27 石田瑠璃子

 梅雨の時期がきました。冷たい土の下に眠る梓は、どんなに辛いだろうと僕は思いました。

 僕はほぼ毎日、兄の部屋に泊まるようになっていました。一人で居るのに耐えられなかったのです。

 傷の痛みが治まってから、ゆっくりと僕は開発されていきました。甘んじてそれを受け入れました。

 ひたすらに従順にしていれば、兄は僕を怒鳴らないし、殴りもしませんでした。梓のことを口に出すのはやめました。

 そして、あんなに苦痛だった行為が、快楽に変わってきたのです。僕の方から兄に求めるようになりました。


「兄さん。愛してるよ」


 そう言いながら身体を重ねました。兄はうっとりと目を閉じていました。僕の肉体は兄のためだけにありました。


「俺も愛してる、瞬」


 甘い言葉を囁かれ、僕は絶頂に達しました。僕はどんどん欲深くなっていきました。兄と一緒の時間をもっと増やしたいと思いました。

 そうして肉体の行為に耽っていったのは、梓のことを忘れたかったからでしょう。兄を抱いている時は、彼女の顔がちらつくことはありませんでした。

 しかし、ふとした時――大学で、ポニーテールの女性を見かけた時などは、過呼吸になりました。一度、同級生と居たときにそれを引き起こし、介抱されたこともありました。

 そのとき一緒だったのが、関西出身の石田瑠璃子いしだるりこさんです。ルリちゃんと仲間内では呼ばれていました。僕もならってそう呼んでおり、彼女は瞬くんと僕を呼びました。


「瞬くん、一度病院で診てもらった方がいいんとちゃう?」


 ルリちゃんは、金髪をショートカットにして、いくつもピアスをあけているような女の子でした。服装は、パンキッシュといいますか、ロックバンドのTシャツをよく着ていました。


「いや、大丈夫だよルリちゃん。いつも少ししたら治るし」

「心配やわ。一人暮らしなんやろ?」

「ううん、僕には兄が居るから」


 しまった、と僕は思いました。兄の存在は、誰にも明かしたことがなかったのです。


「えっ、一緒に住んでるん?」

「……近くにね。だから大丈夫」


 それからルリちゃんは、僕に親しく接するようになっていきました。彼女が喫煙者だったのも、その理由です。

 校内の喫煙所で、僕たちはよく話しました。そのうちに、一人暮らしの彼女の家に来ないかという話になりました。


「ちょっと待って。兄さんに行っていいか聞くから」

「いちいち許可取らんとあかんの?」

「まあね」


 兄から許しが出たので、僕たちは缶チューハイを買って、ルリちゃんの家に行きました。彼女の部屋は、とても物が多く、散らかっていました。

 なんとか座れるスペースを作り、ローテーブルを挟んで僕とルリちゃんは対面しました。缶チューハイをぶつけ、乾杯しました。

 僕の足先に、薄い本が積まれていました。僕は何となくそれを手に取りました。


「えっ、何これ」

「ああ、同人誌。うち、そういうの好きやねん」


 男同士の営みが描かれたそれを、僕は食い入るように眺めました。ルリちゃんはそれを見て笑いました。


「あははっ、ドン引きやんなぁ?」

「いや……そうでもない。僕の話の方が、もっと引くと思うよ?」


 ルリちゃんなら大丈夫。そういう確信を持っていました。僕は、実の兄と恋人同士であることを打ち明けました。


「やばっ。そそるんやけど」

「そう?」

「なあ、色々話聞かせてぇな。酒飲もう、酒」


 僕はいくらか省いたり嘘をついたりしながら、兄との関係について話しました。初めは無理矢理だったけれど、今は愛しているということを。

 ルリちゃんは、創作の世界にはよくあることだと、兄弟の関係について何の嫌悪感も持っていないようでした。

 むしろ、そちらの方が楽しいそうです。カラマーゾフの兄弟ですら二次創作があるのだとルリちゃんは教えてくれました。

 僕を埋め尽くす秘密のうち、一つを話せたことで、かなり気が楽になりました。もう一つは当然、言えませんでしたが。


「ええ話聞いたわ。またお兄さん紹介してな」

「うん、いつかね」


 その日、兄の家に行った僕は、ルリちゃんのことを話しました。


「へえ、そんな女居るんだ。面白ぇな」

「動画見せたら喜ぶと思うよ?」

「DVD多めに焼いとくよ。兄さんからのプレゼントだって渡せばいい」


 そして本当に、僕はDVDをルリちゃんに渡しました。それの感想も逐一貰いました。

 そんな倒錯したことをしている間も、梓の影は常に僕たち兄弟と共にありました。兄には当時、それが見えていなかったようで、平然と日常を送っていました。

 また、季節が巡ってきました。初めて兄を抱いたのと同じ、夏が。

 僕の身体はもう、兄を受け入れられるようになっていました。彼の機嫌に合わせて、役割を入れ替えました。

 梓の影は少しずつ伸びてきました。どれだけ気を紛らそうと、消えることは無かったのです。

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