました。喫茶店で初めて二人で昼食をとったこと。クリスマスのイルミネーション。可愛い可愛い、大学生たちの生活の一コマでした。
梓は自分が死んでいるのを忘れているようでした。未来の話をしてきました。結婚式はもちろん教会。僕もカトリックになることをすすめられました。それから、子供は最低でも二人は欲しいと彼女は言いました。
僕は梓の話を聞きながら、いつ死んでいることを突きつけるのか迷いました。それくらい、話が弾んでいたのです。
子供の名前の案を聞き終わったところで、僕は切り出しました。
「梓。君は死んでいるんだ。兄さんに殺されたんだ。君の未来は、もう無い」
「あたしはここに居るよ?」
ソファに座ったまま、僕と梓はセックスをしました。もちろんそれは妄想です。僕が一人で、僕の身体を動かしていたのです。
果ててしまうと、梓は居なくなっていました。僕は下着をおろしたまま、背もたれに首を預けて眠ってしまいました。
兄が帰ってきました。僕の姿を見て、呆れたようでした。
「おい、後処理くらい自分でしろって。このソファ、高いんだぞ?」
文句を言われたので、大人しく片付けました。兄はまだ飲み足りなかったようで、缶ビールを取り出し、今夜の飲み会がいかに楽しかったのかをソファで語り始めました。僕の心はふつふつと燃え上がりました。兄に他の世界があることが許せなかったのです。
「ねえ、兄さん。兄さんは、僕を愛してるよね? 僕が一番だよね?」
「当たり前だろ、瞬。不安になったのか?」
「うん。ずっと僕だけのものでいてよ。お願い」
寝室に行き、僕たちは交わりました。まずは僕が抱かれました。それから、初めてしたときと同じように、兄が僕の上にまたがり、腰を動かしました。梓が見ていました。人殺し、と彼女の唇が動きました。終わってから、僕は兄に囁きました。
「兄さん。愛してる。ずっとずっと、愛してるから」
「俺も愛してるよ、瞬。俺は永遠に、瞬だけのものだ」
兄は眠りました。梓が近寄ってきて僕に言いました。
「瞬。永遠なんてあると思う?」
「わからない」
「人の心は移ろうものだよ。生きている限り、永遠は手に入らない」
僕は決めました。キッチンから包丁を出してきました。酒とタバコの匂いがする唇に口づけて、僕は兄の腹をメッタ刺しにしました。何度振り下ろしたのか、その時は覚えていませんでした。後から教えてもらいましたよ。十二回でした。
返り血を浴びたまま、僕はルリちゃんに電話をかけました。
「こんな時間に、どしたん?」
「あのさ。頼みがあるんだ。あの動画、ネットに流してくれない? 坂口伊織と福原瞬。二人の本名も書いて。花崎梓のこともね」
「……なんで? 急にそんなん言われてもわからへんわ」
もう黎姫先生のことなど信じてはいない僕でしたが、彼女を利用することにしました。
「僕は王様で、ルリちゃんは参謀でしょ? 世界と戦うって決めたでしょ? これは君の使命なんだよ」
「うちの……使命?」
「そう。全ては後からちゃんとわかるから。僕の言う通りにして」
「わかった。瞬くんの頼みやもんな。今すぐそうする。任しといて」
電話を切った後、動かなくなった兄をもう一度見下ろしました。あれだけ残虐なことをしたのに、彼の死に顔は安らかで、苦しんだ様子はありませんでした。僕は彼の頬をさすり、最後のキスをしました。それから、服も着替えず、交番に行きました。吉野さんが居ました。
「瞬くん、それ、どうした……?」
「兄を、殺しました」
吉野さんはどこかへ電話をかけ始めました。僕はパイプ椅子に座り、タバコを吸いました。しばらく喫煙できることはないでしょう。そう思ってやりました。実際、それが最後のタバコになりました。
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