40 長い夢・後
季節はどんどん流れていきました。梓は変わらず、僕の側に居てくれました。彼女にキスをする度、兄のことを思い出してしまいました。兄ならもっと、僕の欲しいものをくれるのに。そんなことを考えてしまっていました。
兄の誕生日、僕は一人であのバーに行きました。彼のお気に入りだったマッカランをロックで注文しました。兄に渡したのと同じオイルライターを買い、タバコに火をつけました。
「お一人ですか?」
隣に座っていた、黒いスーツを着た男性客が話しかけてきました。長いストレートの黒髪を肩におろしていて、青白い顔をしていました。僕はたじろぎました。未成年だとバレてはいけませんでしたしね。
「はい……」
「私も一人です。誰かと話したい気分でしてね。乾杯しましょう」
男性も、背の低いウイスキーグラスを持っていました。僕たちは乾杯しました。彼は僕のお酒を指して言いました。
「お若いのに、ロックで飲まれるんですね」
「大切な人が好きだったお酒なんです」
「そうですか」
「今日、その人の誕生日なんですけどね。会えなくて。それで一人で飲んでます」
お酒の勢いでしょうか。僕は男性にあれこれと話してしまいました。相手が実の兄であるということを伏せて、男性を愛しているのだと打ち明けました。
「それはご苦労なさっているんですね。男性同士だと何かと大変でしょう」
「そうですね。世間に認められる関係ではありませんし。それでも僕は、彼を愛しているんです」
「愛は尊いことです。同時に、他者を傷つけることもあります。私は応援していますよ。あなたとあなたの愛する人に、幸あらんことを」
エルメスの香水の匂いが漂ってきました。僕は辺りを見回しました。兄らしき人影は見えませんでした。そして、スーツの彼もいつの間にか居なくなっていました。今思うと、彼は死神だったのでしょうか。生死をさまよっていた時に見た夢です。僕の想像が具現化して、ああなったのかもしれませんね。
冬休みになりました。僕は梓と温泉に行きました。一緒の部屋になりましたが、軽く抱き締め合ってキスをしただけで、何もせず梓は先に眠りました。
僕は自分で指を突っ込み、じゅぷじゅぷと動かしました。そんなものでは到底足りませんでした。僕の身体は、兄に沿うようにできていましたから。
兄さん、伊織兄さん。僕は彼の名前を呼びました。せめて夢で会えたら。そんなことを思いながら寝ました。
すると、本当に夢に出てきてくれました。これらが夢の中の話というのは、もちろん記者さんも分かって下さっていますよね。夢の中で、夢を見たんです。
兄は僕を抱き締めました。キスをして、見つめ合いました。彼は言いました。
「瞬。お前の幸福がどこにあるのか、よく考えろ。ただ、俺の幸福は、お前と一緒に居ることだ。離したくなんかないさ。お前は俺のものなんだから」
目覚めると僕は夢精していました。梓にバレないよう処理をして、眠る梓に身を寄せました。
旅行が終わり、僕は一人、考えていました。梓との日々は、確かに幸福でした。彼女は僕を愛してくれていました。
それでもね、結局、兄の愛には勝てなかったんです。僕が本当に求めたのは兄なんです。兄からは、愛情だけでなく、憎悪も向けられていました。暴力もふるわれました。それでも僕は、彼の元に戻りたいと願いました。
そして、お寺に行きました。お地蔵さまに手を合わせ、僕は祈りました。どうか兄の所へ戻してください。どんな罪も、兄と一緒ならかぶっていけます。
「そっか。やっぱり瞬はあたしを選んでくれなかったんだね」
いつの間にか、梓が居ました。髪をおろし、風になびかせていました。彼女は泣きそうな表情をしていました。僕はODをしたことを思い出しました。そして、これは夢なのだと自覚しました。
「うん。ごめんね、梓。僕は兄さんを選ぶ。これからも兄さんと生きていきたい。例え夢でも、梓との日々は幸せだった。けど、僕が共に生きていきたいのは兄さんなんだ」
「そのうち、遺体の身元も割れるよ。あなたたちは犯罪者。それでもいいの?」
「いい。この世に生きてさえ居れば、僕は兄を愛せることができる。死んじゃったらそれはできない。僕は生きる。生きて、兄さんを愛する」
「そう。それなら仕方ないね。おいで」
僕は梓を抱き締めました。彼女の髪を指でとき、慈しみました。
香水とタバコの香りが漂ってきました。夢はもう、終わるのです。
「さよなら、瞬。でもあたしは、ずっとあなたの側に居るから」
「それでいい。僕はもう、命を断つことはしない。生きていく」
世界が明滅し始めました。僕はそれに身を委ねました。ぐらりと渦のようなものに巻き込まれ、僕は目を覚ましました。
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