13 味方

 僕は戸籍を見ていましたから、兄の誕生日を知っていました。十一月二十二日でした。僕の方から、祝いたいと持ちかけました。


「じゃあ、たまには外でメシ食うか」


 そんなことになりました。僕はホテルのディナーを予約しました。バースデープランにして、小さなケーキもつけました。兄は喜んでくれました。

 それから、同じホテルにあったバーへ僕たちは行きました。多少、綺麗めな格好をしていたせいでしょうか。僕の年齢を確認されることはありませんでした。

 兄はウイスキーのロックを注文しました。マッカランです。僕はカシスオレンジを頼みました。

 一緒にタバコも吸いました。その時既に、僕は一人の時も喫煙をするようになっていて、兄がカートン買いしている中から抜き取って持ち歩いていました。


「これ、プレゼントです」


 僕はオイルライターを渡しました。一目で気に入ってくれたのか、バーの中にも関わらず、兄は僕の頭を撫でて額にキスをしました。


「嬉しいよ、瞬。俺のこと、本当に好きになってくれたんだな」

「兄さんとして、ですよ、それは……」


 さっきのフレンチでも、ワインを飲んでいたせいでしょうか。兄は酔っていました。そして、饒舌になり始めました。


「もう、あの男は俺の誕生日なんて覚えちゃいねぇだろうけどな。小さい頃は、何でも好きな物買ってもらったんだよ。遠慮なんて、したこと無かった」

「そうでしたか」

「なあ、瞬もそうなんだろう? お前は三月二十一日だったな」

「はい」

「俺や俺の母親にとっちゃ呪われた日だ。でも、こうして祝ってくれたんだからな。きちんとお返しはするよ」


 このまま、安らかな夜を迎えることができるのだろうか。バーに居たときは、そう考えていました。

 けれど、兄の家に帰り、寝室へ行くと、彼は叫びながら拳をふるってきました。僕は何が悪かったのかわからず、それでも彼に謝り続けました。

 久しぶりに激しい暴行でした。酒の力も大きかったのだと思います。何とか顔だけは防ぎました。翌日はアルバイトでしたから。

 殴り疲れたのか、兄はへなへなと床に膝をつきました。僕は倒れてうずくまっていました。恐る恐る僕は聞きました。


「兄さん。何がダメでしたか。もうしませんから。教えてください」

「お前の存在自体が、やっぱりムカつく……」


 どうやら今回の誕生祝いについては問題ではなかったようです。そこは安堵しました。


「ごめんな? 俺も殴りたくて殴ったわけじゃないんだ。瞬だって、産まれたくて産まれたわけじゃないよな。そこはわかってるんだ」

「はい。大丈夫……大丈夫ですよ、兄さん……」


 兄は床にお尻をつけて座り、渡したばかりのライターで、タバコに火をつけました。僕も彼の側に寄りました。そして僕の分も火をつけてもらいました。

 二人の煙が部屋に充満していきました。その香りに包まれていると、安心していきました。兄は僕の生を憎んでいますが、僕の人格そのものは憎んでいないということがわかったからでもありました。

 僕はことり、と兄の肩に頭を預けました。彼は何も言わずに煙を吐いていました。全身が痛んでいましたが、今日のところはもう殴られないだろうと思い我慢しました。


「なあ、瞬。俺、産まれてきて良かったのかな」


 そんなことを兄は言い始めました。僕は慎重に言葉を紡ぎました。


「良かったです。兄さんが産まれてきてくれて。こうして弟として出会えました。僕は感謝しています」

「俺さ、瞬が居ればもう何も要らないよ。でも、お前のことが憎い気持ちも消えないんだ。傷付けたくねぇのにやっちまうんだ」


 兄の複雑な心情を理解できるのは、この世に僕だけでした。どうしたら彼を癒し、正常な兄弟関係を築けるのだろう。それにはきっと、医療の力が必要かもしれない。そんなところまで、考えは及んでいました。

 明らかに兄は異常でした。歪みを抱えたまま成長してしまった人でした。カウンセリングか何かを受けさせた方がいいに決まっていました。

 でも、それには僕との肉体関係のことまで話さなければならなくなるとも思いました。それは避けたかったんです。だから、僕自身の力で、兄をどうにかしようと思いました。


「兄さん。兄さん。僕、絶対に裏切りませんから。ずっと側に居ますから」


 とにかく僕が味方であることを主張しておきました。どんなに酷いことをされても、僕は離れていかないし、そのつもりも無いことを信じて欲しかったのです。

 その日はごくゆっくりと交わり、僕は兄を寝かしつけました。お酒が入っていたせいか、眠るのが早かったです。

 安らかに眠る兄の横顔を見ていると、何としてでも「普通の兄弟」になりたいと決意が新たになりました。

 結局、僕は兄のことが嫌いにはなれなかったんです。突き放せなかったんです。兄として、一緒に居て欲しい。その一心でした。

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