20 帰省

 大晦日に僕は帰省しました。郊外の住宅地にある、二階建ての一軒家が実家でした。帰ったのは夕方で、母が蕎麦を準備してくれていました。

 父は飲み会があるとのことで、夕飯は母と二人で食べました。特に面白味のない年末特番を見ながら、僕は母の質問責めにあっていました。

 特に聞かれたのは、アルバイトのことでした。内向的な僕が、接客業を選んだのは、母にとっては予想外のことだったみたいでした。

 そこからするすると、兄や梓さんの存在も明らかにされてしまいました。頼れる年上の同期と先輩。それだけに留めましたが。

 夜十時くらいになって、父が帰ってきました。母は、せっかく僕が帰ってきているのにと小言を言いました。父は酔っていて、取り合いませんでした。


「おう、瞬。久しぶりだなぁ」


 酒臭い息を吐きながら、父は僕の頭を撫でました。僕は彼の所業を知っています。そのことをぶちまけてやりたい気分でした。

 父は風呂からあがり、タオル一枚の姿のままリビングをうろつき始めました。見慣れていた筈の父の裸が、僕にとっては目に毒でした。何しろ、兄の身体に似ていると思ったのです。

 僕はダイニングテーブルについて、テレビに集中しました。芸人たちが集まって、座談会をしていました。母もそれを観ていて、時折笑っていましたが、僕の心が動くことはありませんでした。

 服を着た父が、僕の正面に座りました。入浴したお陰か、態度はハッキリしていて、大学での話をいくつか聞かれました。


「まあ、父さんも安心したよ。勉強もバイトも頑張ってな」

「うん」


 カウントダウンが近付きました。母は男性アイドルのコンサートにチャンネルを変えました。眩しく笑う男性たちの姿に、めまいのようなものを覚えました。

 父も母も、まさか自分の息子が、実の兄と通じているだなんて、夢にも思っていないでしょう。

 兄に無理矢理されてから半年近くが経っていました。僕の存在自体が罪ではあるのですが、さらに罪を重ねていました。

 そして、当分終わりそうにない。僕はもう、身を委ねることに決めていました。兄の心変わりを待つだけの身でした。

 年が明けました。家族でお決まりの挨拶をしました。母はすぐに寝室に行ってしまいました。僕は父とリビングに取り残されました。僕はテレビを消しました。


「父さん。僕に何か、隠してること無い?」


 父は呆けた顔でこちらを見ていました。


「いや、無いけど。どうした、急に」

「気になっただけ。無いならいいよ」


 何の動揺も無さそうな表情でした。僕は諦めました。そもそも、一回目の妻が自殺していたことを、父は把握していたのでしょうか。

 父の余りの平静さに、僕は彼が、兄と兄の母のことを、すっかり記憶から消し去ってしまっているのではないかと考えました。それならば納得がいきました。

 全ての始まりはこの父でした。そして、代償を支払っているのは僕でした。親の業を子が背負うのは、よくある話じゃないですか。今ならそう思えます。

 しっかりと掃除されていた自室に行き、ベッドに潜り込みました。スマホを見ると、梓さんから新年の挨拶がきていました。僕はそれに適当なスタンプで返しました。

 子供時代を引きずったその部屋に居ると、どんどん感傷的になってきました。もう高校までの自分には戻れませんでした。

 タバコとライターは持ってきていませんでした。無性に吸いたくなりましたが、どうしようもありません。

 なかなか寝付けず、僕は兄の顔を思い浮かべました。彼は祖母の所へは帰省しないと言っており、あの部屋に一人で居る筈でした。


「……兄さん?」


 僕は兄に電話をかけました。


「おう、瞬。明けましておめでとう」

「おめでとう、兄さん」

「で、どうした?」

「急に心細くなっちゃって……」


 兄に父のことを話しました。彼は最後に父と話したときのことを教えてくれました。離れて暮らすことになるけど、時々会いに行くから。誕生日にはカードを送るから。そんな約束をしたそうです。


「……まあ、それが一つだって守られたことはなかったけどな。俺がどんな気持ちで連絡待ってたのか、わかるか?」

「わかりません……」


 父は愛情深い人だと思っていました。どんなに仕事が忙しくても、僕の誕生日には早めに帰ってきて、プレゼントを渡してくれたからです。

 それに、家族旅行にもしょっちゅう連れて行ってもらっていました。海外にも行かせてもらいました。沢山の経験をさせてくれました。

 僕が産まれなければ、その愛情は全て兄が一人占めできたのでしょう。兄の母が死ぬこともなかったでしょう。

 嗚咽を漏らしながら、僕は兄に謝りました。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「まあ、瞬は悪くない。頭では俺もわかってる。だから泣くなって。明日……日付的には今日か。俺のうち来いよ。一緒にメシ食おう」


 優しい兄です。僕は彼の存在に感謝しました。彼が絶望を味わってなお生きていてくれたからこそ、こうして出会えたんです。

 僕が眠るまで、通話は続きました。朝になって、さっさと朝食を取ると、忌まわしい実家を飛び出し、兄の家へと急ぎました。

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