34 世界

 それは突然のことでした。クリスマス・イブを翌日に控えた日で、僕はアルバイト中に店長に呼ばれました。


「花崎さん、行方不明になっているらしいんだ。順番に刑事さんが話をしたいらしいんだけど、今大丈夫かな?」


 ランチタイムのピークが過ぎており、刑事さんとは空いた客席で話をしました。こうなったときのことは、兄とは打ち合わせており、僕は何も知らない、何も連絡を取っていないと話しました。刑事さんは言いました。


「事件性はなさそうだと親御さんも考えているようですが、念のため。本当に、花崎さんに変わった様子はありませんでしたか?」

「いえ。全くわかりませんでした」


 それで僕の事情聴取は終わりました。それからも、僕の鼓動は早鐘を打っていました。とうとうこのときが来てしまったのです。付近の監視カメラなどを調べられれば、僕と兄が梓を運び出すところが見つかってしまうかもしれません。

 僕は兄の家に帰り、ベッドで毛布をかぶって震えていました。兄は優しく僕の肩をさすりました。


「俺も聞かれたけど、社会人の彼氏が居た筈だって嘘ついといたよ。その線で調べるんじゃないか。まあ、成人女性が一人消えたくらいでそんなに人員は割けないって言ってたけどな」


 実際、梓の捜索は早々に打ち切られてしまったようですね。それは後から知ったことなのですが。当時の僕は、今にも警察が兄の家に踏み込んでくるのではないかと思い、小さな物音一つでびくりとしていました。

 アルバイトにも行けなくなりました。兄を通じて、辞めさせてもらいました。僕は自分の家に帰らず、兄の寝室で一日中過ごしました。兄がアルバイトに行っている間、梓が僕の傍らに立っていました。彼女は繰り返し言いました。


「人は罪を犯すものだよ。許されよう。そのためには、真実を話さないと」

「僕は嫌だ。兄さんと離れてしまう。それは嫌だ」


 実家に帰省もしませんでした。兄が僕のスマホを操作し、年末年始もアルバイトに入ることにしたからと連絡を入れていました。母からは何度か電話がかかってきたようでした。もちろんそれを取ることなどできませんでした。

 精神科の通院にも行けませんでしたので、兄が代わりに行っていました。薬は効くときもあれば、効かないときもあり、悪夢にうなされました。何回梓に窒息させられたのかわかりません。

 二月十四日になりました。梓が僕に告白してくれた日です。兄は昼間アルバイトに行っていました。僕はスマホの写真を見ました。彼女が作ってくれたトリュフの写真を撮っていたのです。箱も大事に家にしまってありました。


「それ、どんな想いで作ったのか、わかる?」


 梓が耳元で囁いてきました。僕はよろよろと立ち上がり、上着を着ました。向かったのは、交番でした。以前に兄の介抱をしてくれた吉野さんが座っていました。彼は僕のことを覚えていてくれました。


「ああ、あの時の。どうしたんですか?」

「その……」


 自首するつもりでした。全て話して、楽になるつもりでした。兄が梓を殺しました。僕は一緒に埋めました。そう言う気だったんです。


「顔色、悪いよ。そこに座って。大丈夫?」

「はい……」


 吉野さんは、僕が体調を崩してここに来たのだと勘違いしてしまったようでした。持病があるのか聞かれたので、うつを患っていると言いました。彼は途端に父親のような顔つきになりました。


「私にも息子がいてね。君と同い年くらいだよ。歩ける? 一緒に帰ろうか」


 もう言うタイミングを逃してしまいました。僕は吉野さんに支えられながら、兄のマンションへ向かいました。エレベーターホールのところで、アルバイトが終わって帰ってきた兄と出くわしました。


「ああ、お兄さん。弟さんが体調を崩されましてね」

「それは、ご迷惑をおかけしました。瞬、俺に掴まれ。帰るぞ」


 吉野さんとはそこで別れ、部屋に入ると、僕は兄に顔面を殴られました。


「なんで警官と一緒だったんだ」

「自首、しようと思った……」


 もう一発、殴られました。僕が泣き出すと、兄は僕を包み込みました。そして、自首する必要はないこと、人一人居なくなったところで世界は回っていることを淡々と説かれました。

 確かにそうでした。梓が居なくなって、少しはアルバイトは大変でしたが、すぐに人が埋まりましたし、季節も変わらず移ろいました。僕もそうですが、大学生一人の命の重さなどたかが知れているのです。

 この世界は残酷です。絶えず誰かが死に、生まれます。それぞれのドラマも、世界から見ると取るに足らないものです。梓のように、綺麗なまま埋められただけでも救いの一つでしょう。遺体が遺体として扱われず、弔われもせず、誰からも忘れられてしまう存在もあるのですから。

 僕は覚えておこうと思いました。梓のことを。僕一人だけでも。梓の影と生きていく覚悟を決めました。するとどうでしょう。彼女が現れなくなったのです。僕はみるみる元気になっていきました。


「なっ? だから言ったろ? 亡霊なんて存在しないんだって」


 兄の言うことは確かでした。黎姫先生の言うことなど忘れました。人は死んだらはい、終わりなのです。生まれ変わりも何もしないし、死ねば死体になるだけなのです。

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