31 兄の実家

 兄の母の命日。予め、兄の祖母には僕を連れていくことを言っている、と聞かされました。レンタカーに乗って、あの霊園に行きました。もちろんまた、缶ビールを飲まされました。それから向かったのは、大きな古い平屋でした。


「婆さん。帰ってきたぞ」


 兄の祖母は、足を引きずりながら玄関にきました。髪は真っ白で、皺が深く、腰も曲がっていました。僕は深々と頭を下げました。


「あんたが瞬かい」

「はい。福原賢治の二人目の息子です」

「まあ、わしもわかっとる。あんたは悪くない。とりあえず、あがりなさい」


 居間に通され、冷たい麦茶を出されました。兄の祖母は、まずは兄に近況を聞き始めました。兄はぶっきらぼうに答えていました。やはり身内相手だと素が出るのでしょう。口調も荒く、アルバイト中には決して見せない鬱陶しそうな表情をしていました。

 それから、兄の祖母は僕の話を聞きたがりました。僕がどうやって育ったかを。ありのままを話しました。ちなみに兄は、僕の高校時代から付きまとっていたことを兄の祖母に告げてしまっていたようで、その辺りについては説明は不要でした。

 話が一段落したところで、兄が立ち上がって他の部屋に行き、ルーズリーフを持ってきました。


「瞬。いいもの見せてやるよ」


 それは、兄の母の遺書でした。福原賢治を許さない。そんな内容が、乱れた筆跡でつらつらと書かれていました。僕はどんどん気分が悪くなってきました。出されていた麦茶を一気に飲み干しました。兄の祖母は、僕のそんな様子を心配そうに見守ってくれていました。


「伊織。この子に罪はないでしょうに」

「でも、知ってもらわなきゃな。俺たちがどれだけ苦しんだかをさ」


 それから、昼食を頂きました。ハンバーグでした。兄の好物みたいでした。兄の母は、僕の母と同じく専業主婦だったと聞きました。料理は全て手作りでしたが、離婚してこの家に戻ってからは、兄の祖母が兄の世話を全てしていたのだとか。兄の母は酒浸りになったようです。

 確実にアルコール依存症だった、と兄は言いました。どれだけお酒を隠し、お金を与えないようにしても、ツケでよそで飲んでくることもあり、どうしようもなかったと。当時兄は中学生から高校生になろうとしていました。そんな多感な時期に、母親が荒れていて、どれだけ彼に悪影響を与えていたのか。

 そして自殺です。兄の高校では、あっという間に噂が広がり、兄は孤立しました。酒もタバコもやり、ケンカに明け暮れ、その度に兄の祖父や祖母が謝りに行っていたのだとか。


「あの頃は済まなかったな、婆さん」

「今、真っ当に生きてるなら、わしはそれでいい」


 もう、人殺しをしてしまったんですよ。僕もそれに加担しました。僕が狂わせました。そんなことを告白してしまいたくなりました。もちろんそんなことは言えるわけがありません。僕はハンバーグを残してはならないと、吐き気を覚えながらも完食しました。

 そして、兄の部屋だったところへ通されました。だだっ広い和室で、タンスと勉強机の他には何もありませんでした。壁にはいくつかの殴った穴が空いていました。障子もビリビリに破かれていました。

 見せられたのは、古いアルバムでした。若かった父と、知らない女性、そして小さな男の子が写っていました。当時の兄は、どちらかというと父に似ていました。

 兄を抱く父の表情は、とても得意げで、初めての我が子を一心に愛していたのだと思い知らされました。それだけに、よくも簡単に彼らを捨てられたものだと僕は憤慨しました。


「幸せだったよ、この頃は。男が好きだったから、それについては悩んでたけどな。帰ればまともだった母親が家に居てくれたし、あの男も俺には優しかった」

「僕の存在が、それを壊した」

「そうだな。けど瞬自身は悪くない。愛する俺の弟だよ」


 兄は僕に抱きつき、キスをしました。兄の祖母は自分の部屋に戻っていたようでした。僕は兄のベルトを外しました。愛してる、と呟いて、兄をくわえこみました。彼は切ない吐息を漏らし、僕の頭を撫でていました。

 飲み込んでしまうと、兄は押し入れから布団を出してきて敷きました。そして僕を抱きました。まだ生きていたセミの声がしていました。命を散らし、僕たちは荒く呼吸しながら、何度も互いの存在を確かめました。

 梓がそれを見ていました。何の感情もこもっていない目で。


「あなたたちは罪深い」


 そう梓が言いました。僕は反論しました。


「動画を消しに行こうと行ったのは僕じゃない」

「……瞬? いきなりどうした?」


 腰を動かすのをやめ、兄が僕の頬に手を沿わせました。


「梓が居る」

「またか。そんなこと考えられないくらい、メチャクチャにしてやるよ」


 動きは激しくなりました。僕は喘ぎました。梓は消えてくれませんでした。彼女は最後まで見届けると、歪に口角を上げて立ち去りました。兄の祖母は、そんな僕たちのやり取りに気付いていたのでしょう。そんな素振りを見せました。けれど、何も言うことはなく、僕たちを見送ってくれました。

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