12 凪
季節は移ろい、十一月になると、僕はそろそろ帰省のことを考え始めました。さすがに年末年始くらいは帰らなければまずいと思っていました。
それでも期間はできるだけ短くしよう。僕は大晦日から正月にかけて帰ると母に連絡しました。母からは電話がかかってきました。
「瞬。もう少しゆっくり帰ってきたらいいのに」
「アルバイト、忙しいんだ」
「お金のことなら心配しなくていいのよ?」
「ううん、僕がしたいだけだから」
母はあれこれと生活のことについて聞いてきました。夕飯は兄ととることが多かったのですが、友達と食べていると濁しました。
父の近況についても聞きました。相変わらず仕事が忙しく、休日も家を開けることが多いと母は漏らしていました。
もしかしたらまた、父は不倫をしているのではないか。そんな疑念もわきましたが、確認のしようもありません。
それに、どうでもいいことでした。父のツケなら、僕が既にこの身で支払っています。父がこの先どうしようと、僕の状況が変わるわけでもありませんでした。
兄はこの頃、比較的穏やかになっていました。僕が余計な口を叩いても、怒ったり殴ったりせず、きちんと返答してくれていました。
「兄さんは、男としかしたことがないんですか?」
そんな質問も、することができました。その時僕たちは、寝ようとしてベッドに横並びで座っているときで、兄はポリポリと頬をかきながら答えてくれました。
「そうだぞ。女なんか気持ち悪いもん」
「初恋も男の人ですか?」
「ああ。幼馴染。ずっとそいつのこと好きだったけど、あっさり女と付き合ったよ。それから俺は何人も男ができたけどな」
兄は僕に顔を近付けて言いました。
「何だ? 瞬、妬いてるのか?」
「そういうわけじゃないです。ただ、気になっただけで……」
こんな関係が本当に一生続くわけはないと、僕はたかをくくっていました。兄の僕への想いなんて、他の男たちと同じく、移り変わるはず。いつか冷めてくれるはず。
そうしたら、普通の兄弟としてふるまえる。僕はそれを熱望していました。何しろ、行為自体は変わらず苦痛だったのです。
しかし、一緒に眠ることは心地よかった。兄に呼び出されなかった夜、一人で眠ることが、心細く感じるようになっていました。
僕は都合のいい妄想をしていました。梓さんとは結婚を前提にお付き合いをする。兄とはたまに添い寝程度のことをする。
僕は兄に言いました。
「兄さん。僕が寂しいときは、側に居てください」
「もちろん。俺が寂しいときも、瞬は側に居るんだぞ」
ベッドに座った姿勢のまま、兄は僕を抱き締めました。僕も彼の背中に腕を回し、軽く力を入れました。
思えば、この頃ならまだ、戻れるはずだったんです。あるいは、僕が呼び出しに応えないなど、反抗を始めれば、折れてくれたかもしれません。
けれども、事態は悪い方向へと一歩一歩近付いていきました。僕も兄も、そして梓さんも、もちろんその予兆なんて感じていなかった筈です。
話を戻しましょうか。その、可愛らしい約束をした夜の事です。僕は先に寝付きましたが、ふと目が覚めました。喉が乾いていました。僕はそっとベッドを抜け出しました。
その頃兄は、僕の好きな果実系のジュースを買い置きしてくれるようになっていました。炭酸は、苦手なんです。リンゴジュースのペットボトルを手に取りました。
それからすぐにはベッドに戻る気になれなくて、ジュースを飲みながら、ソファでスマホをいじっていました。時刻は夜の三時頃でした。
突然、寝室から兄の叫び声が聞こえました。僕は慌てて彼のもとへ急ぎました。
「瞬? 瞬? そこに居るな?」
兄は暗闇の中、床に立っていて、僕を見下ろしました。
「はい、居ます」
「良かった……瞬が消える夢見た……」
兄の身体はガクガクと震えていました。僕は彼を抱き締めました。しばらくすると、震えは収まりました。僕は彼をベッドに横たえさせました。
「びっくりした。目ぇ開けたら、本当に瞬が居ないから」
「ジュース飲んでただけだったんですよ」
「良かった……」
兄は僕の胸に顔を埋めました。こうして彼が弱いところを見せたのは初めてでした。僕は可愛いとさえ思いました。
まるで赤子をあやすかのように、トン、トン、と兄の背を叩きました。彼は泣いているようでした。僕のことがそんなにも大事なのか。とてもいじらしい気持ちになりました。
そして、僕からキスをしました。ごく自然にそうすることができました。今、この瞬間に、彼を癒せるのは僕しかいない。そういう使命感もありました。
兄は泣き止み、また眠りに落ちていきました。この夜のことは、兄も忘れてしまったのかもしれません。それから話にのぼることはありませんでした。
でも、僕はよく覚えているんです。兄も一人の人間なんだということを、確認できた夜でしたから。
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