39 長い夢・中
やがて夏休みがきて、僕は梓とテーマパークまで旅行しました。僕は家族と行ったことがありましたが、彼女は初めてで、少女のようにはしゃいで過ごしていました。
「ねえねえ瞬、ジェットコースターもう一回乗ろうよ!」
「ええ? また並ぶの?」
「だって凄く楽しかったんだもん」
僕たちは何枚も写真を一緒に撮りました。アルバイト先の皆へお土産も買いました。元の世界とは違い、僕たちの仲は公にしていました。先輩や店長にからかわれました。梓はそれすら楽しんでいるようでした。
僕は兄のことを忘れようとしました。でも、どうしてもできなかったんです。
兄の居ない世界は色あせて見えました。梓と一緒に居ても、色彩はぐすぐすとしていて、僕は作り笑顔ばかりしていました。
とても長い夏でした。ファミレスと家を往復して、たまに梓やルリちゃんと会う。そんな生活をしていました。
梓の誕生日が来ました。彼女は指輪が欲しいと僕にせがみました。なので、一緒に買いに行きました。
「改めて、誕生日おめでとう、梓」
いつもの喫茶店で、僕は梓に指輪をはめました。ペアで買ったので、彼女も僕にはめてくれました。
「あー、彼氏彼女っていう感じするねぇ」
梓は手をかざし、ふんわりと微笑みました。僕はタバコに火をつけました。
「そういえば、何で瞬はピース吸ってるの?」
本当のことなど言えません。僕はなんとなくだと濁しました。梓はそれ以上追及することなく、自分のタバコにも火をつけました。
涼しい店内で、アイスコーヒーを飲みました。外ではセミがうるさく鳴き続けていました。
この世界にいつまでも浸っていたい。けれど、兄に会いたい。梓が僕を愛せば愛すほど、兄への想いがつのりました。
喫茶店を出た僕たちは、梓の家に行きました。彼女は恥ずかしそうに目を伏せて言いました。
「……キスまでなら、いいよ」
僕はそれで満足しようと思いました。しかし、欲情が収まりませんでした。僕は梓の服の中に手を入れました。
「ダメ!」
梓は僕を引き剥がしました。我に返った僕は、バツの悪い表情をしていたんだと思います。梓は僕の手を握りました。
「瞬も男の子だもんね。したいよね。ごめんね」
「僕こそごめん。もうこんなことしないから」
服を着たまま、ベッドに寝転がり、梓とくっついて長い話をしました。彼女の親と姉のことでした。あんな家に生まれたくなかった。彼女は泣きました。僕は背中をさすり、慰めました。
梓の熱が残ったまま、僕は帰宅しました。ベッドに横たわり、一人で激しくしごきだしました。兄の名前を呼びながら。
夏休みの終わる頃、僕は実家に帰りました。親にも兄のことを確かめたかったのです。すると、父はこんなことを話してくれました。
「実は、母さんの前に付き合っていた女性との間に子供ができたんだ。籍を入れようと思っていた矢先に流産してね。結婚の話も無くなったよ」
「名前は……決めてたの?」
「男の子でも女の子でも、伊織」
こちらの世界では、兄は生まれることができなかったのです。父は水子供養しているお寺の存在も教えてくれました。
僕は梓の許可を得て、ルリちゃんの家に向かいました。そして、この世界でも確かに兄との繋がりがあったことを話しました。
ルリちゃんの考察はこうでした。そのお寺に行き、もう一度兄とやり直したいと願えば、元の世界へ帰れるのではないかと。僕もその説に納得しました。
「でも、うちはすすめへんわ。元の世界に帰ってどうするん? 結局、梓さんを殺した罪を背負ったまま生きることになるで?」
僕は夜ごと、兄を想いました。彼と生きるということは、罪と生きるということです。そもそも、兄弟で交わっていることを世間は許しません。認めてくれるのはルリちゃんだけです。
それよりも、梓と順調に交際し、僕が卒業して結婚すれば、人並みの幸せというものが手に入ります。
梓は真っ直ぐに僕のことを愛してくれていました。子供も欲しいと言いました。彼女は大手企業の内定を勝ち取り、あとは卒論を書くだけとなっていました。
「瞬。あたしね、今すっごく幸せ。ありがとう、恋人になってくれて」
いつもの喫茶店で、梓はそう言いました。僕たちの幸せは、誰の犠牲も出さず、誰からも祝福されるものでした。
けれど、兄の居ない世界は空虚でした。僕はとうとう、梓に兄の話をしました。元の世界で、兄が梓を殺し、僕が一緒に埋めたのだと言いました。
「やだなぁ、瞬。本の読みすぎじゃない? 瞬はそんなことできる人じゃないよ」
「でも、あの世界では、確かにそうしたんだ。梓の遺体の感触も、まだ思い出せる」
「……本当に、大丈夫? 病院とか、行った方が良くない?」
この世界では、僕は異常なのでしょう。いや、元の世界でもそうだったんですけれど。梓とは、それきりその話をすることはありませんでした。
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