14 家族
兄の誕生日の翌日、僕はアザだらけの身体を制服に隠し、働いていました。兄は休みでした。梓さんと一緒でした。
僕は梓さんに、終わったらコーヒーを飲みに行こうと誘われました。僕は行きますと返事をした後、念のため兄に報告しておきました。
兄からの既読がつかないまま、アルバイトは終わり、僕は梓さんといつもの喫茶店へ行きました。僕がタバコを取り出すと、梓さんはあんぐりと口を開けました。
「瞬くん、吸うの!?」
「坂口さんから教えられて……」
「もう、ダメだぞ。お姉さんの前では特別ね?」
それから、昨日が兄の誕生日だったこと、二人で飲みに行ったことを僕は話しました。いつの間にかお酒もタバコも解禁してしまったことに、梓さんはむくれていました。
「まあ、二人仲良いもんね。あたしなんか立ち入れない雰囲気あるよ」
兄とはアルバイト先ではそつなくこなしていたつもりでした。そんな風に梓さんに見られていたなんて。ますます気を引き締めなければと思いました。
それから、梓さんの就職の悩みを僕は聞かされました。一つ上の彼女の姉は、大学院に進学することになったそうです。どうやら研究者としての道を志すようでした。
しかし、梓さんは違います。どこかの企業に勤めて、奨学金を返済しながら経済的に自立し、親との縁を切ることを目標にしていました。
そのためには、安定した大企業に入りたいと梓さんは言いました。結婚後のことも彼女は見据えていました。産休や育休が取りやすいところでないとダメだと。
僕はその頃、兄をどうするか考えることに手一杯で、将来のことなどろくに考えたことがありませんでした。
しかし、僕だってあと二年すれば、梓さんと同じ状況になります。大学生活は短いのです。僕は彼女にアドバイスなんてできる立場ではありませんでしたから、とりあえずこう言いました。
「僕、梓さんのこと、尊敬してます。いつも明るくて、ホールもキッチンもみんなのこと考えてくれていて。だからきっと、大丈夫ですよ」
「ふふっ、ありがとう。でもね、お姉さんもいつも明るいわけじゃないんだぞ?」
梓さんは、僕の鼻先をつんと人差し指でつつきました。僕の顔はかあっと熱くなりました。
「えへへ、いい反応だね?」
「僕で遊ばないで下さいよ」
束の間の安らぎでした。梓さんと居るときの僕は、どこにでも居る平凡な男子大学生でした。からかわれて赤面するほど純粋な。
僕はスマホを見ました。兄からは了解と返ってきていただけでした。時刻は夕方の五時になっていました。
「ねえ、瞬くん。お姉さんが、ご飯作ってあげよっか。簡単に、パスタとかで良ければ」
「ぜひ、食べたいです」
僕たちはスーパーに寄り、大葉と明太子を買ってから梓さんの家に行きました。パスタは家にあるようでした。
ソファに座って、梓さんが料理をするのを待ちました。僕は、兄は位置を監視しているはずだとは思いながら、梓さんにご飯をご馳走になることを連絡しました。
ほどなくして、パスタが出来上がりました。ふんだんに明太子を使ったそれは、とても豪勢に思えました。
食べ終えてから、ベランダに出て二人でタバコを吸いました。冬の風が、僕たちの間をすり抜けていきました。
「もうすっかり寒くなったね」
梓さんは、そのときまだポニーテールにしていたのですが、はらりとヘアゴムを取って髪をなびかせました。それがとても美しくて、僕は見とれてしまいました。
「瞬くん、寒いね?」
「はい、寒いです」
「ぎゅーしてあげよっか?」
「またまた……」
冗談だと思いました。しかし、お互いタバコの火がついたまま、僕は梓さんに軽く抱き締められました。
「梓さん!?」
「えへっ、ぎゅーしてみた」
梓さんは、どんぐりを拾って喜ぶ子供のように微笑みました。それからこう言いました。
「瞬くんは、家族みたいなもんだからね!」
「家族、ですか」
「店長も含めてさ、あのバイト先のみんなはあたしの家族なの。大事な家族」
本当の梓さんの家族は折り合いが悪いと聞いたばかりでした。彼女がいかにあのファミレスのメンバーのことを想っているかを、その日初めて知りました。
家族でも何でも、抱き締められて嬉しかったのは事実です。僕たちはタバコを消すと、部屋に戻りました。
お酒もすすめられましたが、明日は一限から講義があるのでと断りました。本当のことでしたしね。
帰り道にスマホを見ると、兄から明日講義が終わったら来るようにと連絡が入っていました。そうなるのは想定の範囲内でした。
帰宅し、シャワーを浴びて、ベランダで一服した僕は、ベッドに入って梓さんの感触を思い返していました。ほんの一瞬でしたが、確かに熱がぶつかり合いました。
やはり梓さんは聖母なのだと思いました。彼女は家族への愛情をハッキリと示せる人なのです。
僕は梓さんと付き合ったときの妄想を深めました。信仰上、セックスはダメでも、今日みたいに抱き合うことくらいはできる筈です。
もっと長く、強く、抱き締めることができたなら。互いの熱を移し合うほどに。そう考えると、一人きりでも幸せな眠りがおりてきました。
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