35 幸せ
僕は二十歳になりました。去年は祝えなかったからと、兄は二年分のプレゼントをくれました。財布でした。それまで持っていた梓からの物をあっさりと捨てました。
兄との甘い日々が続きました。梓に怯えなくなった僕は、素直に快楽に身を任せました。僕の身体はもう、兄がいなくては成り立たないほどに作り変えられていました。薬も飲むことをしなくなり、処方されてもそのまま貯め込んでいました。
アルバイトを辞めてしまったので、やることが無く、僕は再び本の世界に浸るようになりました。何か新しく始めても良かったのですが、仕送りは十分にあるし、兄との時間を少しでも増やすために、ずっと彼の家に居ました。
たまにルリちゃんが来て、参加してくれました。その日は兄の家で、先に僕と彼女が一杯やっていて、僕はノートパソコンで動画の編集を始めました。それも任されるようになっていたのです。
「あれ? これ、女の子やん」
ルリちゃんが、梓とのファイルを見つけてしまいました。僕は焦りました。彼女は見せてくれと頼んできました。仕方が無いので、それを再生しながら、嘘を交えつつ説明しました。
「これ、一応元彼女。兄さんの目の前でセックスしろって流れになってさ。まあ、他に男がいたみたいで、行方不明になっちゃった。駆け落ちでもしたんじゃないかな」
流れるようについた嘘ですが、ルリちゃんはそれを信じてくれました。しかし、彼女は梓のことを知っていました。
「この人、花崎梓さんやろ? 先輩が、急に大学来なくなったって心配しとったわ」
僕はルリちゃんに口止めをする必要がありました。失踪の原因が僕たちにあるかもしれないとわかると、警察がきてややこしいので、彼女との関係は絶対に誰にも話さないでくれと頼みました。
「うん、ええよ。その代わり、この動画もちょうだい。瞬くんが女の子とやっとうんも新鮮やわ」
それくらい、お安い御用でした。兄が帰ってきて、また宴が始まりました。僕たちは、この行為をやめるつもりはないし、むしろよりエスカレートしていきました。僕がベルトでお尻を叩かれるのを、ルリちゃんは笑って眺めていました。
そんなことを続けていると、僕は三年生になり、ルリちゃんと同じゼミに入りました。ゼミの仲間で飲みに行くこともあり、僕の友人は増えました。その頃、梓のことは忘れてはいませんでしたが、慌ただしい日々に揉まれ、思い出すことが少なくなっていったのは事実です。
五月になりました。梓が死んだ日。五月四日です。その日兄はアルバイトでした。この日くらいは梓が出てくるのだろうか、と思いながらベッドに横たわっていると、本当に彼女が僕の頭を撫でてきました。
「瞬。一年経ったよ」
「そうだね」
僕はベッドに座り、床に立っていた梓と話をしました。
「自首する気、ないんだね」
「うん。いつだったか、梓が言ったでしょ。周りの人の幸せが、自分の幸せだって。僕の幸せを壊さないでよ」
「瞬は今、幸せ?」
「とっても幸せだよ」
僕はつらつらと、兄への想いを述べました。梓が死んでくれたことで、僕は兄を愛せるようになりました。兄を愛することは、この上なく幸せでした。ありがとう、死んでくれて。そのようなことを言うと、梓はすっと腕を出してきました。タバコの痕がありました。
「痛かった。苦しかった。あなたたちの幸せは、あたしの犠牲の上に成り立っていること、わかってるんだね。わかっている上で、あんなことを続けるんだね。ルリちゃんのことも、あたしは嫌いだな」
「ルリちゃんは関係ないだろ」
タバコに火をつけ、煙を梓に吐きました。すると、彼女は煙と一緒に消えていきました。僕は薬を飲みました。深い眠りが訪れ、兄に揺り動かされるまで気付きませんでした。
「おい、瞬。どうした。うなされてたぞ」
「えっ……?」
びっしょりと汗をかいていました。悪夢を見た覚えはなく、むしろスッキリとした目覚めでした。僕は久しぶりに梓が出てきたことを言いました。兄はつまらなさそうでした。
「ねえ、兄さん。僕、今凄く凄く幸せなんだ」
「そうか。俺も幸せ。あのメスガキを殺して良かったよ」
「ありがとう、兄さん。梓を殺してくれて。僕の幸せは兄さんにしかないんだ」
僕は兄にキスをしました。ついばむように、ふざけて。兄は僕の耳を舐めてきました。くすぐったがると、余計に奥まで舌を伸ばしてきました。僕たちはせわしなく服を脱がせ合いました。僕は大きく股を広げ、兄を受け入れました。
どうですか、記者さん。あなたは今、幸せですか。だとしたら、その幸せに犠牲者はいますか。もしかしたら、自覚していないだけで、幾多の人々を虐げているのかもしれませんよ。それに想いをはせるとね、今ある幸せを大事にしよう。そう思うことはできませんか。当時の僕もね、そうだったんですよ。
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